教育哲学

教育哲学の人たちは総合教育を唱えているらしいが、実に楽しい。北海道の牛で、まず牛に関する文章を読ませて国語。屠殺方法から流通・小売までで社会を、牛の食物連鎖で理科。数学は? 体重を量るのに一つの体重計では桁あふれ。4つ足に体重計をおいて和を出すことを思いつかせる{ここで考える力を身につける}*1(僕には残念ながら苦笑する余裕がない)。っていうか、これって公理だろう。思いついたらニュートンやフックくらいにはなれるぜ。
おまえらの理科は生物と同値か。あなたの数学って四則演算のことでしたか。むしろこれって単純な静力学だよな。
> 専門バカの問題点は自分の専門しか知らないことでも、他人の専門を知らないことでもない。
> 他人の専門を分かっているつもりになることである。
ということを痛感。
物理学者の生涯の歴史をやってこれを物理を教えたと称する考え方もあるみたいだから、関わりたくないなと思うだけで議論する気はないが。

関連付けて教えてもなんら得るところはないと思っているが、あえてするとすると、どうすればいいだろうか。たとえば、五行相生五行相克とZ_5体の話と結びつける、とかどうだろう。

陰陽は江戸時代まで一般教養としてあって、平賀源内がうなぎ屋に土用の丑の日と書いたときに、なぜうなぎがいいかが皆ぱっと分かったのだろう。河童はキュウリが嫌いだ。馬に悪さをするのは当然だ。

しかも、中学では教科というものはすべて「〜〜を通して道徳を教える」というものらしい。では、三角関数を通して、微分から、いかに道徳を教えられるのであろうか。(x^3)'=3x^2という式を見て。x^3は人の魂を表します。微分することは表層の姿をとることそのものです。係数の3は完全性ですから、人の魂は表層の姿でこそ完全なのです。帰れ。

*1:重要赤線