廃嫡

高校時代よく駄弁っていた某氏の点数開示が来て、英数理のうち任意の一科目白紙での理科一類合格に加えて国語0でも理科三類受かる点数取っていた。彼は、小さい頃から東大生というのものはすごいのだと刷り込まれていたから権威があったのに、受かってこれじゃあ失墜と悲しんでいた。入ってからも、理科三類くらいは、と思っていたらしい。

僕が受ける前からどこの科類でも受かるに決まっていると思っていたのに、僕よりも特別考査がよい彼がそう思っていたとはかなり驚きだったのだが、権威が欲しいというのはとてもよく分かる。学校ないからと、ネトゲーして、プログラム書いて、読書にいそしんでいるような人が超えられるようなラインじゃ困る。僕が血反吐を吐いても到達できないラインがあれ。


神格化というのは、どうやらたいていの人がしたがるらしい。が、うまく出来る相手がいなくて困る。あえていえば、僕は大学の中ほどまでユング様を神格化していた。心理的にやっぱり楽でしたね。
ただ、〜〜〜であるから彼が優れているのではなくて、彼が優れているがゆえに〜〜〜という職が authorize されるのです。個々の人は優れていても最低ラインの品質が全く保証されてないし、〜〜〜であるからスゴイていどのすごさでおさまるすごさなど高が知れてる。
日本国憲法では内閣を統括する立場であるが、大日本帝国憲法では内閣総理大臣は大臣同士の関係において同輩中の主席にすぎない。すごい人といっても帝国憲法の総理大臣のようなものという喩えをしていた。
もうひとつ、この関係で話をしていて分かったことだが、努力を軽視する傾向というのがどうもあるらしい。国一の試験を受けた人たちの話を聞いて、こんなんでも受かるのかとか。それで、人の能力は努力であまり変化しないからということに帰着していた。

どうも、矛盾を内包しているようで、ここら辺は詰めるとひどい目にあいそうだ。

神格化を一身に受けてくれる人が存在するといいよね。以下、妄想。ある姓を名乗っている一族はおかしな教育を施しているせいで尋常でない能力を持っていて、しかもその宗家は別の性を名乗っていて、その姓はある種の畏怖を呼び起こす。宗家は一族で最も高い能力を持つ人が継ぐ。廃嫡されると他の家の養子になるので姓が変わる。