数字の7

もう2年以上前か。
海外暮らしが長かった子に数学を教える機会があった。
その子が数字の7を書いたときになんともいえない懐かしい気持ちになった。


日本では7を書くときに1と区別をするためか左上に点をつけるが、海外では縦棒の中央に点をつける流儀もある。
その子の書いた7は中央に点があったのだ。
私はアトランタから日本に帰ってきたのち、これを直されたことが一度だけあったことをはっきりと覚えている。


指摘しようか少し迷った後に、分かっている人が伝えたほうがよいだろうと思いそうした。
本人も知っていたようで Oops といいながら直していた。


今後も偏狭な考えとの摩擦を繰り返しながら、この子も少しずつ削れていくのだろう。


人は日本人に産まれるのではない。日本人になるのだ。

あやとり

かばんに放り込んだイヤホンをひっぱりだしてくる。
そのぐちゃぐちゃに絡まったコードをみて、ふと思いだす。
幼馴染の N ちゃんとはよくあやとりをして遊んでいた。


大人になってみれば、あやとりなど何が楽しいのか分からないけれども、
子供にとってはくるくると予想外に形が変わる様子を見ているだけでもとても楽しいものだ。
それに子供の指は短いからたまにとりそこなう。


いつだったかそんな風にして糸が絡まったときのことだ。
「どう絡まっているかみてほどかないと結ばっちゃうよ」
と僕がいうと N ちゃんは
「大丈夫、締まりそうなところを軽く引っ張っていけばほどけるから」
といって、そのとおりに解いてみせた。


あのときからだいぶ大きくなった手のひらを少し眺め、
そして、手元のコードを柔らかく引っ張りはじめた。

小学校の同期

落ち着いて考えると、ここ小学校の同期も見ているんだからアホな散文詩なんて書くべきじゃないね。

と僕は思ったらしいが、私は僕になぞ配慮しない。


結局、こういう文章の価値はなんらか感情を惹き起こせるかにあると思っているわけでして。ぐちゃぐちゃの現実からどのように切り出すかが重要だよね。


最終段落

それを思い出してちょっと口元が緩んだ。
そしてちょっと迷った後に丁寧にほどいていった。

のほうが味があるんだろうか、という風に迷ったのは、類型化が十分できていないのかなあ。

続内積

内積 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3
Varian の microeconomic analysis の日本語版を比較のために見たら、やっぱり数式の表現が変だった。
\mathbf{h}\mathbf{D}^2f\mathbf{h}スカラーがでてくるらしい。転置つけようぜ。あと、いまさらだがテンソル表記偉大だね。

また、確率効用あたりの定義で可換性は公理として与えているのに結合法則は与えていなかった。参った。

ビリアル定理

二原子分子でどちらが結合性軌道になるかは、運動エネルギー側は明らかだがポテンシャルが異なるからそんなに自明ではないよな、と思ってビリアル定理を思い浮かべたがやっぱり自明ではなさそう。

ひらめきなどない

最近、東大の数学の入試問題で過去一番難しかったといわれる問題「東大98後期3」を電話越しに教えてもらった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313422278

ブルーバックスの「入試数学伝説の良問100」のP.291のコラムに
「入試史上最難問」として紹介されています。

大学受験史上第1位にランクされる超難問である。
難しいのは(2)で、実験すると予想できるが、完璧に論証するのは並大抵ではない。
問題入手のとき、A予備校では解答作成を中断、帰宅することになったと聞かされた。
最悪、翌日も解けないときはどうするかも話し合ったらしい。
翌朝B予備校関係者から電話があり、予備校の回答を出さなければならないから
至急解いてくれという。そこでフランスに長期滞在中の友人C(大学助教授)と
メールで連絡を取り、概要を説明し、解くことにした。何度かのやり取りの後、
回答を作り上げたのは翌朝のことである。
試験では完全解は無理でも十分性などの部分点はとれるだろう。その意味では
良問といえるかもしれない。なお、A予備校の解答はCの友人のD教授が書いた
ものを参考にしたらしい。

だが、電話で別のことを話しながら方針が立ち、私には極めて素直にどこも引っかかるところはなく難なく解けてしまった。
解けた後に真剣にどこが難しいのかを考え込んだほどだ。

問題本文は河合塾を参照してもらうとして
http://hiw.oo.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/98/problem.cgi/t2/math?page=2
簡単にまとめると

枝分かれのない連結なグラフ G=(V={P_1...},W={E_1...}) とグラフの各点から色{白、黒} への写像 f の組に対して、二つの変形規則

  • ある点の色を反転させて、そこに白い点のつながった辺を加える
  • ある辺を選んで両端の色を反転させ、その辺を白い点が中央にある二つの辺と置き換える

が許されているとして、白色一点だけから到達可能な白色だけからなる直線グラフをすべてあげよ。

というものだ。


私の略解を、予備校の回答が誤っていることもあり最後にしたためておく。
そして、おそらくこの解に容易に至れた理由は次の問題(MIU ゲーム)を解いたことがあるゆえである。


ある数学科の人も国際数学オリンピックの問題に以下のようなことを述べていた。

いつの間にやら数オリの問題も8割近くはトリッキーな事は不要で
スタンダードな作業で解ける問題に思えるようになってしまった…。
別に最近特にそういう問題が増えたとかいうわけじゃないんだろうなぁ。
まぁそういうのをキチンとこなす能力を問うコンテストと思えばOK。

もしかしたら、人が解けるように作られる問題のパターンなど
本当に限られているのではないだろうか。

MIU ゲーム

  • MI は語である
  • 最後が I で終わる語の後ろに U を加えても語である
  • M からはじまる語の M 以外の部分を M の後に二度繰り返したものも語である
  • III が含まれていたら、それを U に置き換えても語である
  • UU が含まれていたら、それを削除しても語である
  • これ以外で作られる語はない

このとき MU は語でないことを示せ

ひらめきなどない

東大98後期3
略解
直線グラフだけ考えればいいことは点から出ている辺の数が減らないことから明らか。


直線のグラフ G に対して、次の整数の非順序対を考え、特性数と呼ぶ。


A(G) = 端から黒丸を二つずつ組にしていき、組の中の距離の和
1.G の黒丸の数が偶数の場合
{A(G), A(G の両端に黒丸を付け加えたもの)}
2.G の黒丸の数が奇数の場合
{A(G の右端に黒丸を付け加えたもの), A(G の左端に黒丸を付け加えたもの)}


たとえば、
白丸が n 個つづいている場合、
{0, n+1} が特性数である。


特に白丸が 1つならば、{0,2}


ところで、与えられた操作は、すべて特性数の差を3で割った余りを保存する。
よって、特性数が{0,3n}とあらわされる白丸が3n-1つながっているグラフは
白丸が1つのグラフから上述の操作では生成できない。

なぜこれが簡単なのだろうか。
軽く実験をすればどのようなものが可能グラフかは容易に判断できる。
つまり、長さを 3 で割った余りで分類できるようだということだ。
そうなると、すべての直線のグラフから移り変わる関係を保存するような簡単な関手が存在するだろう。
黒丸を消滅させる操作は、隣同士をまとめて消すか端のものをひとつ消すかだ。
そうすると、上の特性数の概念にたどりつく。
あとはどの操作でもこれが保存していることを確認すれば終わり。

2-NOTs problem

いつの世の中にもひねくれた人というのはいるものです。
AND と NOT だけで任意の論理式を作ること、あるいは NAND だけで任意の論理式を作ることはできます。
また、OR と NOT だけで任意の論理式を作ること、あるいは NOR だけでもできます。
しかし、AND と OR だけではできないのは自明です。そこで以下の問題。

2-NOTs problem
どんな論理式も NOT と AND と OR で作れるが、特に NOT は必要であるとしても2つあればよいことを示せ。

この問題は、
http://parametron.blogspot.com/2008/07/3-not-problem.html
の問題から作った。リンク先は大きなヒントになる。
つまりは、任意の論理回路を代表元に限っても一般性を失わないということなのだが、そのような論理回路の選び方は自然なんだろうか。

