フランス文学科の意義

正直な話、日本の大学がフランス文学科を持つ意味なんて国家の飾り以外に無いだと思うのです。


誤訳があったというのは学科の意義丸ごと失いかねないのできちんと内部で浄化しないと。

2009/7/31 追記:
これは「赤と黒」を東大の野崎氏が翻訳したのを「誤訳博覧会」と立命館の下川氏が批判した件に関わる。

野崎氏に師事する院生が「野崎先生忙しかったんだろうなあ。たしかに誤訳だらけだ。だが学者の嫉妬が実にみっともない。」という旨を日記に書いた。すると、どのような誤訳があったのか教えてほしいとコメントした人がいた。それに対して「フランス文学への造詣がないどころかフランス語も読めんようなやつに答える義理はない。ゴシップ的に扱う下賤な大衆が一番の問題だ。」というような返事をした。これはそのことを非難する文である。


もちろん、この頃流行りの実学志向が正しいとは言わん。人は浅薄であるからして、予期せぬ不可視の還元はあるだろう。
そして、この話は非実学に限らない。大学は身中の虫に過ぎないのではないか。片利共生でなければ、せいぜい、ヴィタミンを生み出している程度だ。なぜこれを高尚といえるのか。


そこで私は問う。「仏文を持つ国家であると喧伝できる以外のどこに仏文の価値があるんでしたっけ。」