日吉

最近、たまに慶應の日吉キャンパスへ行く。そして、守衛室の前を通るたびに昔のことを思い出す。


あの日、慶應三田祭があると聞いた僕はすたすたと日吉キャンパスへと入っていった。
しかし何か違和感がある。なによりも妙に静かで閑散としている。
しばらくいくと「試験中。教室貸し出しのため、クラブ・サークル活動等による楽曲の演奏を禁ず」という看板が目に飛び込んできた。
道理で。ここで疑念は確信に変わった。僕は何かを勘違いしている。
三田祭は日吉では行われていなかったのだ。
日吉と矢上をあわせて三田と呼ぶのではなかったのだ。


駅に向かいながら、正門横にある守衛室のおじさんに聞くことに決めた。
「あの。三田祭はどこでやってますか。」
「三田キャンパスだよ。」
なるほど。明快な答えだ。


「どうやって行くんですか。」
そう聞くと、おじさんは見慣れた地図を持ち出した。東京路線図。
伊達に九年、電車通学しているわけじゃない。


「あそこを走っているのが東急東横線だ。」
そういって彼は大きく右を指す。僕はつられて指した先を見る。


僕が向き直るのを待ってから彼は地図の日吉を指す。
「今、ここ日吉にいて、」指がずずずっと線をなぞる。「終点で渋谷。」
僕はうなずく。彼は続ける。「山手線に乗り換えて田町で降りる。」
そういえば、都営三田線という路線があったことを思い出す。
そうか。三田は東京の地名なのだろう。


「地下鉄で行く方法もあるんだが、たぶん君にはむずかしいと思う。」


ありがとうございましたとお礼を述べて列車に乗ると、武蔵小杉で都営三田線直通の列車に乗り換え、三田で降りた。

春秋

卵のような姿のハンプティ・ダンプティが、得意げに講釈を始める。言葉ってやつは素直に言うことを聞かない。しっかり仕事をさせるときは、超過勤務手当を払うんだよ――。ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」の一場面である。

▼数学者でパズル好きのキャロルは、言葉遊びの達人だった。愉快な造語をいくつもつくり、作品の中で披露している。日本語への翻訳は難しいが「柔軟な(lithe)」と「粘っこい(slimy)」を組み合わせて「粘滑な(slithy)」という具合だ。1つの単語に2つ以上の意味を詰め込んで「かばん語」と名づけている。

円高容認なのか。強いドルを望むのか。藤井財務相は「かばん語」の達人ではなさそうだ。その発言に為替が乱高下し、産業界は肝を冷やした。言葉の誤解だ曲解だと言っても始まらない。ほんの一言、たった一言に投機筋は食らいつき、瞬く間に解釈が膨らむ。市場に言葉遊びのタネをまくと、大やけどをする。

▼アリスの幻想の世界では、言葉たちは土曜の晩に押し寄せてくる。財務相の発言は先週末の日本の夜中だった。今週末にもトルコで財務相が集まるG7がある。物語の中で卵男はこう語る。僕が言葉を使うときは自分が選んだ意味だけで使うんだ。それ以上でも以下でもない――。通貨の番人もそうあってほしい。

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090930AS1K3000230092009.html


すまん。意味分からんのだが。


今朝の春秋(日経新聞のコラム)が恥ずかしすぎる。これは恥ずかしい。なんて恥ずかしい。いくらなんでも恥ずかしい。代わりに出社拒否したくなるくらい恥ずかしい。孫引きしたか、読み間違えたか。明日登校拒否しようかな。

'What a beautiful belt you've got on!' Alice suddenly remarked.

(They had had quite enough of the subject of age, she thought: and if they really were to take turns in choosing subjects, it was her turn now.) 'At least,' she corrected herself on second thoughts, 'a beautiful cravat, I should have said?no, a belt, I mean?I beg your pardon!' she added in dismay, for Humpty Dumpty looked thoroughly offended, and she began to wish she hadn't chosen that subject. 'If I only knew,' she thought to herself, 'which was neck and which was waist!'

Evidently Humpty Dumpty was very angry, though he said nothing for a minute or two. When he DID speak again, it was in a deep growl.

'It is a?MOST?PROVOKING?thing,' he said at last, 'when a person doesn't know a cravat from a belt!'

'I know it's very ignorant of me,' Alice said, in so humble a tone that Humpty Dumpty relented.

'It's a cravat, child, and a beautiful one, as you say. It's a present from the White King and Queen. There now!'