乳児死亡率

2005-06-01
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080728/p1
直感的には、相当評価が甘くてしていないに等しいと思います。


幼児死亡率(1〜5歳)が0.3‰程度で他国に対して30%ほど悪いということですが、周産期死亡率(死産+早期新生児死亡)が5.5‰、新生児死亡率が1.6‰、乳児死亡率(1歳まで)は3.1‰程度。(‰はパーミル。千分の一ね。)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii01/soran2-2.html
にも関わらず、持越しは周産期からしか計算していません。


乳児死亡の(0.03*30%/3.1=)3%が持ち越されれば説明がついてしまいます。
つまり、標語的にはすべての乳児を10日延命させる薬があればいいのです。


私も資料が不十分だと思うのでどちらかに肩入れするつもりはないです。
医療水準を下げてみるわけにはいかないので、調べるとしたら乳児死亡率は他の死亡率の一次関数で決まるとしてフィットしてみるとかでしょうか。

金銭には価値がない

誤解だといわれるかもしれないけれども、社会全体の福利を大きくするために局所的な状況から近似が作れると良い。
金銭という調節手段ができた社会は"社会ダーウィニズム"的に淘汰されなかった。


安定解を作るために人の心理的な"欠陥"を利用しているという感じがする。
金銭概念がない異星人は意外と多いのではないだろうか。

筆記体

http://log.pira.jp/archives/1401

ヘブライ語筆記体が密かにあったから使われないだけなのでは、とおもって、wikipedia をみたところ、カタカナの草書体が使われないのはなぜだろう、というような疑問になっているようだ。イタリックは現在は強調等で用いられる
がもともとは書体のひとつ。また、cursive という意味では、小文字自体が cursive 目的に創出された。筆記体はないわけではないがあまり使われない。

以下、データ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Italic_type
> In typography, italic type /??tal?k/ or /a??tal?k/ refers to cursive
> typefaces based on a stylized form of calligraphic handwriting. The
> influence from calligraphy can be seen in their usual slight slanting to t
he right. Different glyph shapes from roman type are also usually used?another
influence from calligraphy.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
> イタリック体(イタリックたい、英: italic
> type)とはアルファベットの書体のひとつであり、筆記体を元に発生した。16世紀初頭のヴェネツィアで紙面スペースを節約するために考案された。元は手書き文字であったため右側に傾い
ているのが最大の特徴。当初は本文用の独立した書体であったが、現在ではセリフ体などのフォントの一部を成し、正立した書体による文章の中で語を強調したり周囲と区別したりするために用いられることが多い。

http://en.wikipedia.org/wiki/Greek_language
> Greek has been written in the Greek alphabet since approximately the 9th
> century BC. In classical Greek, as in classical Latin, only upper-case
> letters existed. The lower-case Greek letters were developed much l
ater by medieval scribes to permit a faster, more convenient cursive writing
style with the use of ink and quill. The variant of the alphabet in use today
is essentially the late Ionic variant, introduced for writ
ing classical Attic in 403 BC.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%96%87%E5%AD%97
> 古代には大文字のみで、また筆記体もない。その後、中世以降に小文字が案出され、ビザンティン帝国時代の文書には筆記体も見られる。現代ギリシアでは、あまり筆記体を用いないようである。

なんか僕あさってなことを口走っているね。

単位元

だいぶ前に書いた文章

一貫性を持って説明できるほど科学が進んでないのが実は問題で、実際のところ、化石燃料と温暖化の因果関係が証明されたというのは僕は間違っていると思う。
現在、人間は技術力も未来予測力も大したことないから、真剣に考え続けて、できるだけ「現状維持」をしないと手がつけられなくなる可能性が高い、という意味で、環境保護は重要なはずだ。
ただ、これは洞窟の出口を集団で暗中模索するようなもので、馬鹿が自信をもって良さそうな提案をしてみなが信じたり、関係ないことを持ち出したりする。「善意でやっていたこと」が明日にでも無茶苦茶にしていたことが分かったり
する状況で、環境問題と向き合うのは相当嫌な意味で頭を使うことだと考えている。
なのに、保護運動が馬鹿のファッションと道楽になっている。

アイデンティティが嫌いなんだなあ、と思う。
いや、高校生までは個性を伸ばすみたいな概念が好きだったんですけれどもねえ。

トイレ用擬音装置

これは実に二年以上前の日記から。


音姫は非常に不思議で、隠すために信号を出している。
この信号をまじめに解析したらソナー代わりにはなるんじゃなかろうか。


私がこのようなものにこだわるのはここに大きなビジネスチャンスがあるからである。
音姫の信号がソナー代わりになることを示し、そして、不確定性を利用しどのような音をだすかが攻撃者に分からないような装置を開発すれば、量子力学を利用したサイドチャネル攻撃の防御例になるのだ。これぞ身近な量子情報。


オチですか? たぶん、可聴域の音の波長はじゃそんなに精度良くない。どうせ 500 Hz 前後だろうから 波長に直して 1 m 程度。

ザイフェルト曲面

二つのリングを鎖状に繋いでから石鹸膜を張るとどうなるでしょう。
石鹸膜だと他にもいくつか解ができちゃうんだけれども、ここでは石鹸膜上に境界がないようなのを選ぶのね。


これが見えるかどうかって3次元視ができるかどうかの境目かと。

数学と物理

竹内外史の「数学から物理学へ」という本が理物の図書室にあった。ところが、これ明らかにコピー本で。


まえがきが面白かったので引用しておく。

リストがショパンとリストの音楽について尋ねられた時に次のように返事をしたといわれている。
"リストはショパンになれるが、ショパンはリストになれない。"
これは物理学者と数学者にもいえるかも知れない。"物理学者は数学者になれるが、数学者は物理学者にはなれない。"
物理学者は目的に急行でつっ走ろうとする。したがって物理学者の数学書に対する苦情はたった一つのことを知りたいのに十のことを勉強させられたという苦情である。尤も物理学者はこの事を'数学は抽象的過ぎる'と表現する。しかし必要とならば、どんな抽象的なことも物理学者にとっては物の数ではない、易々と使いこなしてしまう。事実理論物理学者が一度必要となって現代数学を使い出すとその活用度は物凄く見るだに逃げ出したくなる位である。
所で数学者が物理を勉強する時はどうであろうか? 物理数学が専門という様なスペシャリストを除いては全然手が出ないというのが一般数学者にとって普通なのではないだろうか? 余り数学者が物理の本について文句を言わないのは出来の悪い学生が質問が出来ないのと似た現象ではないだろうか?
所で数学者にとっては物理学程面白いものは少ないものである。之は全く不幸にして不公平な事情である。

話を再びショパンとリストに戻そう。ショパンは物真似の天才であったそうである。ある日リスト邸でショパンが貴婦人たちから物真似の至芸を披露してほしいと頼まれていた時に新しい来客の到着が報ぜられた。ショパンはすぐさまリストのカツラをかぶってリストになり済まして、来客に応対したが来客はリスト自身と信じて疑わなかったといわれている。

これは不思議な感じがする。たしかに実感として物理学者はそこそこ数学ができるが数学者は驚くほど物理ができないことがありうる。
トライアスロンの選手は自転車に乗れるが、競輪の選手は泳げないかもしれない。


それは、興味の対象からそうなるのかもしれない。

見立て

集合論の言語の上にどうやって自然数を定義するか。そこには見立てがある。
ノイマン自然数定義というのはそれなりに単純だから自然に見えるわけだけれども実数になればどうか。これこそが定義、といえるものが一意に定まるとは思えない。形式言語を構築してその上に欲しいものを見立てることもできる。
許容される範囲は経験的に実数とみなしているものが満たしている性質で決まるだろう。そのときにある命題が存在して、あるものはそれを満たし、あるものは満たさない、ということが起きる。


A という公理系とそれを拡張した A' という公理系があって、A の上では二つの自然数 N と N' が考えられて、A' からみると、A の中で N と N' に関して証明できることは同じなのだが、A' の中では二つが異なるという状況があるだろう。あるいは、A の中で N は P が示せるが N' の中では示せないということもありえるかもしれない。


