ニールセン

ニールセンの冒頭にあった「情報や計算、論理といえども、この宇宙の物理法則に依存していることは間違いなくて、その意味で古典論に対してチューリングマシンがあるように量子論に対して量子チューリングマシンがある、あるいは将来の物理学の発展に伴い超ひもチューリングマシンといったものが現れる」という考え方をものすごく気に入ってはいるのだけれども。


数値計算にとって、ログオーダーできく現象は天敵じゃないか、とふともらしたところ、そのとおりです、でも実験でも一緒です、といわれて、あちゃー、と思ったことがある。なるほど確かに実験室のサイズなんて高々10^23個程度の原子しかないわけで、そうなると数学的厳密解が求まったところで物理的にはどうなの、となるわけだ。


1km サイズの生物がいたとしたら、彼らは過冷却を「メゾスコピックの特異な現象」として紹介するであろうし、逆に 1mm 程度の生物は「水は0度以下で凍る」というかもしれない。たとえば、1億年単位で(足りるのか?)動く生物がいたらダイアモンドをグラファイトになる前の不安定な物質というかもしれない。