'Is it really?' said Alice, quite pleased to find that she HAD chosen a good subject, after all.

'They gave it me,' Humpty Dumpty continued thoughtfully, as he crossed one knee over the other and clasped his hands round it, 'they gave it me?for an un-birthday present.'

'I beg your pardon?' Alice said with a puzzled air.

'I'm not offended,' said Humpty Dumpty.

'I mean, what IS an un-birthday present?'

'A present given when it isn't your birthday, of course.'

Alice considered a little. 'I like birthday presents best,' she said at last.

'You don't know what you're talking about!' cried Humpty Dumpty. 'How many days are there in a year?'

'Three hundred and sixty-five,' said Alice.

'And how many birthdays have you?'

'One.'

'And if you take one from three hundred and sixty-five, what remains?'

'Three hundred and sixty-four, of course.'

Humpty Dumpty looked doubtful. 'I'd rather see that done on paper,' he said.

Alice couldn't help smiling as she took out her memorandum-book, and worked the sum for him:

365
1
____

364
___

Humpty Dumpty took the book, and looked at it carefully. 'That seems to be done right?' he began.

'You're holding it upside down!' Alice interrupted.

'To be sure I was!' Humpty Dumpty said gaily, as she turned it round for him. 'I thought it looked a little queer. As I was saying, that SEEMS to be done right?though I haven't time to look it over thoroughly just now?and that shows that there are three hundred and sixty-four days when you might get un-birthday presents?'

'Certainly,' said Alice.

'And only ONE for birthday presents, you know. There's glory for you!'

'I don't know what you mean by "glory,"' Alice said.

Humpty Dumpty smiled contemptuously. 'Of course you don't?till I tell you. I meant "there's a nice knock-down argument for you!"'

'But "glory" doesn't mean "a nice knock-down argument,"' Alice objected.

'When I use a word,' Humpty Dumpty said in rather a scornful tone, 'it means just what I choose it to mean?neither more nor less.'

'The question is,' said Alice, 'whether you CAN make words mean so many different things.'

'The question is,' said Humpty Dumpty, 'which is to be master?that's all.'

Alice was too much puzzled to say anything, so after a minute Humpty Dumpty began again. 'They've a temper, some of them?particularly verbs, they're the proudest?adjectives you can do anything with, but not verbs?however,

これを読んでいて誰がどうしてハンプティーダンプティーのような通貨の番人を欲しがるんだい?

非線形な世界

大野克嗣さんの本を薦められて、読んで大変面白かった。とりあえず頭を使わずにできる簡単な指摘だけしておく。

P.31

ラッセルのパラドックス
集合を物の集まりだと素朴に考えると、それらは、自分自身を含む集合(Z \in Z であるような集合、たとえば、概念の集まりはまた概念である)とそうでない集合(Z \not \in Z であるような集合)とに分類できるだろう。さて、A=\{Z|Z \not \in Z \} と定義した集合は意味があるだろうか? Z \in A とすると Z \not \in Z。したがって、Z \not \in A となって矛盾。
ラッセルのパラドックスを避けるために標準的公理系(Zermelo-Frankel の公理系)では a \in a が生じないように、'正則性の公理(foundation axiom)(FA)'というものを置く。この公理は与えられた集合が限りない'入れ籠構造'になっているのを禁止する。つまり、この集合がある要素から できていて、その要素はまた別の要素の集合とみなされ、そして、そして、と続くのがどこかで切れることを要求している(したがって a \in a は禁じられる)。Moss は「数学的宇宙が段階的に空集合を基にして組み立てられていくという描像は、物理的世界が個々の粒子からできているとか社会が基本的には独立の個人からで きているという見方と関連している。この関連が数学における FA の本当の文化的意義なのである。」と述べる。

公理を加えることによって矛盾が生じないようになっているのは論外として、論理式と集合を混同しているようだ。
なるほど、矛盾している論理を扱うことはめったにない。その上、Universe が proper class とかいうことを論じているときに、論理式と集合の同一視をやると訳が分からなくなるのだな。素朴集合論では構わないのだろうが。


※コメント欄参照正則性公理と \neg a \in a の同値証明は、正則性公理を知るとまずやることですね。
実を言うと、正則性公理と V = L (構成可能性公理)を混同しているように一瞬読めたのだが、こっちはたぶん気のせいだ。


原文はこれだった。
http://www.projecteuclid.org/DPubS?service=UI&version=1.0&verb=Display&handle=euclid.bams/1183555025

