チョムスキー

大学受験直前のメール(センター終わって、前期試験の前)を読み返したら意外と面白かったので一部抜き出しておきます。

両親が(或いは、両親と)会話をするのを見て、それの真似で言語を習得するのではなくて、
言語の元になるものがはじめからすべての人間にはあって、
それが干渉しあって言語になる。
たとえば、幼児を50人、宇宙船に入れて、生存可能な状態で打ち上げれば、
地球となんら交信をしなくても、
彼らが大人になるころには、幼児相互の会話によって宇宙船内語ができているはずだ。

チョムスキーの初期の理論では、このとき宇宙船内で数学ができているだろうと考えたようです。
根拠は“普遍的な思考の秩序”を人間がもっているから。
“普遍的な思考の秩序”は論理的なものでなくてはいけないが、
数学は論理があればよいから数学ができる。

で、あるとき弟子に会議で、もしも、数学を支える理論が普遍文法として記述されているならば
なぜ、ピタゴラスがあらわれるまで数学がなかったのか?
人類の歴史の上で人類が数学を操っていた時期などほとんどないではないか、
と猛攻を受けて、会議の後に、この考えを取り消したそうです。

#チョムスキー理論はフロイトの理論並にころころ変わったらしいです。
#やはり、革新的な考えを生む人は、自分の考えた理論さえも壊していくのでしょうか。

しかし、数学的な論理性を人間が生まれつきもっているとは僕には思えないのです。
たとえば、
彼は走るのが速い。馬は走るのが速い。だから彼は馬だ。
こういった考え方は世界各地の文化にあります。
たとえば、トーテム信仰みたいなものです。
#ちょっとユングに影響されているかもしれません。
しかし、これは論理学的にはおかしいですよね。
ダーウィンに始まる進化論の側面から解釈すると、
豹に追われた。豹は走るのが速かった。
という経験をした人がいたとします。
この人が、速く走る鹿を見た時に
あれは、速く走るから「ヒョウ」だ
「ヒョウ」だから逃げなくてはいけない。
と判断することは僕には自然だと思われます。