子猫の間引き
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060822#p1 子猫を殺すことから知ったのですが、日経新聞に載った「某作家が子猫を殺しているという記事」をネタに騒いでいるらしい。
その記事読みましたけれども、今回は特に不愉快に感じるものではなかったですね。いや、あの欄はたまに本当にこれどうなのよと言いたくなる文章が載るのだけれども。「これ贔屓目に見ても書いたの中学生だろう」とかね。
コメントをしようと書き始めたのだけれども、長くなったのでやっぱりここに書くことにした。
そのうちのひとつは椋鳩十氏の作品だったかと思うのですが、飼えなくなった愛犬を自ら銃殺・毒殺する「美談」があって、子供心にそのようなものなのかと複雑に感じたことがある気がします。これは安楽死ではなくて、軍隊に行かねばならず他人に預けることになったが、それではやっていけないことを確信したから殺す、みたいなものでした。読んだのは十年以上のことなので記憶が定かではないのですが、それが椋鳩十ならば、つまり、少なくとも70年前の常識として、飼い主がペットの生死も含めて管理するのは「オトナとしての最低限の行動」で、それもできない人に動物を飼う資格がない、というものであったはずです。
江戸時代あたりまえのように人でも間引いていたのを、明治以降厳しく取り締まるようになったために、その後人口過剰が問題なった、ということもいくつかの示唆を与えてくれるでしょう。
去勢よりも間引きのほうが悪いとするのは、日本人に関していえば長くともここ150年の感覚であるのです。まあ、でも間引きも去勢もしないという選択をしなくてよかった。自然界だと猫の生存率はそう高くないのに人が飼うと途端にこれが跳ね上がるから二年もしないうちに破滅するんですよね。猫は年四回発情で生後一年もしないうちに成獣になりますから、あとは簡単な鼠算ならぬ猫算ですなあ。そうなるとストレスで母猫が食い殺したりするそうですからねえ。現代においてはあまり猫の母体に影響を与えない(発情がなくならない)去勢法もあるらしいですが、彼女の主張として妊娠・出産も楽しみだということだから、まあ、どちらもまだ経験していない僕としては15へぇくらいで。
あと、
- 「当時のチェコでは、(チェコのみならず、世界中どこでも)、産まれた子犬を間引きするのは当然の習慣だった。」(チャペックの犬と猫のお話((http://www.nekohon.jp/books/chapekkunoinutonekonoohanashi.html)))
- 「猫間引きの話」に「あれは、今から30年も前のこと。(中略)「うん。埋めてこいって言われたの」その子はニコニコしながら言った。」とある。
動物の保護及び管理に関する法律で昭和48年というと2633年ですから丁度法整備が行なわれた時期ですね。ということは牝猫に対する去勢技術は既に一般的だったのでしょう。
まとめると「猫の間引きは少なくとも30年前には極自然に行なわれていた伝統的で普遍的なありふれた行為、実は強烈に拒絶するほうが『少数派』」ってことでしょうかね。