Before turning to the question of why anyone would want to assume AFA, we should first ask why it is so popular to assume FA. In the presence of the other axioms, FA gives us a clear picture of the universe of sets. We iterate the power set function along the ordinals to form a hierarchy of sets Va in the usual way. Then FA is equivalent to the statement that an object is a set iff it belongs to some Va. That is, every set belongs to the hierarchy obtained by iterating the power set operation along the class of ordinals. This axiom leads to a picture of the universe of sets as "created step-by-step from below." This picture of the mathematical universe as generated in stages from the empty set (or even from atoms) is related to the view that the physical world is built from indivisible particles, or that the social world is composed primarily of independent individuals. This connection is the real cultural significance of FA in mathematics. It connects us with a deeply rooted atomistic paradigm that occurs throughout science. Conversely, to deny the iterative conception is to challenge "common sense." There is nothing wrong with this--indeed, the challenge to this paradigm seems to be one of the most important intellectual stirrings of modern times.


P.61 図式が可換であることの定義が「どんなやり方で矢印にしたがって図形をたどっても結果に矛盾が生じないということ」だったりと数学用語には疎いようだ。
※筆者の方とやりとりをしたところ、どうやらこれは定義をしたつもりではなかったらしいです。なので取り下げます。(ただし、表現は変えるそうです。)


P.82 B \cap C = \empty のつもりで、B \cap C = \{ \empty \} と書いているようにみえる。


数理物理学の先生で知の欺瞞の翻訳者でもこのような間違い方をするのだから、理系ですらない人が無茶苦茶なのはあたりまえなのです。
では、ソーカル事件はただの間違いの指摘だったのか、というとそうではないと考える。
それについてはまた今度。
※大野さんの専門は数理物理学ではない、という指摘をいただきました。それと、このあたりは早めに上げたいと思った内容に引きずられていて、本来書くつもりだった筋からはずれるものなので取下げます。

オープンエンド取引

私とオープンエンド取引しませんか?
ヤバい
これめっちゃ良い
オファーは出してるのにビッドがこない
先輩はビッドが出てきたら即ユアーズ
リーブオーダー
私はファームは怖いからアンリファで
ないなーと思ったらラインフルですーと言ってしまえばいい
チェックは忘れずに!!


信託は荷が重い手
善管注意義務
利益相反
再信託とかしちゃったら大変なことになりそうw
下らない話なのに
マーケット用語が使える&周りに会話内容を悟られない
便利ー

というような日記をとても気に入った。


コールオプションを1週間で行使するか決める契約だったのに、1ヶ月たってもオプションを握ったままだから、債務不履行で解除したいっていってたやつがいたぜ。
コールオプションを相手に渡すときには、満期日を短めに設定しましょうってことだね〜

旅行

狭き門から引用してみると、

旅行がしたくないか。
――なんにもしたいことはない。いろいろな国があって、
それがみんな美しくって、
誰でも、そこへ行くことができるということを知るだけでたくさんだ。

たしか、ジェロームがアリサを回想するシーンだったかな。
アリサへの問いとその答えがこんなのでした。
これこそがこの話の象徴だなと思うのです。
これを読んだときに湧くこの感情ってなんて呼んでしょうね。


物理屋が似たようなことを言っている SF があって、
グレッグ・イーガンディアスポラ、というのなんですが
ブランカという物理屋はマクロ球を研究しているのです。

「わたしといっしょに行きませんか、ブランカ? マクロ球の中へ?」
ブランカは笑いながらいくつもの世界を泳ぎ、無数の可能性につつまれた。
「その気はないわ、孤児。それがなんになるの? わたしはもう、それを見てしまったのに」

研究対象として理解したなら実際に行く意味はないと言い切るこのずうずうしさ。

ダークサイド

プログラマたちは人を殴る力が強いので、容易にダークサイドに堕ちるのです。
それで、人に対して負の感情を抱いた時には、何かコードを書きなさい、能力を破壊ではなく創造に使いなさい、といいます。

投稿論文

たぶん、英語の投稿論文には五つの意味があるのです。
下にいくにつれて重要で、そして、いい論文誌になればなるほど、下のほうの比重が大きくなります。


・その学術的な内容を公開する。
・学位をとるときに業績に加える。
・就職希望先に研究履歴と興味を伝える。
・疎遠になっている友人に近況を報告する。
・婚約者の親御さんに英語が書けることを示す。