そうしたときに A の上では N と N' の区別はできないと同時に同じであることもいえなくなるのではないだろうか。
最終的には定義とは何かという問題に行き着くのではないだろうか。


#書きかけの文章には
##公理系が弱いから、全単射が系の内部には存在しなくなるのか。
#と書いてあったのだが何が言いたいか分からないから残しておく。


#あれ、よく読むとただの超準モデル?? とはちょっと違うか。

コンパクトと点列コンパクト

コンパクトで点列コンパクトでない例は割と容易に作れる。
コンパクトハウスドルフ空間から適当に一点を除いて誘導位相で考えればいい。


ところで、その逆はどうなんだろう。下の pdf に点列コンパクトだがコンパクトでない例があがっていた。
http://arxiv.org/PS_cache/math/pdf/0412/0412558v1.pdf
つまり \omega_1\omega_1 + 1 を開集合とする位相を入れればよい、とのことだ。


短い別の証明を思いついたので書いておく。\omega_1 が正則基数であることを使う。


コンパクトでないことは、開被覆として全体を除く [tex:\{x|x \omega] なので可算部分列はすべて有界になりそれを収束先と選べば、点列コンパクト。



もともとは ZFC より強い公理形でしか証明になっていないものを作れたらうれしいと思って、強到達不可能基数を仮定して作ったら、その条件はいらなかった。残念。

本質

(重要なものと計算上先に出てくるかは関係があるか、という質問に対して。)
最大を見つけるときにも、たとえば微分ができているときには、極大のうちで最大のものを探すでしょう。また、逆関数の多価関数として扱うのが自然なときには分岐が合流する点のうち最大のものを探すでしょう。
つまり計算上どちらが先にもとまるかはまったく本質的ではないと思います。


単純に、AからBが求まりやすくて、BからAが求まりにくいときには、Bのほうが先にでてくると感じるのではないでしょうか。

数学と物理

数学という学問は教えられた論理の一部でも理解しそこなって次へいくとそこの傷から本当にわけが分からなくなる。特に大学の授業で訳が分からなくなるのは、小さな傷を傷と思わず、いい加減にしたまま次へ行くからだ。その一方である種の「跳躍」ができるようになる必要がある。この「跳躍」−−物理にしてもあり、しかもなんとも難しいんだけれども、−−これができるようになると、だんだん説明が短くなっていき、そして似ても似つかぬものが同じものに見えてくる。数学や物理をやりすぎた人の話すことが宗教がかってくるのは人が見えてはいけないものが見えてしまうようになるからだと思うのだけれども、そこまでいかなくても大学教養程度までは結構すぐに「何をすればいいのか自然で当たり前に感じる」で片付くようになるよ。

超準解析

超積と超準解析という本で超凖解析の応用について面白いことを述べていた。

経済、確率……

齋藤:ロビンソンは経済現象への応用というのを共著で書いている。
倉田:トムにせよロビンソンにせよ、外国人のほら吹きは必ず経済現象と言うな。
齋藤:経済では全部のファクターが有限なのに超準解析を使うのはどういうことかなと思ったが、たとえば一人の個人の行動はマクロな経済に影響を及ぼさない、だから無限小だというらしいのだが……
倉田:完全にライプニッツの哲学の再現ではないか。モナドか、我々は……
広瀬:だから個人が無限に何かをやる可能性があるわけだな。
齋藤:実はそれはおかしい。一つが無限小なら、それが十億集まっても無限小のはずなのだが……
確率論はどうだろう。
倉田:川端君の仕事は大体函数空間上の一様測度ということだから、確率論にも関係すると言ってよい。
齋藤:もっと素朴な話で、この本にもちょっと書いたが、宝くじの抽籤会みたいにまわっている輪に矢を射るとき、必ず輪に当るとしても、指定された一点に当る確率はゼロだ。これは少しおかしいところがある。ところが超準測度ではかると、0ではない無限小の値がちゃんと出て、しかも全部合わせると1になる。
広瀬:あれは非常に納得しやすい。
齋藤:だから超準測度はかなりいい線を行っていると思う。数学の理論としてうまく行くかどうか分からないが、直観性を回復したことでとりあえず評価したい。
一般に、少しヘンな感じがすることはみんなそこで何かやる余地があるのではないか。むかし円とその接線とのなす角のことを一生懸命考えた人がいる。そういうものが無限小解析につながった。この種のことはほかにもいろいろあると思う。

ファクターが有限というのは超準解析と経済の関係に限らないはずで、解析が物理に使えるのも本質的に同じような問題を孕んでいるのではないか。たとえば有限和を積分に置き換えるなどだ。
ただ、物理だと相当な精度であっていて、また、精度の範囲内でしか問題にしないからあんまり表沙汰にはならないのか。

理物の盲点

A を kI とあらわせない、二次の実行列として、
AX=XA ならば
X = pI+qA という形で表されることを示せ。

成分計算をすれば、難なくわかるのだけれども、エレガントでない。
ジョルダン標準形にしたらジョルダン細胞の分類で済むから簡単と述べたところ、「実行列」という強烈な突っ込みをもらった。(あ、でも今思えば実行列と交換すれば複素行列と交換するのは自明か。)


これは理物の盲点なのだと思う。



つまり、理物には「問題が美しくない場合には自由に問題を変更してよい」という強力な原理があり、まあ、これを仮に「ディラックの原理」とでも呼んでおこう。ディラックの原理は試験でも適用されることがあったほど、染み付いている原理なのだ。


ん、単に実数よりも複素数に慣れているからだって? まあ、それもあるかもね。

九年の謎

「君はあのこが好きだったんじゃないのかい?」僕はそう聞いた。
「いや、そんなことはないよ」
「ふーむ。僕がそう判断していた理由はだね、中二のときにあのこの名前を出したら知らないふりをしたんだ。だから、強い感情的な何かがあるはずだと思ったんだ。」

「」

私が精神分析と出会ったのは小学校の終りであった。


「小児(未就学児)にも性欲はあるが思春期以降忘れてしまうのだ」というフロイトのドグマは世間で考えられている程は間違っていないことが見られたのは良かった点かな。

フランス文学科の意義

正直な話、日本の大学がフランス文学科を持つ意味なんて国家の飾り以外に無いだと思うのです。


誤訳があったというのは学科の意義丸ごと失いかねないのできちんと内部で浄化しないと。

2009/7/31 追記:
これは「赤と黒」を東大の野崎氏が翻訳したのを「誤訳博覧会」と立命館の下川氏が批判した件に関わる。

野崎氏に師事する院生が「野崎先生忙しかったんだろうなあ。たしかに誤訳だらけだ。だが学者の嫉妬が実にみっともない。」という旨を日記に書いた。すると、どのような誤訳があったのか教えてほしいとコメントした人がいた。それに対して「フランス文学への造詣がないどころかフランス語も読めんようなやつに答える義理はない。ゴシップ的に扱う下賤な大衆が一番の問題だ。」というような返事をした。これはそのことを非難する文である。


もちろん、この頃流行りの実学志向が正しいとは言わん。人は浅薄であるからして、予期せぬ不可視の還元はあるだろう。
そして、この話は非実学に限らない。大学は身中の虫に過ぎないのではないか。片利共生でなければ、せいぜい、ヴィタミンを生み出している程度だ。なぜこれを高尚といえるのか。


そこで私は問う。「仏文を持つ国家であると喧伝できる以外のどこに仏文の価値があるんでしたっけ。」

装飾

「この研究室紹介の写真、嘘があるんですよ。その証拠が写真にしっかり写ってます。」
ほう、なになに、研究室では適時議論が行われます、まあそうだろう。
「さあ、どこでしょう。」
といっても、ホワイトボードに書き散らした跡に専門的な間違いがあるとも思えないし。
「字がきれいすぎるんですよ。」
なるほど!
「つまり、これは議論したかのようにみせかけるために書いたのです。」

