物理哲学

これは僕の哲学領域だから、別の哲学を持つ物理学者に聞いたら違う返事が返ってくるだろうけども

グノーシス

グノーシス主義よいですよ。
反宇宙的二元論ですね。高校の頃えらく気に入った。

存在

存在論量子論に依存すると思うけども、逆ではないだろうという議論。

でも、量子論はナイーブな「存在」という概念を破壊してくれます
物理学は「こうしたらこうなる」という予言をするだけの学問だから存在するものなんていらないの

哲学の存在論
> そもそも最も根源的に存在するものはなにか、さまざまな様態で現実に存在するもの、根本的な実体を伴って存在するものとはといった問題に取り組むものである。

> 林檎が樹から落ちるのは「現象」?それとも林檎が樹から落ちたのを見たことが「現象」?
どちらも。
だけれども、結局、最後は人の脳に感覚として入るところまでいかないと現象があったと分からないけど、結局、物理学がすることは、これこれこうしたら、僕はこの針が100を指すのを見るとか、そういう予言だけなのだけれども。

> そもそも存在しないものを例えば量子論が対象としたとき、そのものは既に「存在」しているのではないか、
ああ、僕もこの宇宙の外にあるとかいう表現をたまに使いますね。

因果関係

因果関係なんてない、あるのは相関だけだ、っていうつわものの友達がいた。ヒュームみたいらしい。

量子論

量子論が教授でも分からないっていう。使えるけれども分からないらしい。直感が全然利かないから。

決定論

コペンハーゲン解釈だと非決定論的で、エヴェレット解釈だと決定論的だが、物理には派閥はない。物理学者がどのような哲学の持ち主かによってかわる。僕は、問いが無意味だと思ってる。

物理学は未来予測が重点だから、こういう状況にしたら、我々の眼にはどういう風にみえるでしょうか、っていうのを解答用紙に書かせたら、全員同じことを言うのだけれども、なぜ、そうなったのですか、ってレベルだと食い違う。

箱があって穴が二つだけ開いていて、箱のなかに粒子がいました。箱から粒子が出てきたけれども、右の穴だけ通ったわけでも左の穴だけ通ったわけでもない、両方同時に通ったと思わないと困る、みたいな粒子を相手にしている場合は、粒子は見ていないあいだだけ半分*2になるのか、粒子は見ていないあいだはうにょうにょとしたものになって両方からでてくるんだ、とか色々考えても結論でないでしょう。具体的には、画面に縞ができるから、右を通ったか左を通ったかのどちらかではないことはわかる。

「半分になれば同時に通れるじゃん!」っていう考えかたって、どう考えても、僕達の常識のせいだよね。ってことは、そんな常識持ち込んでどうするんだと。半分なら通れる、っていうのが本当にそうである保証はないもの。

えっと、量子論の予測は、50%でこうなって、50%でこうなるみたいな、確率的な予測なのね、目で見る範囲は。
それをコペンハーゲン解釈っていう一番古い解釈が素直に解釈して「はっ!ってみた瞬間に世の中が「収縮」する」と考えたの。
それにたいしてエヴェレット解釈は「収縮しないで、たくさん宇宙がそのまま並んでいる」と考えたの。そしたら、全体的には決定論
ん〜、というよりも「決定論」かという考え方が、
だって、ある考えが、決定論か非決定論かに必ず分類できるっていうのは変じゃない?
理由のつけ方がちょっと違う気がする。決定論とはこういうものだ、というのは日常生活の常識(今まで考えてきた色々な考え方)に依存していて、その常識が全然利かないものをどっちに似ているかなんてやっても仕方ないんじゃない?

たとえるならば、あのフランス人はステーキを一口食べた後に、スープを頂く前にご飯をほおばらなかったから無礼だみたいなことをやってると思うの。

自由意志

哲学で議論されるような決定論対非決定論の文脈では自由意志の問題を論じているらしい。

「僕は決定論者かつ自由意志あると思っているよ。」これ小学校の頃にだいぶ考えた記憶がある。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card17378.html

すぴのざ

スピノザ面白いらしい。

因果

相対論も、量子論ほどではないけれども、因果関係という概念を崩してくれる。同時というのが相対的な概念だということが特殊相対性理論で明らかになっている。
「ある人にとってAとBが同時に起きていても、別の人にとってはAのほうが先におきていることがあるってこと」

法学

ムササビ・モマ事件、たぬき・むじな事件とか、突っ込みどころばっかり。
http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20060322/P20060322SAKUGO

物理は遅い

物理学者が哲学やると何が問題かって、たぶん、ものすごく遅いところだと思うのよ。
結構、はっきりと分からないと分かったといわない学問だから
哲学は、教科書的にはA説とB説とが脈々と対立してますよ、終わり。みたいな感じ。

物理だとA説を唱えずに、A説にならないかどうかの証拠を探しております、だけしか言わない。
ようするに、みんななんとなく、Aで解決するんじゃないかなとかBで解決するなじゃないかなという予想は立てて、仕事の方針は決めているけれども、そこの方針を決めているのはある意味哲学じゃないですか。
だから、そこは物理の外で放置されてはっきりして同意が形成されたら、本に載る。
遅い学問なのです。

エチカ

定理とか証明とかが突っ込みどころありすぎだけれども、突っ込んではいけない。
> 細かく正確に考えれば、ツッコミどころ満載どころの騒ぎじゃありませんが、*好意的*に解釈して趣旨だけくんだり、もしくはある部分についてのツッコミが考え付いたのなら、そのツッコミを交わすためにどう議論を修正するべきなのか、とか、そういうふうに読むもんですね。