二種類

http://d.hatena.ne.jp/hachi/20051127#c1133083002
一時期、
「世の中には2種類の人がいる。世の中の人は2種類に分けられると思っている人とそうでない人だ。」
というのを気に入っていました。

『そして、かくいう私はもちろん後者である』

と続けたいとコメントした方がいて、そりゃいいと思いました。

ゼミ合宿

どうも文系ではゼミ合宿というものをやるらしいと最近知った。物理学科では考えられなかった。
そもそもゼミのサイズが二三人、多くて四人である。女性がフェルミ量子化されている(これは彼の言及禁止事項)。だいたい、物理は対象が対象だからどこでやっても一緒。

ヒレカツのソース

ヒレカツを頼んだが、小鉢の中身がシチューのようであった。
食べ終わってから何かを聞く。
ヒレカツのソースだそうだ。


しかし、これは何の意味もない。
なぜならば、知りたいことは出てきたソースが意図された味であったのかであるからだ。
よって、確かめるにはもう一度頼むしかないか。

神経細胞の光による制御

http://d.hatena.ne.jp/ddk50/20090914#c1252972166
http://saito-therapy.org/new_finding/lightsswitchneurons.htm
http://www.nytimes.com/2007/08/14/science/14brai.html?_r=1

光の照射で神経細胞のオンオフが制御できるというのに対して、電波で同じことができないか。

これはまさに生物物理。思いつきで書く。


電波ではできないというのは悪魔の証明でできないが、次の理由から極めて考えにくい。
電波[1]は光子のエネルギーが低い[2]ため、有機物の状態が変わるほどの反応が起きるとは考えにくい。
仮にそうであったとしても、生物は 300 K (摂氏30度)程度[3]であり、これは光の波長に直すと 50 ミクロン程度。
黒体放射[4]のピークが 10 ミクロン程度だから、これより長い電波は熱雑音で遷移してしまう。
一光子で受け取らないならアンテナのような共鳴構造を持つ必要があるけれども、神経細胞上でやるには小さすぎる上に中はぐちゃぐちゃすぎる[5]だろうなあ。


それにそもそも、20 ミクロン以上の遠赤外は大気に吸収されて真っ暗[6]だから生物が電波を受け取っているとは考えにくい。
これは遺伝子をスクリーニング[7]して得たものだから電波の受容体を探しても見つかるとは思えない。


あ、でもロレンチーニ器官[8]のように静電場感知は可能だから、神経細胞の時定数以上ゆっくり動く電波でものすごく強いものは検知できるかもしれない。いや、直流電流を見ているのだから空中では放電する程度に"ものすごく"強くないとだめだな。

        • -

脚注がいりそう。
[1] 電波は光の一種。光を検知するためには、粒子としての性質か波としての性質のどちらかを使う。たとえば CCD は前者で、テレビアンテナは後者。
[2] 光は可視光、や赤外、電波の順に波長が長くなる。そしてそれにつれて、粒子としてのエネルギーが小さくなっていく。
[3] 温度とは、どの程度のエネルギーまでならばそこらへんにあるかという相場のようなもの。
[4] 黒体放射とは、理想的に黒い物体から温度に応じて光がでてくる現象で、太陽や地球、ストーブからの放射でも近似的に黒体放射とみなせる。
[5] たとえば、これは高真空低温のナノチューブラジオ。http://physics.berkeley.edu/research/zettl/projects/nanoradio/2007_Nanoletters_Nanotube_radio.pdf
[6] 大気の窓。
[7] 目的の遺伝子を探索する。
[8] サメの電流を感知する器官。

インフレ防止

高三のころ、medievia というネットワークゲームをやっていたんだが経済的に極めてよくできていた。
金銭の入るのと出るのが制御されていて、インフレを防ぐような機構が随所にほどこされていた。


基本的にものが腐っていかない世界はダメだってことだと思った。

鳩山論文

鳩山首相が書いた論文。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001186623
野球について飲み屋で話している感のある論文だけど、でもそれなりに数式や確率が扱えるということで好感が持てる > 首相の論文


http://www.beeeeenz.jp/work/2012/
http://www.shoin.co.jp/books/4-901460-40-8.html

文学部の助教授

http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/norettaJ.html

では、私が「馬鹿馬鹿しい」というのは、正確にはどういうことだろうか?ごく大ざっぱに二つの範疇に分類してみよう。一つ目は、無意味な主張や馬鹿げた意見、知ったかぶり、まがい物の教養をひけらかすことなどである。二つ目は、ずさんなものの考え方(sloppy thinking)と薄っぺらい哲学で、これら二つが軽薄な相対主義の形をとって同時に現れることが(いつもではないが)実に多い。

