量子脳理論

「「心の影」の革命的な新主張」という文が「21世紀を動かす心とコンピュータのサイエンス」ペンローズの量子脳理論にあった。
竹内薫さんと茂木健一郎さんが解説を書いている本である。

まず、茂木さんの意見をいくつか引用しておこう。

私は、生物学的常識論を振りかざす、凡庸な生理学者が嫌いだ。彼らは、量子力学チューリング・マシーンが何なのか全く理解せず、ただ「常識的な」世界観で、ああでもないこうでもないと言っているだけなのだ(もちろん、すべての生理学者が「常識的な」世界観にこだわっているわけではないが!!)

あはは。

{中略}聴衆のリアクションは、これ以上ないというくらい二極化していた。私のように、ペンローズの言っていることはすべて正しいわけではないが、彼のヴィジョン自体は、意識の本質を捉えており、21世紀の科学につながること考える人間もいれば、一方では、ペンローズの話はたわ言で、ペンローズはホラ吹き野郎だと、口汚くののしる人々もいる。個人的な意見だが、「連続体仮説」(continuum hypothesis)が何なのか理解できない人に、ペンローズの仕事を批判する資格はないと思う。時には、人々はあるアイディアを、それを理解できないというだけの理由で拒否することがあるからだ。

うは、forcing required ですか。この夏に結構がんばって理解しようとして(生半可に分かっているとも言い難いけれども)、でもたぶん「数学的手法として非常に面白いが」「世界観を変えるものではない」と思いました。

(ペンローズは)量子力学の収縮過程を、非計算的ではあるが、決定論的だと考えている。

この考え自体は非常に面白いと思う。そして、これが真ならば古典的でない機械によって意識が作れることになるだろう。
信じないけれどもな*1!


さて、本題。

ゲーデルは、計算システムF内で「私は証明できない」という意味を持つゲーデル文G(F)を構成してみせた。ちなみに、G(F)は実際に証明不可能なので、真であるが、Fにはそれがわからない(証明できないから!)。それどころか、G(F)の否定の「私は証明できなくない」もシステムFの中では証明不可能なため、F自身には、永遠にG(F)の真偽のほどがわからない。
さて、Fの性能を拡張して、「人間の数学者を計算によって完全にシミュレートできる」と仮定しよう。この拡張されたシステムをF'と呼ぼう。すると、Fに対するのと同じ議論を展開することができて、F'内で「私は証明できない」という意味を持つゲーデル文G(F')を構成することができる。G(F')はF'内で証明不可能だが、人間の私には、G(F')が真であることがわかる。これは矛盾である(人間には真であることが分かっているのに、それを完全に真似できるはずのF'には真であることが分からないから。)なんで矛盾が生じたかといえば、「人間の数学者を計算によって完全にシミュレートできる」というそもそもの仮定が間違っていたからだ。

なんかアンニュイ*2な気分にさせる。
F にさせているのはその体系の中でモデルが空集合でないことを示すことなのに、
人は F のモデルを表現できる系を用意しているだけ。
#で、あっているんだよね。
#書いた瞬間に不安になった。
#うーむ。この話はもっと早く首を突っ込んでおけばよかった。
##きっと昔のほうが、僕が誤解をしたことを書いたときに手厳しく指摘してくれる親切な人が多かっただろうから。

*1:ここで信じないというのは、新理論模索のときに計算的な理論により重点をおくだろう、程度の意図

*2:ちなみに、ぼくはアンニュイを語感だけで使っていて意味をまったく踏んでいない。アンニュイという語感を意味する単語があればいいのに。