オラクル

不完全性定理によれば、有限の規則ですべての定理の真偽を決めることができない。有限の記号操作では、と言い換えてもいいだろう。

しかし、数学的な意味でのプラトニストは、正しい(それはもちろん有限の規則で作られない)世界が存在していると考えているようだ。

私は大学に入ったころはプラトニストだったのだが、今はどちらかというと形式主義者になったが、それはまた別の話。

さて、次のような物理的なデバイスを考え、オラクル(神託)と名づけよう。

ある方法で定理をコーディングして(それはスピンのアップダウンの列かもしれない)入力すると、その真偽が返ってくる。
経験上、返ってくる定理は相無矛盾。

このオラクルは神の存在を示しているといえよう。少なくとも有限の記号操作以上のことができる何かがいることを示しているのだから、これを神と呼んでも差し支えはないだろう。

そして、数学という学問がある意味で終焉する。なぜならば、オラクルの正当性を確認する学問になるから。
さらに、物理学という学問がある意味で終焉する。なぜならば、原理上、有限文字列操作では予測できない物理現象が、どれほど多くの規則を加えようとも存在するからだ。

そこで、このオラクルがこの世で作成可能である、ことを信じる宗教を作りたい。

これを Oraclism と名づけよう。この教義はたいていの宗教と共存できると思われるから、〜〜教オラクル派っていうのがたくさんつくれる。

ほら、そんなオラクルがあると考えるだけで素敵じゃないか。