もしも量子力学ゲーデルの定理について論じたてて恥をかいている文学部の助教授あたりだけを相手にしているのなら、この一つ目の範疇はさして重要ではないだろう。けれども、大学の書籍部のカルチュラル・スタディーズのコーナーに占める割合で測る限りにおいては重要な知識人とみなされる人たちを相手にしている以上は、この点もはるかに大切になってくるのだ。たとえば、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはカオス理論について次のように書いている。

個人的には、Ph.D を持っている、あるいは真を重んじる学科の出身者には手加減しないのが礼儀だと思っているんだけれども。

官僚

http://www.geocities.jp/takashintou55/2009/2009Aug.html

長文ついでに官僚制についても言わしてもらう。 (完全に私見なので読み流してください。) 国一の募集要件に大学院卒業を加えたら良いんじゃないだろうか。正直、学部4年間で学ぶことってどれほどのもんよ?しかもその4年間のうち結構な時間が国一の試験対策勉強に使われているわけで、彼らは本当に政策や経済や法律のエキスパートなのかと思ってしまうわけです。 (理系文系の単純比較は良くないが、少なくとも理系では学部卒でエキスパートなんてありえない。) もちろんその分給料は上げれば良いと思う。特殊なスキルを持つ人をそれなりの待遇で迎えることは当然だし、志気を挙げることにもつながる。中途半端な能力で日本の未来を決められても困る。個人的には微分方程式や確率過程論もわからない人に日本の経済を担ってほしくない。被選挙権が25歳だったり、30歳だったりするんだから、国一も24歳以上あるいは27歳以上を要求しても問題ないんじゃないかな。

微分方程式は未来を見る道具だから欲しいよね。ただ、なんか、最近、官僚ってそんなに能力いらないんじゃないかと思い始めています。

韓国はなぜ発展したか

http://d.hatena.ne.jp/qqqlxl/20090823/p2

日本は朝鮮戦争でした。

戦後戦争を利用せずに途上国から先進国へプロモーションした国はどこでしょう。

韓国かなぁ。

それに対して私。

韓国にもベトナム戦争の恩恵があったと聞いたことがあるけれども、どこまで本当かは分らん。

正直、この辺のネット情報は、n次文献の再生産が多すぎて、日本語情報は全く当てにならない。
"Miracle on the Han River" "Vietnam War" を結びつける英語の文献はざっと探したところ全くない。

連投失礼。
上の投稿は、単純に奇跡と戦争を結びつけている文献が見つからないといっているだけで、発展に対する戦争の寄与がない何らかの証拠があるといっているわけではない。



1992年1月「韓国経済へのベトナム戦争の影響――韓国における「NIEs的発展」の基礎形成」三田学会雑誌 (佐野孝治)
http://www.econ.fukushima-u.ac.jp/xoops/modules/news/article.php?storyid=78
「韓国の経済発展とベトナム戦争」(朴 根好)
査読なさそうだけども、両方大学にあるようだから一ヶ月以内に見てくる。


http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/thesis/doctor/?choice=summary&thesisID=144
博論が通る程度のテーマではあるらしいから発展と戦争は関係ありそう。
けれども、漢江の奇跡をベトナム戦争と絡めるのは用語の使い方を間違えているのかな。

いや、もっと僕のレベルの低い話でして、戦後の韓国史はさっぱりなので、発展時期に戦争があったからといって恩恵があった(あるいは利用した)といえるのか、がちょいと分らなかった。
戦争により疲弊したというのはよくあるわけじゃない。