これは非常に示唆的だ。


つまり、数学で会話をしているときの板書は他の会話のときとは決定的に違う。後者は書いてあることが伝えたいことだが、前者は、ホワイトボードのだいたい斜め上あたりに伝えたいことがある。そして、これを幻視することで意志伝達がなされるのだ。このときに綺麗に書かれると遅いだけではなく却ってわからない。そのために、数学的に会話する人々は手書き文字を二種類持っている。そのために綺麗な字で書いているということが、議論の跡ではなくて装飾であることを意味するのだ。


残念なことに、この能力を持つ人々はそう多くはない。少なめに見積もると僕の感覚だと学年で500人くらい。日本全体で四万人くらいだろう。



さて、池田信夫さんについてである。

NATROM さんが以前「種を守る「利他的な遺伝子」」というエントリーで彼の生物学の知識の怪しさについて書いていた。
2007-04-27

自分のよく知らない分野(たとえば私にとっては経済学)について二者が議論しているとして、どちらの言い分が正しそうなのか判別する簡易的な手段はあるだろうか。私がよくやるのが、自分がよく知っている分野(たとえば私にとっては医学、遺伝学、進化生物学)についての発言を調べてみるということである。もちろん、医学についてトンデモ発言する人が別の分野では正確な発言をすることもありうるので、あくまでも簡易的な手段に過ぎない。<中略>

まずは分かりやすいところから。「動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る『利他的な遺伝子』によるものと考えられる」。えっと、全然違います。この文章だけで、池田信夫氏が現在の進化生物学を理解していないことがよくわかる。母親が自分を犠牲にして子を守る行動は、利己的な遺伝子によるものと考えられる。もちろん、命を捨てて子供を守る行動は利他的な行動だ。個体としては自分の生存率を下げる一方で、他の個体(子)の生存率を上げようとしているのだから。そういう利他的な行動は利己的な遺伝子によって説明できるってことを「利己的な遺伝子」でドーキンスは主張した。<後略>

やっちゃったか。という感じである。


  • 日本では大学の先生であることが保証する最低知的水準は恐ろしく低い
  • あんまり知的誠実ではない
  • 自然科学・数理系の知識がぼろぼろ
  • このタイプの声の大きい人間は避けたほうが良い
  • 私が経済学者を判断する能力をもっていない

よってあまり近づくべきでない。というように思っていた。


ところが、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1b677a730752b3ba389fff1ed0280952

重箱の隅をつつくようですが、「誤った仮定から導かれる結論はすべて正しい」というのは誤解を招く表現です。「AならばB」という命題があって、Aが偽ならば任意のBが正しくなったりはしませんよね。「AならばB」という命題が真になることとは別の話ですので。「仮定が偽ならば、いかなる結論を持ち出しても命題は正しい」ぐらいが良いのではないでしょうか。
また、「数学的に厳密な意味での関数=全単射」というのは、どういう意味で書いてらっしゃるのでしょうか?
「数学的に厳密な意味での関数」という単語が経済学でどういう意味を持つのか存じませんが、関数は全単射とイコールではありません。全射でも単射でもない関数なんて、いくらでも例がありますよね。
わざわざWikipediaを引用されていますし、経済学者は数学をまともに理解していなくても平気だということを宣伝されているのかもしれませんので、そうでしたらすみません。そのような宣伝活動には全面的に賛同させていただきます。

どうやら

経済学では「**関数」という言葉を安易に使うが、ペレルマンが聞いたら怒るだろう。数学的に厳密な意味での関数=全単射が実証的に観察できるようなマクロ経済データは、世界中に一つもない。

と、書いていたらしい。

このコメントよく消さなかったなあ。感心感心。
なるほど、知的に誠実という意味では学者の最低要件を満たしていないわけではないようだ。



それに加えて、とある人が彼の著作が面白かったという。
ただし、彼がつけた留保は

  • 自然科学・数理系は確かに「微細には」理解していない
  • 専門の文献はよく読んでる
  • まあ、でも代わりはいくらでもいるよね

といったところだった。



ハイエク」をざっと読んでみるか。



うん、予想通り。面白いのだから知らない分野については言及しなけりゃいいのに。分かっている人に添削してもらうでも可。
いくつか抜き出す。

P.19

量子力学は、古典力学的な素朴実在論では理解できない。物理量は確率分布としてしかわからないという波動関数や、物質の位置と運動量は一義的には決まらないという不確定性原理は、古典的な物質の実在や因果関係の概念をくつがえすもので、その解釈をめぐる論争は現在まで続いている。

「物理量は確率分布としてしかわからないという波動関数」は少々怪しい。分かっていない人間が自分の言葉で噛み砕くと劣化コピーになる。
「民主的な選考は存在しないという全順序」みたいな感じ。

P.132

とくにハイエクが批判したのは、時間の概念が入っていないことである。古典力学運動方程式は永遠の未来まで予測でき、時間について対称(時間がマイナスになっても成立する)だが、経済現象では未来の価格は予測できないし、一度やった失敗は取り返せない。

時間について対称と時間がマイナスになっても成立するとは違う。たとえば、拡散方程式は前者ではないが後者ではある。それになんか変なの。

P.170
はっきりしないが、ウィーナーを「情報科学の父」と呼ぶのはおそらく一般的でない。検索しても池田さんの blog がかかる程度だし。
情報理論の父」シャノンはよく言われますね。あとは、「計算機科学の父」チューリングあたりでは。

P.170

情報科学の主流になったのは、ウィーナーが考えたような自己組織系ではなく、外部からプログラムとして与えられた命令をメカニカルに処理するフォン=ノイマン型コンピュータだった。

ノイマン型を理解しているのかな。命令とデータが同等で自己改変コードがかけそうなのがノイマン型。他の場所でもノイマン型という言葉を何か別の言葉の代わりに使っている。玄人だったらなんていうんだろう。ステートマシンあたりかな。ちょっと違うなあ。いや、どちらにしても Church-Turing Thesis があるから、実装が本質的でないことは明らかなのだが。



ま、どれも些細だ。あと、相対的には上。あれあれ、これって id:flappphys立花隆について述べていたのと大体一緒じゃないか。
こういうのみるたびに「査読してくれる人いないのか?」って思うけれどもね。
あー、なんかやっぱり僕の理解が甘いけれども、きっと単純にしてくれる人がいないんじゃなくて、そういう人がいないだけなんだなあ。

面白い

どこが面白いの? と聞かれて怒れる分野のものは幸せだと思った。物理だとしょっちゅう聞かれるぜ?
Master 在籍の学生だと答えがいい加減でも許してもらえるけれども、これに答えられることは Ph.D の要件であろう。

Sharp

液晶テレビが壊れたので直してもらったそうだ。


2年1ヶ月で保証期間外で当初部品代が二万円ということだったのだが、交換した基盤を置いていってください、といったところ技術料も含めすべて「ただ」になった。

集団としての所有

あれはいつのことだったか。とある学園祭で、あるクラスの女性が酔った勢いで通りがかった別のクラスの男性に抱きついたので、酔った勢いで女性と同じクラスの連中が殴りこみに。


僕ですか。まったく関係なかったんだけれども、その直後に近くを通ったので、適当に仲裁したような記憶がある。
クラスの代表が代わりに謝罪していたので、お気持ちはよくわかりますが暴れた本人の酔いがさめた後にしましょう、とか。
そしたら性格が最強だなとかいわれてしまった。



集団による女性の所有という概念は人間のわりと根源にあって、これに逆らうと適当に別の理屈をつけた上でまったく合理的でない非難を浴びる。

もてない証明

もてるでしょう、といわれて面倒だなあ、と思った。
もてるためには、何がもてるのか分かっている必要があるだろう。だが、僕がもてるとしたら、僕は僕をもてると思っていないので、よってもてない。
とてつもなくわかりにくいけど、これ話の枕ね。


証明方法とか云々 - くるるの数学ノート をみていて、二重否定をできるだけ外側にもってくるようにストーリーを作っているんじゃないかとふと思ったのです。

量子脳理論

量子脳理論 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3への返事を頂いた。
id:nucさんのところのエントリに反応してみるよ - くるるの数学ノート
■ - 186 @ hatenablog
とっても勉強になる。


