対角線論法
郡司ペギオ幸夫という人がいて、理学部で古生物学を学んだ後に地球惑星から非線形科学の研究者をやりつつ、有名な哲学者になっているらしい。
僕は哲学者への評価が厳しいといわれるが、別に哲学を嫌っているわけではない。むしろ好んでいる。自然科学は事実かどうかを確認する手法とそれによって確認された事実でしかないのだから、生物学者も「自然科学の外」に関する考えが全くなければ新しいことを発見は出来ない。どれを確認すればいいか分からないからだ。
ただ、世の中がどうなっているかに関して無知であるのに、ぐだぐだ語っていることが目に付くと、例えるならば、新生児室から出たことのない赤子が宇宙は直方体であるのはなぜかを考察しているかのように見えて、あなたは奇妙な気分におそわれたが、すぐに消えさった*1。
だから、こういう経歴の人が哲学やることは浄化という意味でも歓迎なのだが、まあ、文学部のどっかで必修の授業で使わされるらしいが、かわいそうに。同情はしておく。僕は読む気しないね。
それでだ、ぱらぱらと見て、うん、まともそうじゃないかと思ったが、目に止まったところがあって、それは、郡司ペギオ幸夫は対角線論法になんらかの意味を見出しているようであったがそれはおかしいということだ。
どうやら、並べ方を決めないと、対角線によって作られる実数が決まらないところに何らかの感慨があるらしい。
普通に論理式で書くとだ
なんだから、f が決まらないと n,m,r の反例ができるわけないじゃないか。
2006/06/08追記: どうも立ち読みしたときの読み違えだったようです。