で、調べだしたら英語の文献だと、"Miracle on the Han River" は政治的資本的な側面についてでベトナム戦争についての言及がない感じだった。


あれ、と思いながらもうちょっと探したら、経済発展とベトナム戦争については資料がでてくる。


ではなぜ、奇跡と戦争の関係では出てこないんだとなると、「単に高度経済成長の事実を指す」のが怪しいのではないか、という可能性が高いと考えた。



http://en.wikipedia.org/wiki/Wirtschaftswunder
ドイツ復興も朝鮮特需か。

財政投融資とか聞くとぞくぞくするね。


まず、「韓国経済へのベトナム戦争の影響」と「韓国の経済発展とベトナム戦争」は博士課程の学生が書いた論文と博士論文であった。


「韓国経済へのベトナム戦争の影響」(三田学会雑誌)の要約


はじめにの後半

ベトナム戦争の時期は、第1次および第2次経済開発5カ年計画の時期と対応しているためか、渡辺利夫氏を中心に韓国の経済発展の理由として、「輸入代替政 策」から「輸出志向政策」へといち早く転換したことを強調する論者が多く、ベトナム戦争の影響はほとんど無視されている。従来、このベトナム戦争の経済的 影響に関しては文献が少なく、しかも古い文献がほとんどである。特に最近の韓国経済論には「ベトナム戦争」の文字すらないものが多い。
しかし、韓国の経済発展が、単に政策だけの問題ではなく、ベトナム戦争という特殊な歴史的状況の下で可能になったことに注意するべきである。日韓国交回復 と並んでベトナム戦争との関連を抜きにして、この時期を分析することはできないし、70年代以降の経済成長も理解できない。韓国におけるいわゆる 「Nies 的発展」の基礎を形成し、工業化を軌道に乗せたもの、それがこのベトナム戦争に伴う、特需と経済援助および輸出の持続的拡大なのである。
もちろん、韓国の経済成長が成長によるものだと主張して、意図的に「明るい」韓国像に泥を塗るつもりはまったくない。ただ、客観的にベトナム戦争の影響を 分析し位置付けることによってのみ、本来の韓国像を見つけることができるのだと考える。「ベトナム戦争と韓国」を問うことは、言うまでもなく「朝鮮戦争と 日本」、「ベトナム戦争と日本」を自らに問うことであり、さらには他民族を支配してきた自らの歴史を見つめ直すことなのである。

1950年代における李承晩政権下の韓国経済は、主にアメリカの援助と国家による農民収奪に依存した「援助依存型経済」と特徴づけられている。

50年代末に行き詰まり。

  • 国内市場の狭隘性と援助物資配定を巡る生産拡大競争のために過剰生産に
  • ドル防衛のため、対韓援助が削減され借款に

端的な現れが、不正蓄財問題と農漁村高利債問題


1961年に朴正煕による軍事クーデター

  • 農漁村高利債整理令
  • 不正蓄財処理要綱
  • 不正蓄財処理法
  • 不正蓄財還収のための会社設立臨時特例法

によって不正蓄財を工業化投資に。


第1次経済開発5カ年計画(1962年?)
課題は

  • 国民経済の構造的不均衡の是正
  • 基幹産業の拡充と社会間接資本の充足
  • 国際収支の改善

国内政策

外資導入および輸出促進

結果
3年目に下方修正
失敗理由

  • 資金調達の失敗、外資不足
    • 国債発行によるインフレーション
    • 国際的な信用不足
  • 外資不足により資本財・中間材の輸入を制限するはめに


ベトナム派兵の動機

  • 表向きは「反共アジアの結束を強化し、友邦諸国の恩恵に報いる」
  • アメリカとしては「ベトナム戦争の国際化を図る」
  • 朴政権はアメリカに忠実で韓国軍の統帥権アメリカ軍が直接掌握していた
    • アジア最大の兵力
    • 安上がり
    • 派兵反対の政治的勢力が相対的に弱い
  • 在韓米軍のベトナムへの転用は米韓安保体制を大幅に弱化させ、米国の対韓軍事公約の信頼性を著しく低下させるだけでなく、朝鮮半島における戦争抑止構造 に重大な影響を及ぼすものと考えられた。
  • 軍事的経済的アメリカへの依存
  • アメリカの信任と支援による朴政権の政治的利益(クーデターによって政権を奪取したので大統領選・国会議員選挙に大きな影響)
  • 軍事力の増強と安全保障体制の強化を図る
  • 経済的利益


特需の増大

  • 国連軍および在ベトナム米軍による韓国からの物資・用役などの購入
  • 南ベトナムに在留している韓国人による本国への送金

韓国経済における特需の比重

  • 国民総生産に対する特需の比率は67年に5.3%

輸出総額に対する特需の比率は70.6%(67年)


経済援助

  • アメリカの援助と借款
  • 対日請求権資金

ちゃんと計算していないけれども、ぱっとみ、だいたい5?10%が請求権で2割強が日本からの借款。


技術導入および資本財の輸入による設備投資の拡大

  • 設備投資の拡大
  • 技術導入および資本財の輸入
  • 輸入支援策の整備


輸出の持続的拡大



ベトナム派兵後の好循環
"特需収入の増大、援助・外資導入、輸出の拡大"が"外貨獲得の増大"をうみ、それが"輸入能力を拡大"させ、"経済援助"や"工業化促進政策"とあい まって、"資本財・中間材の輸入の増大"へとつながり、"外国技術の導入"もあり"設備投資の拡大"が行われ、"生産拡大生産性向上"し、"輸出支援政 策"と"低賃金労働力"の助けで"輸出競争力の強化"がおき、それは"ベトナム戦争による世界的景気拡大"のもとで"輸出の拡大"をもたらす、という好循 環ができた。