僕の主張を繰り返しておくと、次のようになる。「強い AI 論」は間違っている可能性があるのは事実だが、ペンローズの「強い AI 論は間違っている証明」は証明になっていない。
なぜならば、「機械にさせているのは F の中で F の無矛盾性を示させることだが、人にさせているのは F のモデルをもてるような形式言語の上で F の無矛盾性を示しているだけであり、この言語が矛盾した言語である可能性がある。このため対称性が破れている。機械を超えていることを示すには、それに加えて、この形式言語が矛盾を導かないことを F の中で証明しなくてはいけない。そしてこれは不可能。」


あとは、(チューリングマシンと等価な)ラムダ式の決定不可能性の証明ではゲーデル文使うのとか、カリーハワード同型対応とかから証明と機械を適当に同一視しても構わんのだろうなあ。
ほかに、効率を度外視すれば、すべての証明できる文がいつか出力されるチューリングマシンは作れる。
それと、量子論の範囲ではチューリングマシンの能力が増加することはないが、ペンローズもいうように オラクル教再掲 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3 で作ったような世界である可能性も否定はできないから「強い AI 論」が間違っている可能性もあるだろう。

Haskell と Bool 環

ハスケルの不満なところ。型パラメータ。ライブラリが弱い。

Bool が Num の instance でないのがありえないと思う。

instance Bool Num where
  (+) = (\x->if x then not else id)
  (*) = (&&)
  (-) = (+)
  negate = id
  abs = id
  signum = id
  fromInteger = even

でしょう。

ようするにですね、XOR がなくて

(if a > b then not else id) c > d

と書いたらはまったといいたかったわけです。

攻殻機動隊

クラックまでの時間がプログレスバーで表示されるのには物凄い違和感。
っていうことは、彼らの使っているセキュリティーが決定的にクラックできるものであり、さらに必要計算時間も一定だというのだから。


もちろん、演出としては切迫感があってよいと思いますよ。

常温超電導物質

呑み会で、
「理論の先生は BEC から判断するに常温超伝導は 2000 K でもおきるとかいっているけれども信じられないよな。そうだったらそこら中に常温超電導物質がありそうなものだ。」
「意外と身近なところにあるんじゃないですか。イカとか。軸索あたりに。」
そして、それからしばらく飲み会の話がイカになった。
SQUID SQUID interaction

ムーア

呑み会で「ムーアの法則が成り立てばNP完全問題も線型時間で解ける」と叫んだところ会場が爆笑に包まれ、日記のネタにされた。


背景を説明しておくと、
RukeとLuNaYuの日記 シンリロン
に書かれていた内容を一言でまとめたものです。


一部の人にしか受けないネタであることをご了承ください - そこには なにもありません〜下克上〜
はじめてのにき(2007-08-11)
*1

*1:なぜ、これがいまさらでてきたかというと、これは ICFP-C 呑みでの発言で、ICFP-C はこの日記と分離されていたのだけれども、実験的にいろいろと統合を開始したから。

マスタード

アトランタの幼稚園では給食が出ていた。
ある日、ホットドッグがでてマスタードをつけるかと聞かれた。それは何かと聞いたところ、ちょびっと辛いものだという。試してみて、ちょっと大人になった気がした。

Net

http://d.hatena.ne.jp/succeed/20081004#c1223126963

これはこれで迷惑なんだが、 このゲームの存在も迷惑。
http://www.jurjans.lv/stuff/net/FreeNet.htm
大学から帰れなくなった。

http://www.jurjans.lv/stuff/net/FreeNet.htm

これ実は大学の二年生ごろにこれの幻覚を見るほどやった。
難易度のばらつきが大きいのでタイムアタックにはむかない。ただ、この状況でここが決まるという定理を量産するのにはまったのだ。
一辺の長さが n の初期状態を受け取り正解を出力とする問題クラスの NP 完全性を証明してみよう。これはたぶん SAT に帰着する。


まずは、問題の定式化。
n*n の升目に次の五種類の駒のどれかが置かれている。

  • T字路
  • 直線路
  • L字路
  • 行き止まり
  • 空白(実際のゲームではこれはめったに出ない)

これらを適当に回転させてグラフ理論でいうところの木を作る。また、升同士の境界には壁を作っていいことにする。

wire と NAND と bridge と branch と terminator を作ればいいに違いない。

ハブ

どうやら僕は高校の同期に便利なやつと思われているらしく、仕事で分からないことがあると相談をされる。
もちろんすべてに答えられるわけではないので、そのときには誰に聞けばいいかを判断して投げることにしている。
誰が知っていそうかを推測する能力は極めて重要だということが分かってきた。

同棲

先輩の事を指して、実家暮らしなのに結婚するなんて、というから、君は反対されてるのか、と聞くと、ごはんがでるとかさびしくないとか結婚のメリットが満たされているからだという。
その返事。

でも、アメリカだと家がでかいものしかないからとりあえず同棲しておくっていうね。

そう考えると、東京は狭いから実家から通えるし、家は小さくて高いし、食事もファミレスやコンビニで済む。

同棲相手をみつけるための経済的インセンティブが働かないんだね。道理で。



偉くなったら、同棲したくなるような適度に住みにくい日本を作ってよ。

どこかでみた

お日様に誓って言うが、そのつもりだった、
お前と一緒に寝るまでは。

Hamlet でした。Act 4, Scene 5。

By Gis and by Saint Charity,
Alack, and fie for shame!
Young men will do't, if they come to't;
By cock, they are to blame.
Quoth she, before you tumbled me,
You promised me to wed.
So would I ha' done, by yonder sun,
An thou hadst not come to my bed.

歯垢染色剤

歯医者で歯垢染色剤を使ったときに
「これ、物質としてなんですか」
と歯科衛生士の方に聞いたら少し迷った後で
歯垢です」
と答えていたのが個人的に面白かった。


調べたところ赤色104号が代表的だそうだ。

Slutsky equatioin

うーん、どうも感覚的に納得がいかない。いや、そりゃ示せといわれたら示せるんだが。たぶん、偏微分に対して何らかの偏見を持っているのだと思う。

とある数学科の方は、先生を指して「17が素数であることが分かるように分かっている」という表現を使っていた。なるほど17は素数かと聞かれれば証明をする前にそうだと答えられるし、証明しろといわれればできる。しかし、証明のように分かっているわけではない。

ペギオ

ぺぎおさんは体を張って「知の欺瞞」をやっているもんだとばかり思ってましたが。

中和剤 - bonotakeの日記

いや、なんていうか僕はもともととっても中二病だったために、高校くらいまで大量の衒学的な文章を読んできていて、そのおかげでとっても残念なことに、どういう勘違いをしていて、それをかっこよく表現しようとしているかがなんとなくわかってしまうんですよ。だって、彼らたいした数式処理訓練を受けてきてないからできる思考パターンが少ないんですよ。

本質的な理解

大人は、小学校の教科書では国語と算数はどちらが速く読めるだろうか。
おそらく算数のほうが本質的に理解すると驚くほど速く読める。

http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0503.html#28t1

最近凄い勢いで本を買っているな。2、3日に一冊くらい。小説ならどって事ない数だけど専門書でこれは我ながら驚く。

むかし、教授たちの部屋とかに壁面いっぱいに本があるのをみて「これを全部読んだはずがない、飾りか?」とかちょっと思ってました、ごめんなさい、この勢いだと自分も早晩そんな感じになりそうです。

秘密はこういう事だ。どの人の本をとってみても、他の人も書いているような事しか書いていない。特に専門書だと。結局読むのはその本にしかない数ページから数十ページだけなのだ。だから読むのがどんどん速くなる。仮に全部読んでも、知っている事だから読むのは小説よりも速い。

学生の頃は書いてある事がuniqueでないとしても、何も知らないから全部読まなければならない。で、やっと私も知識の前線まで辿り着いたと言う事だ。

僕がこのような経験を初めてしたのはある数値計算技法の本を読んでいたときだ。高速フーリエ変換を応用していたためにそれの解説をはじめた瞬間に数十ページがラノベのように読めた時には驚いた。

