オラクル教再掲
Oraclism は、オラクル主義、オラクル教やオラクル派などと訳される宗教団体です。
教義はただひとつ
「すべてのことの真偽を判定できる、ある現象 "Oracle" がありうる」
ということだけです。
さて、このような現象があったとしましょう。
この現象に数学の定理を入れていくと、どうなるでしょう。
もちろん、それらの真偽がすべて返ってきます。
ちょっとしゃれた言い方をすると complete theory が現象として存在することを意味しています。実は、ゲーデルの不完全性定理から、人ができる有限個の記号の有限回の操作をしただけでは
このようなことができないことが分かるのです。つまり、Oracle は有限な記号操作以上のことをできる"何か"との接触媒体であることを示しているのです。
いいかえれば、Oracle は神の存在証明と呼んで構わない、と考えられます。
これが Oracle(神託) の名前の由来にもなっています。こうなると、数学という学問がある意味で終焉します。
Oracle に尋ねればあらゆる真偽が返ってくるからです。また、物理学という学問がある意味で崩壊します。
なぜならば、原理上、有限文字列操作では予測できない物理現象が、どれほど多くの規則を加えようとも存在するからです。さらに、極めて強力な暗号解読装置になるため、ネット世界の安全はまったく保てなくなります。
このように大きな影響を与える現象の存在を信じる、このような宗教団体に入りませんか。
もうちょっと具体的に何を想定しているかといえば、その一つが下です。
http://www.faireal.net/articles/1/09/#d60821
「水からの伝言」…水は否定的な言葉を見せたときと肯定的な言葉を見せたときで異なる結晶を作る。
{中略}
あらゆるプライバシーは破られ、あらゆる外交機密はばれる。水さん、ちょっと漏れすぎです。
DRMも破られるので、水は著作権を侵害する。
このように、情報を「絶対的」に評価できるデバイスが存在する世界では、社会の秩序が保てない。
これは任意の言葉に対しての真偽が問えるので数学定理のみとした上よりも強いのですが。具体的な機構としては本当に何でもよいです。
さて、これでやりたかったことは、あえていえば、自然科学と宗教という対立構造の脱構築です。*1ある現象が上の現象であるかどうかは自然科学的な仮説として検証可能でしょう。それによって「神の存在」という著しく宗教的な概念を示そうとしています。そして、この現象が存在したときの影響の強さが気に入っています。
さらに、「宗教の普遍的な性質」を抜き出したつもりです。
占いとは、Oraclismの偶像崇拝である。
http://log.pira.jp/archives/867
というぴらぴらの発言はまさに言いたかったことを読んでくれた、という意味で幸せでした。