科学哲学者

http://www1.kcn.ne.jp/~h-uchii/Leib-Clk/qg.pdf

量子力学が提起するいろいろな問題は、空間・時間の問題と並んで、欧米の科学哲学では最も盛んに論じられている話題である。こういった話題については、かなり掘り下げたテクニカルな知識が必要となるので、物理学に対する一般的な無知が支配的な日本の科学哲学では、欧米に比べて、研究者層も薄いし研究のレベルも貧弱であることは、否定しようがない。こういった実情を改善するのが急務だとわたしは考える

内井惣七さんは、順序対の定義の話でメールを交わしたこともあり、彼にはあんまりきついこといいたくないんだが、この文章は科学的誤認が多すぎる上に結論がしょぼい。
国から研究費もらっている以上は、好きなだけ文句を書いてあげてもいいだろう。


基礎的なところがごっそり抜け落ちているから話が通じていない。ゲージ対称性はなんか別のものになっているし、あたりまえの次元の定義にがっかりしているし、ガリレイ変換分かってなさそうだし、ふーむ教養書ってこんな風に読まれちゃうんだって感じだし、拡張路線だとか緊縮路線だとか意味不明だし、超ひもがどの程度物理なのか分かってないし、物理学者の実在という言葉は哲学者のそれよりも深いのかしらとか思っちゃうし、結論導くのにどう考えても量子重力要らないし。(量子力学決定論かについては不問にしよう。)


いや、なんていうか努力は感じるから及第点はあげたいのと、この分野をいい方向に持っていってねと応援したくなるんだが、ロミオとジュリエットを古英語で読んだ感想が「アルファベットって数が少ないんですね」みたいな文章だ。



ちなみに、僕の実在に関する立場は

  • なんらかの実在を信じているかといわれれば、なんらかの実在は信じているが、なんらかの実在は定義されないから特に意味のない言明だ。
  • 電子が実在するかといわれれば、フォノンと同じ程度の意味でしか実在しない。つまり上の実在からははるかに劣る意味でしか実在しない。

あたりになる。ここは「自発的対称性の破れ」に影響を受けていると思う。


ちなみにこのネタで話し込んだ友人は

  • 個人的には,現象しか信じてない。自分が感じることのみ
  • それを効率的に記述するために、「世界」が存在することを仮定する

だそうだ。

ごめん,科学の文脈の「現象」だとなんか上手く伝わらないかも
たぶん「純粋経験」という用語が適切かと
↑これは『善の研究』にあった言葉
フッサールの「現象」のつもりで話してたんだけど,それだけ切り出すとたぶん誤解を招く.