韓国はなぜ発展したか
http://d.hatena.ne.jp/qqqlxl/20090823/p2
日本は朝鮮戦争でした。
戦後戦争を利用せずに途上国から先進国へプロモーションした国はどこでしょう。
韓国かなぁ。
それに対して私。
韓国にもベトナム戦争の恩恵があったと聞いたことがあるけれども、どこまで本当かは分らん。
正直、この辺のネット情報は、n次文献の再生産が多すぎて、日本語情報は全く当てにならない。
"Miracle on the Han River" "Vietnam War" を結びつける英語の文献はざっと探したところ全くない。
連投失礼。
上の投稿は、単純に奇跡と戦争を結びつけている文献が見つからないといっているだけで、発展に対する戦争の寄与がない何らかの証拠があるといっているわけではない。
1992年1月「韓国経済へのベトナム戦争の影響――韓国における「NIEs的発展」の基礎形成」三田学会雑誌 (佐野孝治)
http://www.econ.fukushima-u.ac.jp/xoops/modules/news/article.php?storyid=78
「韓国の経済発展とベトナム戦争」(朴 根好)
査読なさそうだけども、両方大学にあるようだから一ヶ月以内に見てくる。
http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/thesis/doctor/?choice=summary&thesisID=144
博論が通る程度のテーマではあるらしいから発展と戦争は関係ありそう。
けれども、漢江の奇跡をベトナム戦争と絡めるのは用語の使い方を間違えているのかな。
いや、もっと僕のレベルの低い話でして、戦後の韓国史はさっぱりなので、発展時期に戦争があったからといって恩恵があった(あるいは利用した)といえるのか、がちょいと分らなかった。
戦争により疲弊したというのはよくあるわけじゃない。
で、調べだしたら英語の文献だと、"Miracle on the Han River" は政治的資本的な側面についてでベトナム戦争についての言及がない感じだった。
あれ、と思いながらもうちょっと探したら、経済発展とベトナム戦争については資料がでてくる。
ではなぜ、奇跡と戦争の関係では出てこないんだとなると、「単に高度経済成長の事実を指す」のが怪しいのではないか、という可能性が高いと考えた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wirtschaftswunder
ドイツ復興も朝鮮特需か。
財政投融資とか聞くとぞくぞくするね。
まず、「韓国経済へのベトナム戦争の影響」と「韓国の経済発展とベトナム戦争」は博士課程の学生が書いた論文と博士論文であった。
「韓国経済へのベトナム戦争の影響」(三田学会雑誌)の要約
はじめにの後半
ベトナム戦争の時期は、第1次および第2次経済開発5カ年計画の時期と対応しているためか、渡辺利夫氏を中心に韓国の経済発展の理由として、「輸入代替政 策」から「輸出志向政策」へといち早く転換したことを強調する論者が多く、ベトナム戦争の影響はほとんど無視されている。従来、このベトナム戦争の経済的 影響に関しては文献が少なく、しかも古い文献がほとんどである。特に最近の韓国経済論には「ベトナム戦争」の文字すらないものが多い。
しかし、韓国の経済発展が、単に政策だけの問題ではなく、ベトナム戦争という特殊な歴史的状況の下で可能になったことに注意するべきである。日韓国交回復 と並んでベトナム戦争との関連を抜きにして、この時期を分析することはできないし、70年代以降の経済成長も理解できない。韓国におけるいわゆる 「Nies 的発展」の基礎を形成し、工業化を軌道に乗せたもの、それがこのベトナム戦争に伴う、特需と経済援助および輸出の持続的拡大なのである。
もちろん、韓国の経済成長が成長によるものだと主張して、意図的に「明るい」韓国像に泥を塗るつもりはまったくない。ただ、客観的にベトナム戦争の影響を 分析し位置付けることによってのみ、本来の韓国像を見つけることができるのだと考える。「ベトナム戦争と韓国」を問うことは、言うまでもなく「朝鮮戦争と 日本」、「ベトナム戦争と日本」を自らに問うことであり、さらには他民族を支配してきた自らの歴史を見つめ直すことなのである。1950年代における李承晩政権下の韓国経済は、主にアメリカの援助と国家による農民収奪に依存した「援助依存型経済」と特徴づけられている。
50年代末に行き詰まり。
- 国内市場の狭隘性と援助物資配定を巡る生産拡大競争のために過剰生産に
- ドル防衛のため、対韓援助が削減され借款に
端的な現れが、不正蓄財問題と農漁村高利債問題
1961年に朴正煕による軍事クーデター
- 農漁村高利債整理令
- 不正蓄財処理要綱
- 不正蓄財処理法
- 不正蓄財還収のための会社設立臨時特例法
によって不正蓄財を工業化投資に。
第1次経済開発5カ年計画(1962年?)