その後、特需は70年以降はそれほど大きな比重を占めていない。外貨獲得源は輸出や外資導入に譲っていった。

  • 呼び水的役割を果たした
  • 韓国経済力の国際的信用を得るきっかけ
  • 財閥の基礎の形成
  • 建設業者の海外進出
  • 国内建設軍納がインフラストラクチュア投資となり産業基盤の強化に
  • 用役軍納が失業問題の改善とともに技術や経験などの蓄積に役立ち、70年代の重化学工業化に寄与


問題点

  • 生産材生産部門の未発達
  • 外資導入の審査が十分でないことにより銀行管理下におかれる不実企業の続出(政府や銀行が借款返済を保証していた)
  • 所得格差が拡大する傾向にあり、国内消費需要拡大に限界


要約終了



もう一冊の方の「韓国の経済発展とベトナム戦争」を読んで、だいたい状況がわかった。

これまで、韓国の高度経済成長の要因について、さまざまな角度から検討されてきた。そして、snip よく取り上げられてきたのが、ガーシェンクロン・モデルを基礎にした「後発性利益」という見解である。日本の著名な開発経済学渡辺利夫氏は、韓国の高度経済成長要因として、韓国には、後発性利益を内部化するための社会的能力、すなわち、政府の政策転換能力、起業家の経営能力などが存在していることをあげている。つまり、氏の見解は、内的要因を強調するものであり、これが韓国の経済発展の重要な一面を説明していることは事実である。内的要因を強調した点において、渡辺氏の見解が果たした役割はきわめて高いといってよかろう。snip いくつかの問題点がないとは言い切れない。snip 六〇年代前半は低成長であったのに、なぜ六〇年代後半は高度経済成長を成し遂げたのかが、必ずしも解明されていない。snip 政策にとって有利な国際経済環境、すなわり世界市場の急速な拡大によって輸出市場を保障されたこと、ならびに、先進国からの豊富な外国資本と技術の導入が可能であったことなどが欠落している。
また、高度経済成長要因として、snip 儒教精神の影響をあげる見解もある。その根拠として、つぎの二つがよく指摘されている。(一)教育水準の高さとそれがもたらす労働力の良質性、(二)勤勉、その代表的指標として論じられる長時間労働が、それである。
snip
このように、教育水準が高く、労働時間が長いのは、韓国だけでなく、ASEAN 地域においても見られるものであり、その意味で経済発展と教育および儒教文化とを直結するというのは問題があると思われる。
また、韓国の高度経済成長が、米国と日本との関係を抜きにしては考えられないとして、国際経済環境が有利に作用したことを重視する見解がある。加工貿易型構造、すなわち「成長のトライアングル」がよくあげられている。これについては、多くの論者の一致した見解であるといってよかろう。
渡辺利夫氏と同様「圧縮経済」の見解をもつ趙淳氏によると、豊富な労働力の存在、教育水準の高さ、政府の経済発展促進政策だけでは、韓国の「圧縮成長」を説明することはできず、それ以上に国際経済環境が韓国に有利に作用したことを指摘するとともに、加工貿易型構造を高度経済成長の要因としてあげている。しかし、時期的になぜ六〇年代後半以降になってそれが突如として登場してきたのか、なぜそのような構造になったかが、必ずしも解明されていない。
本書では、これらの諸要因を排除するというわけではなく、むしろ、様々な要因が重なって高度経済成長が成し遂げられたと思われるので、それを補おうとするのが目的である。したがって、六〇年代の経済発展が、ベトナム戦争という特殊な歴史状況のもとで可能になったというところに目をむけて分析してみたい。韓国のベトナム参戦が、ベトナム特需とその見返りを呼び、これがいわば呼び水となって、韓国の工業化を促進するのに寄与した役割を重視するのである。

