卒業式

卒業式の日。僕は教室に愛着があったから最後の方まで残っていた。もう、ほとんど人のいない教室を出て、急いで階段を駆け下りた。ふっと、今追い抜いた人に見覚えがあって、初めの踊り場で踏みとどまって上を見た。N ちゃんだった。彼女も階段の上から数段目で足を止めた。目があった。何かを言おうと思って、僕は小さく口を開けたが、すぐには言葉が出てこない。ちょっと考えて「あること」を言おうと思ったが、その言葉が「ああ、そうか、別の世界に旅立つのか」と教えてくれたので、何もいわずに階段を駆け下りることにした。

ニアミスすることはあったようだが、予想通り、それ以来 N ちゃんを見ていない。


もっとも、この時期に周りにいた人々に興味があるのは、ちょうどそのとき強烈な衝撃を受けた僕だけなのかもしれない。少なくとも、もう一人の幼馴染 R ちゃんに連絡をすることがたまにあるのだが、あまり反応は芳しくない。
そういえば N ちゃんはしっかりした子だと思っていたが、18年間私と同じ学校に通っている友人がそうではないと思うよ、と述べた。そうかもしれない。見知らぬ地で初めて頼りにしたというバイアスが強かったのだろうか。


今、N ちゃんは仕事のことも家族のこともつらいだろう。
また会えればいいが、そういうことがなくても小学校を出てから20年経ったら連絡をつけてみよう。そのころには、あの子も立派な母親になっているだろうし、私もまっとうな社会的身分が与えられているとよい。そのときに、あの時言おうとしたことを伝えよう。