非線形な世界
大野克嗣さんの本を薦められて、読んで大変面白かった。とりあえず頭を使わずにできる簡単な指摘だけしておく。
P.31
ラッセルのパラドックス
集合を物の集まりだと素朴に考えると、それらは、自分自身を含む集合( であるような集合、たとえば、概念の集まりはまた概念である)とそうでない集合( であるような集合)とに分類できるだろう。さて、 と定義した集合は意味があるだろうか? とすると 。したがって、 となって矛盾。
ラッセルのパラドックスを避けるために標準的公理系(Zermelo-Frankel の公理系)では が生じないように、'正則性の公理(foundation axiom)(FA)'というものを置く。この公理は与えられた集合が限りない'入れ籠構造'になっているのを禁止する。つまり、この集合がある要素から できていて、その要素はまた別の要素の集合とみなされ、そして、そして、と続くのがどこかで切れることを要求している(したがって は禁じられる)。Moss は「数学的宇宙が段階的に空集合を基にして組み立てられていくという描像は、物理的世界が個々の粒子からできているとか社会が基本的には独立の個人からで きているという見方と関連している。この関連が数学における FA の本当の文化的意義なのである。」と述べる。
公理を加えることによって矛盾が生じないようになっているのは論外として、論理式と集合を混同しているようだ。
なるほど、矛盾している論理を扱うことはめったにない。その上、Universe が proper class とかいうことを論じているときに、論理式と集合の同一視をやると訳が分からなくなるのだな。素朴集合論では構わないのだろうが。
※コメント欄参照正則性公理と の同値証明は、正則性公理を知るとまずやることですね。
実を言うと、正則性公理と V = L (構成可能性公理)を混同しているように一瞬読めたのだが、こっちはたぶん気のせいだ。
原文はこれだった。
http://www.projecteuclid.org/DPubS?service=UI&version=1.0&verb=Display&handle=euclid.bams/1183555025
Before turning to the question of why anyone would want to assume AFA, we should first ask why it is so popular to assume FA. In the presence of the other axioms, FA gives us a clear picture of the universe of sets. We iterate the power set function along the ordinals to form a hierarchy of sets Va in the usual way. Then FA is equivalent to the statement that an object is a set iff it belongs to some Va. That is, every set belongs to the hierarchy obtained by iterating the power set operation along the class of ordinals. This axiom leads to a picture of the universe of sets as "created step-by-step from below." This picture of the mathematical universe as generated in stages from the empty set (or even from atoms) is related to the view that the physical world is built from indivisible particles, or that the social world is composed primarily of independent individuals. This connection is the real cultural significance of FA in mathematics. It connects us with a deeply rooted atomistic paradigm that occurs throughout science. Conversely, to deny the iterative conception is to challenge "common sense." There is nothing wrong with this--indeed, the challenge to this paradigm seems to be one of the most important intellectual stirrings of modern times.
P.61 図式が可換であることの定義が「どんなやり方で矢印にしたがって図形をたどっても結果に矛盾が生じないということ」だったりと数学用語には疎いようだ。
※筆者の方とやりとりをしたところ、どうやらこれは定義をしたつもりではなかったらしいです。なので取り下げます。(ただし、表現は変えるそうです。)
P.82 のつもりで、 と書いているようにみえる。
数理物理学の先生で知の欺瞞の翻訳者でもこのような間違い方をするのだから、理系ですらない人が無茶苦茶なのはあたりまえなのです。
では、ソーカル事件はただの間違いの指摘だったのか、というとそうではないと考える。
それについてはまた今度。
※大野さんの専門は数理物理学ではない、という指摘をいただきました。それと、このあたりは早めに上げたいと思った内容に引きずられていて、本来書くつもりだった筋からはずれるものなので取下げます。