ムハンマドの風刺画と大峰山
前提知識
ムハンマドの風刺画
デンマーク紙にムハンマドの風刺漫画を掲載しヨーロッパの新聞がそれを転載したことに対し、イスラム社会に反発が広がり、暴動が起きて大使館の焼き討ちにまで発展した。
雑誌の担当編集者は「どんな宗教であれ、彼らのタブーを守るよう求めるなら、それはわたしに敬意を示していないことだと考える」
と述べた。
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20051207/p1
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20051210/p1
この三名は不当かということを id:uumin3 さんと議論したのですが、僕が、不一致点が見えずに論点を迷走させてしまったあたりを非常に反省しました。やはりこういった練習や勉強をきちんとしないと、と思いました。
さて、この二つは、宗教上の禁忌が、多文化共存する現在の法で許された事項に触れたところが共通なのだろう。風刺画の揶揄していたムハンマドは田中眞紀子の長女のようなプライバシーの保護すべき相手ではなく、言論統制をもっともかけてはいけない相手だ。
しかし、「俺の場所だからこっちへ来るな」という不当な要求をされたことはあっても、「これは俺の絵(キャラクター)だから描くな」というようなことを言われたことがない。メディアが国家権力への砦であるというのは頭では分かっていても日本は平和だ。それがゆえにあまり欧米の新聞社側が感じるであろう不当さに共感できない。騒ぎ立てるマスコミは嫌い。しかも風刺画の中身が、ムハンマドをテロリストとするもので到底納得できない。
それで僕は今回は暴動には賛同できないものの派手にムスリム寄りの見解をとりたいと思ったが、そのあとでよく考えると丁度大峰山で逆の立場に立っていたなと読み替えてみると、大峰山は日本国の法で判断すべきものであり、風刺画は国をまたいでいる、という点は違うものの後はだいたい同じ議論が成立しそうに見える。
id:uumin3 さんは大峰山の件で「こうしたものを捉えるところには好悪や愛着といった次元が絡んでくる」とおっしゃいましたが、その通りであの議論をしていなかったら見えなかっただろうな、と感じました。感情的に判断することは必ずしも悪いことではないでしょうが、人を非難するときにだけはこれをしたくない、と思っております。(といっても頭で納得しても不快感は変わるわけでもないですが。)
下は 「http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060208 ムハンマド風刺画について1,2」にしたコメントです。
大峰山のときの自分の主張をそのまま翻訳するとフランス政府だったかの「出版の自由は守られるべきだが、出版社の行動は大人気ない。暴力による報復は許されない。」にほとんど一致して、ダブルスタンダードでなければそう主張しなくてはいけないというのはわかるのです。
が、実は第一感は「出版の自由を盾に無茶苦茶やりやがって」という不快感でした。大峰山のとき怒っていた人たちの気持ちが実感として少し分かった気がします。
難しいですね。結局、ただの感想文になってしまいましたが。