物理学と公理主義

優秀な後輩の一人が、数学において卓越しているのだが、物理に興味を持ったという。彼はよく、集合論の言葉で喋ってください、という尤もなことを述べる。つまり、方言として数学の各分野の言葉や日本語すらも分かり合えている確証があれば使ってよいが、とりあえず、共通語としての集合論があり、困ったらそれで話そうというスタンスである。私は非常にそのスタンスに共感を覚え、見習わねばならぬと思うが、物理においてはその立場はあまり好ましくないと聞いたことがある。物理学に公理主義が席巻した時代があったがそれは何も生み出さなかったという。
「公理主義者達の、素粒子物理学に対する貢献は、任意の正数εより小である」(リンク先の「数学と物理学」参照)
話は少し変わって。

非ユークリッド幾何学である.これはそれまで西洋近代文明の真理の柱と信じられていた「ユークリッド幾何学」において「自明」のこととされていた「公理」を別の公理で置き換えても矛盾が生じないことを示したのである.


「些細だけど間違い」かと思ったんだけど間違ってなさそうだ。しかし、微妙な表現で間違っているかあっているかが判断できないなあ。(ようするに、実数論が無矛盾ならば、をつける必要があるのではという疑問。)

 重い恒星へ入射する光については、(2) で述べた。では、重い恒星から放射する光は? 特に、ブラックホールの場合は? ブラックホールでは、どうして放射する光が外部に抜け出せないのか? これについては、はっきりとは断言できないが、次のように推察できる。(「全反射」という概念で説明する。)
 光の場合、屈折率の高いところから屈折率の低いところへ斜めに入射すると、垂直線(法線という)に対する傾きが大きくなる。その割合は、屈折率の比と同様だ。屈折率が2倍だと、斜め傾く度合いも2倍になる。で、斜めになる度合いが一定限度を超えると、出る方の角度が 90度を超えてしまう。すると、外に出ることができなくなる。── これが「全反射」と呼ばれる現象だ。たとえば、水中から空気中に出ようとする光は、ある程度よりも斜めになると、もはや空中には出られなくなる。
 ブラックホールも同様だろう。ブラックホールのある空間では、中心から離れるにつれて、真空の密度がだんだん薄くなる。とすれば、ブラックホールから放射する光は、屈折率の低いところに向かうことになるので、最初にちょっとだけ傾いていた光があれば、中心から外に放射して行くにつれて、だんだん斜めの度合いが増えていく。そしてついに、90度を超える。つまり、全反射と同様だ。


非常に面白い考え方だと思いました。しかし、どこから手をつけていいか不明なほど間違ってます。大体、ブラックホールは一般相対論があまりにも高精度に世の中を予言するのであると思われたわけで、そういう理論で行くならば別になくてもいいじゃないの。それに上のブラックじゃないブラックホールが出来るぜ。

上のサイトは無茶苦茶なので楽しめるかと。

ちなみに、この方の書いた数学パートが例の「区体論」なので恐らく区体論ではルベーグ積分論(いや、別にそれに限らないけど)は展開できないだろうなと思います。いや、展開できるか否かを真面目に考えてあげる気起きないけど。
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20050604/p7