エリート二世
桜蔭、東大から弁護士資格を取って中央官庁で働いている友人がインタビューを受けていました。
そして、SNS にインタビューを受けた旨を書いて、記事へのリンク(https://blogos.com/article/164974/)を貼っておりました。以下の文章は、その SNS のコメント欄に投げ込まれたコメントです。
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これ、すごい「エリート二世」らしい文章だと思うのよね。
田中裕子さんは、日本のエリートと呼ばれるような人たちと同質のつもりだったようだが、もともと同質でなかった、というのが僕の読んだ感想。
沖縄で1年過ごして世界観が変わる話は、要するに、それまで田舎に行ったことがなかったってことだよね。観光で上っ面を舐める以外。
普通は家族や親戚がいて、それなりに田舎の生活というのを知っているんだ。
東大でも、半分は地方出身。東京出身でも、その親はおそらく高度経済成長期における集団就職などで出てきていて、当時、大学進学率は2割程度。都会に出てきていても多くは別にエリートではない。
なんで、日本のエリートと呼ばれるような人たちが経歴の自慢をするかといえば、それが本人の周囲から突出していると自分で思っているからだよ。例えば家族とかから。裕子さんは、これが分からないからそれが鼻につく。「なに東大入った程度で、エリート気取りなの?」「なぜ大学院行った程度で、エリート気取りなの?」「どうして弁護士になった程度で、エリート気取りなの?」
それが期待なのは仕方ないじゃないか。彼らには、子孫のための足場を中央に作るという人生をかけた大きな仕事があって、それが無事にできそうなのだから、それ以上余計なことをしてはいけない。
その上、親の世代は、多くが教育の仕方が分からなくて、多くは苦痛を与えることが教育だと思っているときている。
さらに、職業選択もかたよる。資格業を好むよね。中国の田舎の子供たちが小学校教師と郵便局員になりたがると聞いたことはないか。それくらいしか知っている職業がないんだ。
こうやって、大学をでてもまだ優等生でいらっしゃる方ができあがる。
でも、裕子さんにはその水準がしょうもないものに見える。
なんで、この水準が当然になる路線が既定路線だったのか。親でしょう。
もちろん、この路線は自分で選んだと思っているかもしれないけれども、反対を受けないという時点で刷り込まれてたのさ。
なぜ二世が親世代から「既定路線の刷り込み」がくるかといえば、そりゃもちろん、親世代は田舎の生活を知っているからで、親世代が比較して判断する能力があるからだね。親がエリート一世だから。
で、沖縄に行って、漁業をしてもいいと理解した割には漁業をしてなくて、中央省庁で官僚をしている。ようするに、沖縄の経験によって、下々の者の暮らしが、思い込んでいたようなひどいものではないと分かり、そして、その上で、成り上りの「日本のエリートと呼ばれるような人」と共にいることを耐えてでも、エリートとして生きることを選んだ、という話だね。
全体像までもう少しだ。成り上がりは、もともと下々の者から這い上がってきたという自負があるのだ。それが、「エリートと呼ばれるような人々」がどうして鼻につく連中かの理由だろう?
だから、これは半歩先んじた話じゃないんだ。一周先んじていた人が、ようやく相対的な半周遅れを理解した話なんだ。もう少しで一周遅れの「エリートと呼ばれる人々」も理解できるようになるよ。
困難を乗り越えて、中央の足場として死のうとしている。本当に立派じゃないか。
たまには、両足で踏んでいるものをみてよ。