課題は
- 国民経済の構造的不均衡の是正
- 基幹産業の拡充と社会間接資本の充足
- 国際収支の改善
国内政策
外資導入および輸出促進
結果
3年目に下方修正
失敗理由
ベトナム派兵の動機
- 表向きは「反共アジアの結束を強化し、友邦諸国の恩恵に報いる」
- アメリカとしては「ベトナム戦争の国際化を図る」
- 朴政権はアメリカに忠実で韓国軍の統帥権はアメリカ軍が直接掌握していた
- アジア最大の兵力
- 安上がり
- 派兵反対の政治的勢力が相対的に弱い
- 在韓米軍のベトナムへの転用は米韓安保体制を大幅に弱化させ、米国の対韓軍事公約の信頼性を著しく低下させるだけでなく、朝鮮半島における戦争抑止構造 に重大な影響を及ぼすものと考えられた。
- 軍事的経済的アメリカへの依存
- アメリカの信任と支援による朴政権の政治的利益(クーデターによって政権を奪取したので大統領選・国会議員選挙に大きな影響)
- 軍事力の増強と安全保障体制の強化を図る
- 経済的利益
特需の増大韓国経済における特需の比重
- 国民総生産に対する特需の比率は67年に5.3%
- 日本の朝鮮戦争特需では1953年に3.8%
輸出総額に対する特需の比率は70.6%(67年)
経済援助
- アメリカの援助と借款
- 対日請求権資金
ちゃんと計算していないけれども、ぱっとみ、だいたい5?10%が請求権で2割強が日本からの借款。
技術導入および資本財の輸入による設備投資の拡大
- 設備投資の拡大
- 技術導入および資本財の輸入
- 輸入支援策の整備
輸出の持続的拡大
ベトナム派兵後の好循環
"特需収入の増大、援助・外資導入、輸出の拡大"が"外貨獲得の増大"をうみ、それが"輸入能力を拡大"させ、"経済援助"や"工業化促進政策"とあい まって、"資本財・中間材の輸入の増大"へとつながり、"外国技術の導入"もあり"設備投資の拡大"が行われ、"生産拡大生産性向上"し、"輸出支援政 策"と"低賃金労働力"の助けで"輸出競争力の強化"がおき、それは"ベトナム戦争による世界的景気拡大"のもとで"輸出の拡大"をもたらす、という好循 環ができた。
その後、特需は70年以降はそれほど大きな比重を占めていない。外貨獲得源は輸出や外資導入に譲っていった。
- 呼び水的役割を果たした
- 韓国経済力の国際的信用を得るきっかけ
- 財閥の基礎の形成
- 建設業者の海外進出
- 国内建設軍納がインフラストラクチュア投資となり産業基盤の強化に
- 用役軍納が失業問題の改善とともに技術や経験などの蓄積に役立ち、70年代の重化学工業化に寄与
問題点
- 生産材生産部門の未発達
- 外資導入の審査が十分でないことにより銀行管理下におかれる不実企業の続出(政府や銀行が借款返済を保証していた)
- 所得格差が拡大する傾向にあり、国内消費需要拡大に限界
要約終了
もう一冊の方の「韓国の経済発展とベトナム戦争」を読んで、だいたい状況がわかった。
これまで、韓国の高度経済成長の要因について、さまざまな角度から検討されてきた。そして、snip よく取り上げられてきたのが、ガーシェンクロン・モデルを基礎にした「後発性利益」という見解である。日本の著名な開発経済学者渡辺利夫氏は、韓国の高度経済成長要因として、韓国には、後発性利益を内部化するための社会的能力、すなわち、政府の政策転換能力、起業家の経営能力などが存在していることをあげている。つまり、氏の見解は、内的要因を強調するものであり、これが韓国の経済発展の重要な一面を説明していることは事実である。内的要因を強調した点において、渡辺氏の見解が果たした役割はきわめて高いといってよかろう。snip いくつかの問題点がないとは言い切れない。snip 六〇年代前半は低成長であったのに、なぜ六〇年代後半は高度経済成長を成し遂げたのかが、必ずしも解明されていない。snip 政策にとって有利な国際経済環境、すなわり世界市場の急速な拡大によって輸出市場を保障されたこと、ならびに、先進国からの豊富な外国資本と技術の導入が可能であったことなどが欠落している。