拡張

違和感の原因を真剣に洗っていたところ、x を const x とする拡張が原因であり、これは非常に重要だという結論に至った。しかしながら、定数を関数にキャストするのは混乱をまねくよね。
cast - 白のカピバラの逆極限 S.144-3

冗長性

銀行で17の倍数だけ引き出せるように設定できると安全性が高まらないだろうか。

つまりですよ、この世の中というのは冗長性がいろいろなところにあって、そこはいろいろな目的に使えるはずなんです。

有理数線形写像

2006/06/30
教養学部の某先生のプリントの線形システムのフーリエ変換の話にある、線形システム L の定義が実数から実数への(連続?)写像加群準同型、だけになっていて、解けないんじゃないかな、といわれる。
この定義だと R を Q vector space とみなして、Q 線形写像とすると、線形システム L になってしまうので、R 線形性がいえない。

ただし、選択公理を必要とするね。

胎児血清

2006/07/01
生物学は科学の手法に忠実じゃない。

FCS 細胞培養の UNKNOWN FACTOR 遺伝子多型発現。

牛の胎児血清を使って細胞培養をすると、いろいろな微量の物質の影響できちんと細胞が育つのだけれども、それは牛の胎児にだって遺伝子多型があるだろうから細胞培養の結果にばらつきがでたときに、それが培養液が原因であるのかもしれないだろう。このときに、生物学は科学の手法に忠実じゃない、といえないかねえ、という文章だと思われる。

名前と業績

小学生むけの調査で教科書に出てくる42人の歴史上の人物の名前と業績の対応をつける問題をだしたというのだが、これ明らかに正答率は選択肢によるだろう。似たような人が多いと正答率が下がるに決まっている。

rogue の最適解

2006/8/21
rogue の最適解。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rog-O-Matic
たとえば、同じ道を通るようにすれば罠を踏みにくいだろうし、人間が人間であるが故の制限って結構多いんだろうなと。

rogue というゲームがあり、これは学習機能付きの AI に遊ばせる研究がおこなわれており、熟練プレイヤーよりも上手に遊ぶという。しかしながら、人間ならば、序盤で詰みそうなときにはさっさとやり直して死ぬまでにできるだけ細かく稼ごうとしないだろうし、往路と復路で同じ道を通ることで罠を踏まないようにするなどといったこともしないだろう。だから、熟練プレイヤーよりも上級者であるということは驚くことではないのだろう。

惑星

2006/8/18
惑星の数は多いほうが宣伝効果が高いと思う。

冥王星準惑星を格下げることになった。子供たちは惑星ならば覚える。このときに惑星の数がもう少し多い方が天文学としては宣伝効果が高いのではないだろうか。

人であること

2006/8/17
いかに数学といえども人が人であることから自由ではない。


GEB にあったルイス・キャロルの「アキレスと亀」の話がよい例だろう。これは「A」と「A ならば B」から「B」を導こうとするアキレスに、「A」と「A ならば B」と「「A」と「A ならば B」から「B」」がなくてはいけないと亀が言い返し、いつまでもきりがないというものだ。


こういった相手に対しては、指を指して嘲笑うことしかできないのだ。


それがどれほど豊かな構造を表現できるかがその体系の価値を決めるのだろう。

printf

2006/8/17
http://japanese.engadget.com/2006/08/04/au-w42ca-w42h/
au W42CAおよびW42Hに特定の文字列を入力・表示すると強制再起動してしまうバグ
%n, %S を表示させようとすると強制再起動だそうだ。

原因を推測できる人にとってはキーボードや枕に顔を埋めて脚をじたばたさせたくなるほど恥ずかしい悶絶もののバグ

ポワンカレ予想

2006/8/8
ポワンカレ予想が解けてたみたい。
Since then the full text of the Cao-Zhu paper has appeared (300+ pages):


Huai-Dong Cao and Xi-Ping Zhu
A Complete Proof of the Poincare and Geometrization Conjectures -
application of the Hamilton-Perelman theory of the Ricci flow
Asian J. Math. 10 (2006), 165-492
http://www.intlpress.com/AJM/p/2006/10_2/AJM-10-2-165-492.pdf


Also, John W. Morgan and Gang Tian have uploaded a manuscript of their
500-page book to the Los Alamos ArXiv:


http://arxiv.org/abs/math.DG/0607607


Morgan and Tian were supported by the Clay Mathematics Institute; see in
particular their acknowledgments on pages 34-35.

身体刑

いまさら、ふらっと、なんだという感じでしょうが、法をやっている友人とこの話になりまして思い出して来てみました。
現在の日本人も刑罰といえば罰金と懲役を思い浮かべると思います。しかし、監獄の誕生を読んで知ったのですが、歴史的に見ればこれらが重視されるようになったのは近代になってからでそれまでは身体刑が中心でした。
裸の思考が殺されてきているのは肯定的に受け取るべきことではないんでしょうかね。

http://web.archive.org/web/20060625081929/http://d.hatena.ne.jp/SNMR/ の 2006/06/21

スピン

2006/7/28
スピンの応用として、文字の認識などがあげられるが、あれ正直どうなのよと。

スピングラスの話だと思われる。文字の認識ができるという事実は興味深いけれども、そこからどのような知見が得られるのかよく分からなくて、それ自体の技術的な応用があまり期待できないなら、広告の役目にしかなってないんじゃないかな、とかいうことだと思う。
まあでも、人間の脳の簡易モデルのようだというなら、それはいいか。

ろくな教育

2006/7/4
ろくな教育もしないで東大に50%以上入る高校があるのは受験技術の独占が行われているということでよろしくないのではないか。
だいたい、入ったごときでいい生活しようっていうのが虫がよすぎる。

ルービックキューブ

2006/7/4
ルービックキューブ群論を用いて解こう。

としたんだが、隅八つを合わせる手法を開発したところで面倒になった。
やっていたことは、角の八つを記録してから下の面の隅の四つだけが不変になるような手順を探索して、そのときの上面への作用を調べること。

ひげ

2006/7/3
問題
村人の髭をそる。

おそらく、これはよくある問題をさしているのですね。


「ある村の床屋は、自分で自分の髭を剃らないすべての村人の髭を剃る。さて、この床屋は自分の髭を剃るか。」


矛盾が導けたときにどう振舞うかというのはどのように学ぶんでしょうね。

なぜ円高で不況になるのか

ごめんなさい。アクセスできなくなってます。
http://d.hatena.ne.jp/qqqlxl/20081025/p1#c1225075079
自分のコメント部分だけ切りだし。

おっしゃるとおり、円高国益のはずだ。
結局、日本は資源国でないから円の一階微分安が短期的に輸出産業に効いていたということだよね。


だとすれば、急激な変化に対してきちんとヘッジをしていれば円高という変化によって輸出産業の首が絞まることはなかったんじゃないかな。
あ、これは現状ではなくて過去の話ね。

なるほど、先物取引はあんまり考えていなかった。
実質的なヘッジになるね。


上の書き込みは下のような思考があった。経済を深く知らないしきちんとつめてはいないから突っ込み待ち。


極めて極端なケースとして、すべての物価はドルに連動しているとしよう。
つまり財布から出し入れするたびに両替が行われる。
その状況において、円高は財布の中身が単純に増加した(あるいは借金が増えた)ことに相当するはずだ。
で、このモデルが作るであろう状況と現実の差を考えたときの差をなんらかのコンダクタンスのようなものが日本経済の随所で発生しているからと説明できるかなと。
そう考えると、ヘッジが十分でないのは企業に限らないと思うのだよ。
たとえば、一年分の国家予算はすでに円で決済されてしまっているから過剰な税金を取ったことになるかも知れない。
とか思ってたんだけれども平均的な国民はローンを組んでいるからたいてい実効的な資産が負なのかな。

問題が解けた

問題が解けたとは何か。「微分形式による解析力学」を読んでいて、これが分かっていないことに気がついた。Pfaff 方程式系が完全積分可能の定義を見ていたときだ。
たとえば、3 -x = 0 は x = 3 という形で解けたという。この作業っていったい何なのだろう。

