装飾

「この研究室紹介の写真、嘘があるんですよ。その証拠が写真にしっかり写ってます。」
ほう、なになに、研究室では適時議論が行われます、まあそうだろう。
「さあ、どこでしょう。」
といっても、ホワイトボードに書き散らした跡に専門的な間違いがあるとも思えないし。
「字がきれいすぎるんですよ。」
なるほど!
「つまり、これは議論したかのようにみせかけるために書いたのです。」

これは非常に示唆的だ。


つまり、数学で会話をしているときの板書は他の会話のときとは決定的に違う。後者は書いてあることが伝えたいことだが、前者は、ホワイトボードのだいたい斜め上あたりに伝えたいことがある。そして、これを幻視することで意志伝達がなされるのだ。このときに綺麗に書かれると遅いだけではなく却ってわからない。そのために、数学的に会話する人々は手書き文字を二種類持っている。そのために綺麗な字で書いているということが、議論の跡ではなくて装飾であることを意味するのだ。


残念なことに、この能力を持つ人々はそう多くはない。少なめに見積もると僕の感覚だと学年で500人くらい。日本全体で四万人くらいだろう。



さて、池田信夫さんについてである。

NATROM さんが以前「種を守る「利他的な遺伝子」」というエントリーで彼の生物学の知識の怪しさについて書いていた。
2007-04-27

自分のよく知らない分野(たとえば私にとっては経済学)について二者が議論しているとして、どちらの言い分が正しそうなのか判別する簡易的な手段はあるだろうか。私がよくやるのが、自分がよく知っている分野(たとえば私にとっては医学、遺伝学、進化生物学)についての発言を調べてみるということである。もちろん、医学についてトンデモ発言する人が別の分野では正確な発言をすることもありうるので、あくまでも簡易的な手段に過ぎない。<中略>

まずは分かりやすいところから。「動物の母親が命を捨てて子供を守る行動は、個体を犠牲にして種を守る『利他的な遺伝子』によるものと考えられる」。えっと、全然違います。この文章だけで、池田信夫氏が現在の進化生物学を理解していないことがよくわかる。母親が自分を犠牲にして子を守る行動は、利己的な遺伝子によるものと考えられる。もちろん、命を捨てて子供を守る行動は利他的な行動だ。個体としては自分の生存率を下げる一方で、他の個体(子)の生存率を上げようとしているのだから。そういう利他的な行動は利己的な遺伝子によって説明できるってことを「利己的な遺伝子」でドーキンスは主張した。<後略>

やっちゃったか。という感じである。


  • 日本では大学の先生であることが保証する最低知的水準は恐ろしく低い
  • あんまり知的誠実ではない
  • 自然科学・数理系の知識がぼろぼろ
  • このタイプの声の大きい人間は避けたほうが良い
  • 私が経済学者を判断する能力をもっていない

よってあまり近づくべきでない。というように思っていた。


ところが、

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1b677a730752b3ba389fff1ed0280952

重箱の隅をつつくようですが、「誤った仮定から導かれる結論はすべて正しい」というのは誤解を招く表現です。「AならばB」という命題があって、Aが偽ならば任意のBが正しくなったりはしませんよね。「AならばB」という命題が真になることとは別の話ですので。「仮定が偽ならば、いかなる結論を持ち出しても命題は正しい」ぐらいが良いのではないでしょうか。
また、「数学的に厳密な意味での関数=全単射」というのは、どういう意味で書いてらっしゃるのでしょうか?
「数学的に厳密な意味での関数」という単語が経済学でどういう意味を持つのか存じませんが、関数は全単射とイコールではありません。全射でも単射でもない関数なんて、いくらでも例がありますよね。
わざわざWikipediaを引用されていますし、経済学者は数学をまともに理解していなくても平気だということを宣伝されているのかもしれませんので、そうでしたらすみません。そのような宣伝活動には全面的に賛同させていただきます。

どうやら

経済学では「**関数」という言葉を安易に使うが、ペレルマンが聞いたら怒るだろう。数学的に厳密な意味での関数=全単射が実証的に観察できるようなマクロ経済データは、世界中に一つもない。

と、書いていたらしい。

このコメントよく消さなかったなあ。感心感心。
なるほど、知的に誠実という意味では学者の最低要件を満たしていないわけではないようだ。



それに加えて、とある人が彼の著作が面白かったという。
ただし、彼がつけた留保は

  • 自然科学・数理系は確かに「微細には」理解していない
  • 専門の文献はよく読んでる
  • まあ、でも代わりはいくらでもいるよね

といったところだった。



ハイエク」をざっと読んでみるか。



うん、予想通り。面白いのだから知らない分野については言及しなけりゃいいのに。分かっている人に添削してもらうでも可。
いくつか抜き出す。

P.19

量子力学は、古典力学的な素朴実在論では理解できない。物理量は確率分布としてしかわからないという波動関数や、物質の位置と運動量は一義的には決まらないという不確定性原理は、古典的な物質の実在や因果関係の概念をくつがえすもので、その解釈をめぐる論争は現在まで続いている。

「物理量は確率分布としてしかわからないという波動関数」は少々怪しい。分かっていない人間が自分の言葉で噛み砕くと劣化コピーになる。
「民主的な選考は存在しないという全順序」みたいな感じ。

P.132

とくにハイエクが批判したのは、時間の概念が入っていないことである。古典力学運動方程式は永遠の未来まで予測でき、時間について対称(時間がマイナスになっても成立する)だが、経済現象では未来の価格は予測できないし、一度やった失敗は取り返せない。

時間について対称と時間がマイナスになっても成立するとは違う。たとえば、拡散方程式は前者ではないが後者ではある。それになんか変なの。

P.170
はっきりしないが、ウィーナーを「情報科学の父」と呼ぶのはおそらく一般的でない。検索しても池田さんの blog がかかる程度だし。
情報理論の父」シャノンはよく言われますね。あとは、「計算機科学の父」チューリングあたりでは。

P.170

情報科学の主流になったのは、ウィーナーが考えたような自己組織系ではなく、外部からプログラムとして与えられた命令をメカニカルに処理するフォン=ノイマン型コンピュータだった。

ノイマン型を理解しているのかな。命令とデータが同等で自己改変コードがかけそうなのがノイマン型。他の場所でもノイマン型という言葉を何か別の言葉の代わりに使っている。玄人だったらなんていうんだろう。ステートマシンあたりかな。ちょっと違うなあ。いや、どちらにしても Church-Turing Thesis があるから、実装が本質的でないことは明らかなのだが。



ま、どれも些細だ。あと、相対的には上。あれあれ、これって id:flappphys立花隆について述べていたのと大体一緒じゃないか。
こういうのみるたびに「査読してくれる人いないのか?」って思うけれどもね。
あー、なんかやっぱり僕の理解が甘いけれども、きっと単純にしてくれる人がいないんじゃなくて、そういう人がいないだけなんだなあ。