また、高度経済成長要因として、snip 儒教精神の影響をあげる見解もある。その根拠として、つぎの二つがよく指摘されている。(一)教育水準の高さとそれがもたらす労働力の良質性、(二)勤勉、その代表的指標として論じられる長時間労働が、それである。
snip
このように、教育水準が高く、労働時間が長いのは、韓国だけでなく、ASEAN 地域においても見られるものであり、その意味で経済発展と教育および儒教文化とを直結するというのは問題があると思われる。
また、韓国の高度経済成長が、米国と日本との関係を抜きにしては考えられないとして、国際経済環境が有利に作用したことを重視する見解がある。加工貿易型構造、すなわち「成長のトライアングル」がよくあげられている。これについては、多くの論者の一致した見解であるといってよかろう。
渡辺利夫氏と同様「圧縮経済」の見解をもつ趙淳氏によると、豊富な労働力の存在、教育水準の高さ、政府の経済発展促進政策だけでは、韓国の「圧縮成長」を説明することはできず、それ以上に国際経済環境が韓国に有利に作用したことを指摘するとともに、加工貿易型構造を高度経済成長の要因としてあげている。しかし、時期的になぜ六〇年代後半以降になってそれが突如として登場してきたのか、なぜそのような構造になったかが、必ずしも解明されていない。
本書では、これらの諸要因を排除するというわけではなく、むしろ、様々な要因が重なって高度経済成長が成し遂げられたと思われるので、それを補おうとするのが目的である。したがって、六〇年代の経済発展が、ベトナム戦争という特殊な歴史状況のもとで可能になったというところに目をむけて分析してみたい。韓国のベトナム参戦が、ベトナム特需とその見返りを呼び、これがいわば呼び水となって、韓国の工業化を促進するのに寄与した役割を重視するのである。経済発展へのベトナム戦争の影響に触れている文献は、「戦後日本資本主義と「東アジア経済圏」」小林英夫と「韓国経済へのベトナム戦争の影響」佐野孝治があげられる。
この本の内容は
そこで、本書では、ベトナム特需の実態把握に絞り込むのはもちろんのこと、ベトナム経済活動収益、ベトナム参戦の見返りなどが韓国の工業化、とくに、輸出の拡大、外資と技術導入、強力な政府の台頭、新興財閥の形成などに、いかなる影響を及ぼしたかを考察してみたい。
こんなかんじ。
だから、妙な言い方だけれども、博士論文をとれるくらい真っ当なテーマではあるらしいが、だが現在でも博士論文のテーマになる程度に枯れていないことから韓国経済発展の原因の主眼ではないようだ。
30+200ページくらいだからそんなに大変じゃなかった。
式のない本だしね。
おそらく、戦争では極めてよい条件がそろうことになるのだろうね。
そして、外貨獲得手段としても極めて良質である、ともいえそうだ。
これは思いつきだけれども、
- 長期的に取引が継続されることが保証されて、長期的な成長戦略が容易に立てられるようになること
- 取引の信頼を副次的に得られること
というのは同じ額の外貨獲得でも他の手段では得がたいだろう。
ようは経営者の大人の事情とか情報とかに相当する部分。
たとえば、100兆円が大きな額だといっても1億人で割れば100万円にしかならんわけで、それを元手に何かしろといわれても難しいだろうと。
乗数効果を示す前提として失業者がある程度いるモデルを採るのと同様に、戦争遂行のときには途上部分を発展させて使うというのが最も効率的だろうから、
- 一時的に先進国の内側とみなされて技術導入が進む
というのも重要だろう。
ただ、代替の利く外的要因のひとつでありクリティカルなものではないというのは確かなようだね。
ベトナム戦争は65年からで、70年以降はそれほど大きな比重を占めていない、というのだから、わずか5年あれば呼び水として十分というのも驚きかなあ。
それと、対日請求権も日米安保の一環として行われたものに、今後の請求破棄を約束させるために名前をつけただけに思える。戦後20年経っていたのと米国の 援助がちょうど減っているわけだから。このあたりも興味深いね。
冷戦当時の空気を理解するには、どうしても相当量の本を読まねばならないようだね。