あんまり関係ないんだけれども、最近たまに名前のない感情に出会うことがあるなあと思いました。
直すほどではないんだけれども直しそこなったみたいなときの無限小が無限小へと膨らむような感情。


それはさておき、ロジックにゆがみを感じた時にはその周囲へのダイブを繰り返すようにしています。
最近はミクロ経済学を触っていてどうも違和感を感じたので、偏微分のどこかに穴があるような気がして探し中。常微分方程式論や解析力学まで足を延ばした。とりあえず見つけたのは、定数と定数関数との同一視を当然視できていないこと、微分形式と偏微分に関する理解不足、解けたとは何か。

知識の構造化

機械が壊れて直さないといけないとき、まず、電源ユニットが動いているかどうかから確認する。ここに問題があるとそもそも他の確認に意味がないからだ。
思いつくままに問題がおきうるところをあたっていく、という方法をとらないのは、ある程度科学に親しんでいる証拠らしい。

交換関係

フェルミオン\{a^\dagger,b^\dagger\}=0 という反交換関係を満たす。
私の理解では、そもそも第二量子化は基底を作るために非可換環で基底を用意しようとしているのだ。だから、どの順番で加えるかによって正負が変わるというのは本質的な理解ではないのではないか。
キリング形式の極化の方法みたいなことをすると、反交換関係って冪零からすぐに出るのだが、これが非直感的なのは、やっぱり重ね合わせが非直感的だからじゃないかな。

モード

南部ゴールドストーンモードは不思議。同値類で割る。

たぶん、対称性がどのように破れても同じ物理法則が実現されることから、なんらかの同値類で割ることにより別の理論ができそうだ。しかし、それはグローバルに割っているわけで多分場の理論にはならない。


ゲージって何しているんだろう。場の量子論の表現力を大きく引き出すのか。


ネーターこわい。

速度

計算速度は本質的に重要だ。
The Guerrilla Guide to Interviewing (version 3.0) – Joel on Software
採用面接ゲリラガイド(version 3.0) - The Joel on Software Translation Project

ポインタを理解するのは先天性の才能だ、などは(判断できるほどの経験もないが)あまり同意できないのだけれども、この「簡単なことをする速度が難解なことを理解することに本質的に重要だ」というのは面白い。

イデアルと円の交点を通る直線

高校のときに、どうしても腑に落ちなかった解法がある。


二つの円があり、それぞれの方程式を
\Large (x-x_i)^2 + (y-y_i)^2 - r_i ^2 = 0
とするときに、この二つの交点を通る直線の方程式は
\Large \sum_i (-1)^i ((x-x_i)^2 + (y-y_i)^2 - r_i ^2) = 0
というものだ。


別に間違っていると感じるとかそういうわけではない。


私は、それこそ小学校のときから感性で数学を解いていた。
花瓶には花が生けられるべきだ。池には魚。空には雲。
すると自然に解けている。


ところが、この解法はそうではない。何か誤った方向に
遠回りをしようとしているように見えて結果的に綺麗に解けるのだ。


ところが、最近イデアル概念からこれを整理したら自然にみえた。

gradient maker

gradient maker という機械がある。これはその名のとおり濃度勾配を作る機械である。


たとえば、上が薄くて下が濃いような砂糖水を作りたいとする。だが、いきなり混ぜたら二層に分かれる。そこで、二つの同じサイズのタンクを用意して細い管で繋ぐ。片方に濃い砂糖水を入れて、片方に水を入れて、濃い側の底に穴を開ける。
濃い側から減った分の半分の量が移ってくる。


さて、この機械が作る濃度分布はどのようになるか。


早稲田のクラスで二人しか解けなかったと聞くが、別に難しくはない。

万物理論の作り方

ハミルトニアンを足せば両者を統合した理論って簡単に作れるよね。でも、それって別にうれしくないんじゃないかな。」そのようなことを教養学部時代に友人に聞いたことがあった。
標準模型はパラメータ自由度があるというのが不満とされているが、たとえばある関数の零点をパラメータとして与える約束にしたら、まるでパラメータが関数ひとつになったかのようにみえるけれども綺麗じゃないから価値がない。
でもその綺麗って何?
時間と空間をベクトルとすることは相対性理論以前にもできたはずだけれども当時はそれに意味がなかっただろう。
逆に、理論は何をもって価値を見出しているのだろうか。

Theory

セオリーという語は分野ごとにだいぶ印象が違う。
ゲームの定石に theory of mind から場の理論まで。


標準モデルはモデルなんだよなあ。生物だとモデル生物のような使い方をする。
いま気がついたが、標準モデルって論理学と素粒子論で違う意味を持つのか。

チャーチ数の本質(nop と lambda の宣伝)

nop :
nop は no operation の略です。
マシン語などで何もしない命令を意味します。
この命令が重要であるのは逐次実行という
二項演算子単位元であるからであります。
インドで 0 が発見されて以来、
我々は数多の単位元に感謝をささげてきました。
しかしながら nop は単位元として
正当に評価されていると本当にいえるのでしょうか。


lambda :
ご存知、ラムダ計算を象徴する文字で
ネクタイに縫い付けられたりします。
ラムダ計算は
f(x) = a*x+b
のような関数 f を
λx . a*x+b
のように書くことにしたものです。
面倒なので以下
\x -> a*x+b
としておきます。


普通の関数は domain が集合でないといけないのですが、
なんにも制限をしないことにします。
(\x -> x) (\x -> x)
のような気持ちの悪いことも許します。


α変換
\x -> a*x+b
から
\y -> a*y+b
に変換するのがα変換です。


β簡約
(\y -> y y) (\x -> x)

(\x -> x) (\x -> x)
に置き換えるのがβ簡約です。


重要な定理としては
チャーチ・ロッサー
「X をβ簡約しまくったものが二つ(A,B)あったとすると、
A と B をうまくβ簡約しまくると同じものに出来る」
決定不能
「A と B をβ簡約しまくって同じかどうかを判断する方法はない」


チャーチ数っていうのは
ラムダ計算上に自然数を構築する方法。
#> zero = lambda f : (lambda x : x) はとても理にかなってる。
#ということですけれども、ラムダ計算は相当複雑な構造がもてるので
#ここにも自然数構造が埋め込まれていた程度だと思っております。


こいつらには名前がついていることがあって、
ラフな理解では
I が恒等演算、K が定数関数作成関数、B が関数合成です。
ちょっと前に上がっていた Y がループっぽいのです。
他に R が再帰関数っぽいやつです。


ほかに重要なのは
チャーチ・チューリングのテーゼにもつながる
チューリングマシンと同程度の能力があること。


あとは、
型付ラムダ計算というのがあって、
ラムダ式のうちからお行儀のよいやつだけを選び出そうという企画で
もっとも単純な型のつけ方だと
正規化可能
「どんな型付ラムダ式もβ簡約しまくるとそれ以上できなくなる。
あと、その結果は一通り。」
ということが成立します。
なので Y の型付けは、普通つかないといったのはそういうことです、はい。


それから、プログラミング言語にあると便利。

人形のセレナーデ

serenade of the doll, to the doll, for the doll

ドビュッシー子供の領分の英語表記に揺れがある。


第一感、

ドビュッシー、フランス人だから翻訳ゆれじゃない?(適当)
ヨハネ福音書
ヨハネ福音書
ヨハネによる福音書
全部いうみたいなもので。


ところが

はずれ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Children%27s_Corner


There are six pieces in the suite, each with an English-language title. This
choice of language reflects Debussy's Anglophilia, and may also be a nod
towards Chou-Chou's English governess. The pieces are:<[snip]>
3. Serenade for the Doll

もうちょっと調べるとあった。

and here is the answer.
http://72.159.2.237/schools/chalkville/specials/cocke/musiced/R-Children.htm


