権威

哲学不要と考え出したのは、分析をすれば、あらゆる思想を完全に無批判に受け入れようとしていた高校の初めの自分と恐らくある人に対する反発から来ています。といっても、その人とそれほど頻繁にやり取りしていたわけではありませんが。

どんな相手でも間違っていると思えば指摘するので権威に強いと思われているかもしれませんが、実際は非常に弱いです。特に高校時代の中ごろに読んでいた文章は多くが古典でした。そこから、ひとつの決意として、いかに高尚と思われているものでも、納得するまでは無価値として扱い、納得しても納得したことだけを理由に価値を見出してはならない、常に批判するべきだ、と思うようになりました。
また、もうひとつ科学知識の欠如というのがあります。自然は見ていれば見ているほど、いくらでも直感に反する結果がでてくる。直感は信じられない。これでも、僕は直感を思考で補助しているタイプのつもりなのですが。

  • 自然に言及しない
  • 自然科学に深い造詣を持っている

のどちらかができてないと、読んでいてどうしてもストレスになります。たかが学部生程度未満の相手だと。こう、なんですか、浅さが見えて。それでも、自然科学を超えたところへの言及を僕もする以上、それを体系立たせるのに哲学は必要でしょうね。

某に哲学というものへの不満をぶちまけた後でこういいましたよ。僕「なんか昔逆の立場でRと同じような論争をした記憶がおぼろげながらよみがえってきた」某「うん、nucちん変わったなあ、と思った。」