ポパー

Ruke がえらくポパーを気に入っているので「実在論と科学の目的」を読み出した。とりあえず上巻終了。

帰納的な科学観の否定。ここでいう帰納とは、帰納的に合理的に真実に到達できる。という考え方。
なぜあることを事実と知っているか、という考え方を捨てて、なぜその推測のほうがよいと考えられるか、に置き換えた。これは非常にもっともだと思う。

ポパー道具主義を批判していたが、僕は、科学は道具以上でないと考えているほうがいい、と考えている。
当然、より優れた道具は新たな世界観を作る道具にもなるわけだが、それは「科学の外」だと主張したほうが、科学自体は健全だと思うのだ。

うーん、ゴールドバッハの予想と双子素数の予想を比べて、前者は反証可能性があるとかやっているのは、数学を分かっているんだろうか。
たぶん、私が数学に対してある観念をもっているからだろう。

やっぱりポパーは少々物理の理解が甘い気がするのだけれども、現代的な視点のせいか。しかし、わずか三年ほど物理をかじった程度の学生に「理解が甘い」といわれてしまう科学哲学者が科学哲学者の代表格というところに、悲しさを感じてしまう。(ただ、東大理物の物理の学部教育は世界一といわれていて、実際院から海外に飛んだ人に愕然としている人もいるようだ。)

フロイトの理論は、反駁不可能でそれゆえに弱いというのは、そのとおりだと思う。まあ、それでいて、ポパーと同じく価値を認めていていまだに私は使うのです。

無意味だけれども有用だ、といった表現を僕はしていて、彼はこうは表現しないようだが近いところがあるかな。


どうも適当に読んだ感が否めない。っていうか、適当。もう一二周したいが、うーん、まあいいや。


それはそうと、物理学科生同士で物理の外の哲学の話をすると相当一致する。こういったことを陽には習っていないにもかかわらず、である。
これは危険であるのかもしれないが、それと同時に面白いと思う。