> In the table of contents of the original score, it is listed exactly as
> “Serenade for the Doll – (Sérénade à la poupée)”. The correct translation of
> the French is “Serenade to the Doll.” To unintentionally complicate things
> even more, Debussy wrote “Serenade of the Doll” above the actual score.[12]


要は、目次には for と書いたが、そこについているフランス語を訳すと to
で、楽譜には of となっているらしい。

真であること

証明できることと真であることは異なる、というのだが、個人的には真であることという概念がそもそもないかのように感じる。
ブルバキの洗礼を受けているからだろうか。


しかし、そんなこといったらモデルという概念がここに依存しているように感じられるからこれを捨てなくてはいけない?
むう。

結託じゃんけん

n 人が同時にじゃんけんをして勝敗を決める。あいこはやり直し。負けた人は抜けていき、最後に残った人の勝ち。
このときに実は n-1 人が結託しているとしよう。
彼らはどういう作戦を立てれば、結託しているうちの一人が勝つ確率を最大にできるだろうか。


ただし、話を容易にするために結託している人々だけ共通の乱数源を読むことができるとしよう。

空集合の一点集合

2006年11月

学生時代とても頭が良く切れ者の知り合いがいまして、その人は文学部だったのですが、数学も良く出来、難しい大学入試問題もすらすらと解いてたのです。ところが一度数学談義になり、彼が言うには
\emptyset\{\emptyset\}
の違いが分からないというのです。で、そのときはどうしてこんなに頭の良い人が、これほどあたりまえの事実の把握に失敗してるのか理解出来ず、通り一遍に片方の要素の個数は
0 で、もう片方の要素の数は
1個なので違うじゃない、等色々説明を試みたのですが、結局分かってもらえなかったのでした。別にそれで特に困るわけではないので、一時間くらいであきらめましたが。

これは以前から非常に面白く考えさせられる記事だと思っておりました。


2008年12月
というわけで

そういえば perl というプログラミング言語では
(0,(1,2)) と ((0,1),2) と (0,1,2) が同じですよね。
……関係ありませんでしたか。


私はこれは誤設計だと思っていて、この原因はこの話と本質的には同じだと思うのですが。


[ ] と [ [ ] ] を使うプログラムは Haskell を知るまでは書けなかった。たとえば ruby で書いてるんだけれども。

化学式

日能研の同窓会へ行ったら多くの人から独立に「あの頃はものすごい数の化学式かけたね」と言われて参った。
ガキの価値観として、これが宇宙の真理である、というのがあったのだろう。


いまはブドウ糖すら怪しいよ。

クレオール

Problem 20 - 毛のはえたようなもの
Problem 25 - 毛のはえたようなもの
をみて、書きたいコードがあまりにも違って面白かったので。


Project Euler は半分弱 Haskell で解いたこともあり思いつくアルゴリズムから Haskell の香りが漂う。

100! の各桁の数字の和を求めよ。

#project euler 20
p (1..100).to_a.inject(1){|a,b|a*b}.to_s.scan(/[0-9]/).map{|a|a.to_i}.inject(0){|a,b|a+b}

これはどう考えても

main = putStrLn $ show $ sum $ map (read.(:[])) $ show $ product [1..100]

の影響。

はじめに1000桁になるフィボナッチ数列の項の数

#project euler 25
c=[[1,1]]
p c.inject(0){|i,(n,f)| if f <10**999 then c << [n+1,i+f];f else n end}

こっちは

main = putStrLn $ show (let fib = 1: 1: zipWith(+) fib (tail fib) in fst $ head $ dropWhile ((<10^999).snd) $ zip [1..] fib)

を髣髴とさせるでしょう。


もうひとつ思いついたこっちは Lisp っぽいかな。

#project euler 25
def f(n,a,b)
  if a < 10**999
    f(n+1,b,a+b)
  else
    n
  end
end
f(1,1,1)
main = putStrLn $ show $ f 1 1 1
  where
    f n a b
      | a < 10^999 = f (n+1) b (a+b)
      | otherwise   = n

いつも inject で副作用するようなひどいコードを書いているわけではない。

Machin の公式

\Large \arctan x = x - \frac{x^3}{3} + \frac{x^5}{5} - \cdots
をみて、Machin の公式の話をしたくなった。


円周率は 3.05 より大きいという問題が東大入試に出た。


ああ、Machin の公式、と思いながら結局正多角形で近似をするオーソドックスな方法で解いた。
これは arctan の加法定理とテーラー展開を知っていると、手で計算しやすい級数展開が用意できるのだ。
x = \tan y逆関数微分すると
\frac{dy}{dx} = \cos^2 y= \frac{1}{1+x^2}=1-x^2+x^4 - \cdots
収束半径 x<1 で、0 から 1 まで両辺を積分
\Large \arctan x = x - \frac{x^3}{3} + \frac{x^5}{5} - \cdots である。
ところで、\Large \tan(a+b) = \frac{\tan a + \tan b}{1 - \tan a \tan b} だから \Large \arctan a + \arctan b = \arctan \frac{a+b}{1-ab}
級数が計算しやすそうなものとして、1/5 を使うように選ぶと
\Large \pi/4 = \arctan 1 = 4 \arctan \frac{1}{5} - \arctan \frac{1}{239}
となり、こいつはとても楽に手計算できる。

ベル不等式の破れ

ベル不等式を解釈しまくる、というのは企画として面白いじゃないだろうか。解釈問題っていうのは、量子力学の妙なところを日常用語で表現しようとするから起きるわけで、じゃあ、逆にものすごく妙なことが起きているときにどのような日常用語で表現されるかを考える。

倍数グラフ

任意のグラフG(V,E)に対し、以下の条件を満たすような
Vから自然数への単射fは存在するでしょうか。


条件: f(u)がf(v)の倍数または約数 ⇔ (u,v)∈E

存在しないグラフがあるとの答えをだした後にこのようなことを思った。

ありゃー、
できないんだったら出題するわけないよなと
帰納法するためにちょっと書き出したら |V|==3 で
これはできないと感じて作ったのが上です。


なんていうか、
出題者が答えを知っているか否かを知っているか否かで
方針の立て方が相当変わりますね。

種の壁

種の壁を越えるほうが、性別の壁を越えるよりも易しいというのは変じゃないかな。
それと一緒で僕は一人でもニョロニョロの群れなんだ。
しかしだよ、遺伝子の表現形のレベルで考えれば、哺乳類は雄がヘテロなのに対して鳥類はホモではないですか。
それじゃあサンゴになりたいというのは許せる? 群体だけれども。

フェーザ法

フェーザ法について - hiroki_f’s diary
フェーザ法っていうのか。


この方法は小さいころ複素数とともに知ったと思う。そのころは回路が何なのか分かっていなかったけれども。

実関数空間の線型演算子Mから複素関数空間のインピーダンスZへの移行は圏論における関手の例となっている。

というようなことを考えたときに、
なぜ、量子力学における複素数の利用は本質的で、それにたいしてフェーザ法はそうでないと感じるかという疑問がわく。
フェーザ法では線形写像に制限した後に複素数へと移すことができるが、それに対して、量子力学のほうは、ある種これが真理であり、それが下部構造を持っていないと感じているからではないだろうか。

ノラ

http://d.hatena.ne.jp/nuc/20060822#c1156435312

雄のくせに「私はノラよ」とばかりに家を出たのだろうが,

というコメントがいまさらだが秀逸すぎる。


猫なのにヒバリ扱いされるのに嫌気がさしたのかもしれない、とでも答えればよかったか。

オーロラ

> オーロラってなんでいつも見られないの?
いつも見られたらロマンチックじゃないからだよ。
> なんであんなにキレイなの?
よく知らないけれども、荷電粒子が地磁気に巻きついて大気圏に飛び込んだときに大気の分子を励起させ、準位に対応した色を放出するからじゃない。

振幅

波動関数の振幅の2乗が存在確率になることは自然に導出できる。
ある場所にピークを持つデルタ関数を挟み込んで積分すればその場所での存在確率が出てきて、デルタ関数の場所を動かせば振幅の2乗。

しかし、そのときにその基底で同時に運動量演算子微分であるところは不思議に思える。