理由付け

学士会報に小田島先生が「シェイクスピアの人間談義」という題で、以下のように書いている。

嫉妬深い人は…理由があるから嫉妬するのではなく、嫉妬深いから嫉妬するのです。(オセロー三幕四場159行)
They(=jealous souls) are not ever jealous for the cause, but jealous for they are jealous.<略>
例えば『ヴェローナの二紳士』という初期の喜劇があります。そこにあるお嬢様とその侍女の会話があり、男の品定め、源氏物語の雨夜の品定めふうに始まります。その時、お嬢様のほうが侍女に、あの方をどう思うかと聞くと必ず批判的な悪口になっていき、そして、お嬢様の恋人の名前を出すと、そのことを侍女のほうは知っているので、「I think him best. 私はあの人は最高だと思います」と言います。お嬢さんのほうが、「Your reason? その理由は」と聞くと、reason っていっても、「I have no reason but a woman's reason. 私には女の理由しかありません。I think him so because I think him so. そう思うからそう思うんです」というやりとりがあります。あの方が最高だと思うから、そう思う。これを woman's reason、女の理由という言い方をしています。
そう言われてみると、女子高生たちにアイドル歌手の名前を出して、「好きか」と言ったら、「好き」と。「どうして」「好きだから好き」。これ、非常に正しいんです。男の子に聞きますと、こだからって、何か理屈を言います。男はだめです。僕も理屈を言いたくなるほうだけれども、好きだから好きというのが、いちばん当たっているでしょうね。つまり人間というのは、これだけの動機があればこれだけ行動するものだという具合の見方にとらわれていると見損なうので、嫉妬深い人は嫉妬深いから嫉妬するという風に見る。これは非常に正しい見方だと、僕は思います。シェイクスピアはそういう例をいろんなところで言っています。<略>

うん。女の理由かどうかは知らんが、理由付けを止めるところが非常に重要。
学んでいる学問からか、第一原理的になるところがあって、第一原理までさかのぼることができたらさかのぼるし、それがまったくできないことが分かっているものに対しては、完全に理由付けを避ける傾向がある。
で、なぜか人は大きな理由に還元したがる傾向があって、それは恐らく進化上の理由で手に入れたのだと思うけど、理性を手に入れたらなば、生得のいくつかの機能を意識的に削ぎ落としていかないとろくでもないことになる。
大きな理由への還元といったことがまずいのは、恐らく個の尊重があるのだろうな。
あ〜、「進化論と矛盾しない」というのと、「進化論から導ける」というのには大きな隔絶がある。

もう少し寛容であろう。

その次に思ったこと。
小学校の5年か6年か、オセローは学級文庫に転がっていたのを読んだはずだがこの引用を見せられても全然記憶になかった。
嫉妬というテーマはガキにはどうも分からなかったのだろう。むしろシェークスピア全般分からなかった。でも、記憶に残っていて、或いは引用してみようと思うのは、幼い頃に読んで、さらに読み直したものだけかな。そうでもないか。

それはそうと平均で日にのべ300以上、ユニークでもその半分くらい、このページを見ていることに気がついたのだが、多すぎないか。検索エンジンを汚しているのが原因なわけでもなさそうだし。

  • 僕に探偵が20人くらいついている。
  • 実は意外と面白いの?