経済発展へのベトナム戦争の影響に触れている文献は、「戦後日本資本主義と「東アジア経済圏」」小林英夫と「韓国経済へのベトナム戦争の影響」佐野孝治があげられる。


この本の内容は

そこで、本書では、ベトナム特需の実態把握に絞り込むのはもちろんのこと、ベトナム経済活動収益、ベトナム参戦の見返りなどが韓国の工業化、とくに、輸出の拡大、外資と技術導入、強力な政府の台頭、新興財閥の形成などに、いかなる影響を及ぼしたかを考察してみたい。

こんなかんじ。



だから、妙な言い方だけれども、博士論文をとれるくらい真っ当なテーマではあるらしいが、だが現在でも博士論文のテーマになる程度に枯れていないことから韓国経済発展の原因の主眼ではないようだ。

30+200ページくらいだからそんなに大変じゃなかった。
式のない本だしね。



おそらく、戦争では極めてよい条件がそろうことになるのだろうね。
そして、外貨獲得手段としても極めて良質である、ともいえそうだ。
これは思いつきだけれども、

  • 長期的に取引が継続されることが保証されて、長期的な成長戦略が容易に立てられるようになること
  • 取引の信頼を副次的に得られること

というのは同じ額の外貨獲得でも他の手段では得がたいだろう。
ようは経営者の大人の事情とか情報とかに相当する部分。
たとえば、100兆円が大きな額だといっても1億人で割れば100万円にしかならんわけで、それを元手に何かしろといわれても難しいだろうと。


乗数効果を示す前提として失業者がある程度いるモデルを採るのと同様に、戦争遂行のときには途上部分を発展させて使うというのが最も効率的だろうから、

  • 一時的に先進国の内側とみなされて技術導入が進む

というのも重要だろう。



ただ、代替の利く外的要因のひとつでありクリティカルなものではないというのは確かなようだね。


ベトナム戦争は65年からで、70年以降はそれほど大きな比重を占めていない、というのだから、わずか5年あれば呼び水として十分というのも驚きかなあ。



それと、対日請求権も日米安保の一環として行われたものに、今後の請求破棄を約束させるために名前をつけただけに思える。戦後20年経っていたのと米国の 援助がちょうど減っているわけだから。このあたりも興味深いね。



冷戦当時の空気を理解するには、どうしても相当量の本を読まねばならないようだね。

副作用

Haskell に副作用はあるのか。
http://d.hatena.ne.jp/kazu-yamamoto/20100607/1275872735

twitter で @ainsophyao さんがこう言っていました。

副作用については、 a=f(x);b=f(x);g(a); というプログラムと a=f(x);b=f(x);g(b); というプログラムが異なるものになりうるか、を定義とすればいいと思う。

私もこの定義はよいと思います。

そしてその続きとして、

そして、Haskell では異なる値になることを ST を使って示します。本当は IO を使いたかったのですが、Haskell 自体では runIO main と書けないので、議論の対象に実行器を含んでいるのか曖昧になり議論が噛み合ないことが多かったのでやめておきます。

念のため書きますが、僕は実行器を含めて議論しています。実行しなくていいのなら、たとえば C の printf("Hello\n") だって、出力はしないので、副作用はないですからね。

とあった。私が思うことは以下。

完全に出遅れましたが、sumii さんと同じで do 記法は糖衣構文でしかない、ということです。

参照透過性という意味での副作用でしたら、参照透過性は「式」の持つ性質なので、文と式の区別をしなくてはいけません。do 記法は全部合わせて一つの式あるいはその一部ですから、そのなかで順序を変えても参照透過性がないことを示しません。
式の中で、順序を変えたら結果が変わるというのは、非可換な演算子が存在する、といっているだけです。


C 言語の printf は、エラーがでると負の数を返すという意味で参照透過性がありません。


参照透過性の問題ではなく、I/O に対しての話ならば、C 言語は高級アセンブリですので、printf は内部にバッファーがあって、そこの状態まで含めて副作用といいたいのでしょう。これはどこまでをその言語とするか、という話だと思います。


エラー処理をしないような C の printf があり他の関数との兼ね合いがなければこれも参照透過性がある、と言っていいと思います。


そのプログラムあるいは関数を繰り返し実行するとメモリーの状態が変化することは起きていますが、それは当然なので副作用とわざわざ呼ぶ理由はどこにもないような。あるいは入出力機能があることを副作用とわざわざ呼ぶのもあまり意味がないと思いませんか。



それと、もしも、IO は命令であるというならば、たとえば、IO (IO a) はどのように解釈するんでしょうか。命令なのか命令書なのかという議論ならば、命令型言語の考え方に影響されて命令と考えるよりは、命令書とするほうがはるかに分かりやすいと思いますよ。