なぜ「大してうれしくない」か
今年、南部先生、小林先生、益川先生がノーベル賞に輝かれた。
そのニュースを実験室で知り「おお、このメンバーなら誰も文句がつけられない。つけられるとしたら遅かったことくらいだ。」と思った。ただ、組み合わせが少し妙なので「何で?」と思い、確認すると「自発的対称性の破れ」とある。なるほど〜。
しかし、これは難しい。特に南部先生の業績は説明できる気がしない、というかそれ以前に説明できるほどきちんと分かっている自信がない*1、笑。実際にテレビ局から電話がかかってきた。私はにやりと笑ってこういった。「おう、おまえか。言いたいことは分かる。だが、これは相当難しいぜ。」ざっと説明するが頭を抱える彼。「明日の朝までに、また聞きなおすよ。」
集まり NHK のニュースをみる。いかにも分かってそうな顔で「自発破れ」といっているのがちょっと面白かった。
そして、問題の益川先生の発言である。
「いや、大してうれしくないです。」
皆様なにか勘違いされているようだが、この「大してうれしくない」はおそらくは益川先生の本音だ。小林先生も似たようなものだろう。なんとか小林先生が自分のプライドと世間体のバランスを取ろうとしているのにアナウンサーは全く空気が読めていない。そんなにうれしいと言わせようとするのは実に非礼だ。
小林先生・益川先生はそろそろ敬称を失う方々である。つまり小林・益川と呼び捨てにしないと私のような下っ端には何となく落ち着かない、ということだ。これは足利尊氏を足利尊氏様と呼んだら「おまえ何」という感じがするのと同じである。
先に小林益川理論を知りその後に「彼らがご存命であることに驚愕する」学生はそれなりにいると思われる。それくらいの方々なのである。
インタビューを受けている小柴先生から流れる微妙な空気もこれを反映したものだ。「もらって当然だと思いますよ。」といっているのは文字通りなのだ。野依先生は多分大して分かってない。ぎらぎらした方らしいから自分の箔付けに使えるとでも思ったのだろう。
#これは余談だが、コメントを政治家に求めるなら有馬朗人さん(東大理物)とか不破哲三さん(東大理物)とか菅直人さん(東工大応物)とか志位和夫さん(東大物工)とかに聞かないのだろうか。たぶん、内容まで踏み込まれたら有馬先生以外全員困るだろうけれども。予想だと現役の大物政治家なら鳩山由紀夫さんが一番まともにコメントできるんじゃないか。さすがに無理かな。
南部先生はさらに格が上だ。
そのことは、受賞は「大してうれしくない」とおっしゃった益川先生が「南部先生と共同」であるところには感極まって泣かれたところに如実に現れている。これがどれほどまで異常な事態なのかを少し考えてみてほしい。*2
学科の同期は以下のような趣旨のことを述べていた。
おそらく半ば冗談でもこう口にした人はそれなりにいるのではないだろうか。
「南部先生? まあ、いつとっても不思議はなかったけれどもどうやって与えるのさー。漸近的自由性(2004)も出ちゃっているし、いまさら下手に出したら委員会、格好悪いということになるぞ。」昨日の時点で研究室ではそんな話もでていた。
南部先生が「実はちょっと驚いたわけですけれどもねえ」とおっしゃっているのは「私なんかが受賞していいんですか」という意味ではない。どちらかといえば「いまさらかよ」という突込み、あるいは「もうちょっとしてから別の誰か(ヒッグスあたり)と一緒にするのかと思ってた」というほうが近いだろう。
つまりだ。これは三人ともいえるが彼らはノーベル賞が来たことによって自分たちの研究が評価されたことが分かるレベルの人々ではないのだ。それどころか、ノーベル賞をとっていないことによってノーベル賞を物理学会の最高の賞と呼ぶには躊躇するよね、と思わせるほどなのである。
物理の世界での彼らの評価が受賞によってあがることはない。せいぜい社会的に有名になるだけなのである。このことが物理と無関係な多くの仕事を呼ぶであろうことを思えば、単純にうれしいと喜んでいるわけではないのではないかな、とも推測できる。
私は「これで三年間は東大の優秀な学生がことごとく物理学科へ吸われるか」ということが頭を掠めた。陽な仕事の他にもこういう陰な仕事もなさることになるのだろう。
さて。
ここまでの前提をもって、もう一度インタビューを聞きなおしてみてほしい。
驚くほど違ったように聞こえること受けあいだ。
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20081007/ でノーベル賞関連のエントリーが一ページでみられます。
P.S. 物理の院生の方々へ
誰か解説記事を書いてみませんか。院生くらいが一番くだけた説明が遠慮なく出来ると思うんです。
追追伸
http://d.hatena.ne.jp/DOISHIGERU/20081007、The 2008 Nobel Prize in Physics - 砂浜で遊ぶ子供、このあたりのブクマ数の少なさは驚きだ。また、南部陽一郎の講演でスヤスヤ寝ていた私がノーベル賞研究を解説する準備をはじめてみる - Active Galactic : 11次元と自然科学と拷問的日常を期待して待っている。惹きこまれる文を書く方で以前から気になっていたので。*3
はてぶの稼ぎ方
まぁnucたんはリアル世界では知的で温厚な人間だからこの侮辱的な発言も笑ってスルーしてくれるだろう.
2008-10-11
申し訳ないが、ここでは知的でも温厚でもない。
おかげさまで、
なぜ「大してうれしくない」か - 白のカピバラの逆極限 S.144-3
は500以上のはてなブックマークを稼ぎ、二日で一万五千ものアクセスがあった。
実は、これは極めて計画的なものであった。つまり、実験的に、はてなブックマーク向けの文章を書くにはこうすればよいという自分の仮説を検証するという目的があったのだ。
私は発表当日から
- カビボ先生に関すること
- 南部先生は日本人かということ
- 小林益川理論のほうが分かりやすいために、南部先生の扱いが極めて軽くなること
など、それから数日の間にネット上に出てくる話や起きるであろうことが一通り分かる状況にあった。
こういった内容は「こんな訳分からない業績でノーベル賞なんかとりやがっていい迷惑だ」と泣きついてきたテレビ局勤めの友人に一通り話し、反応をみながらマスコミでは話題にできない上に面白い話題をしぼっていった。
そのうち、うまく書けば、はてぶ400は確実だと思ったのが上の「なぜ「大してうれしくない」か」である。
正直な話、上の内容は要約すれば、「小林益川は物理界では物凄い業績で、ノーベル賞よりも偉く、南部はさらにそれを超越している。」ということに過ぎない。
これ自体も意外感はあるが、それだけなので味付けをする。
- 鮮度が高いうちに書く
- 鮮度が高ければ皆が興味を持っている
- あまりたくさんの内容を盛り込まない
- 何が言いたいのかがわからなくなって紹介もしにくい
- 短すぎず長すぎず
- 短すぎるとありがたみがないが長すぎると読む気が起きない
- 状況を単純化する
- 複雑だと分かった感がなくなる
- レトリックを多用する
- 中身があるように見える
- タイトルは目を引くように
- タイトルのキャッチーさは人目を引く
- 強気にきつく
- 権威を殴り、波紋を呼び起こしそうなことを紛れ込ます
- きれいに終わる
- 読後の後味大切
といったところである。
タイトルに関しては失敗したと考えている。もともとは「なぜノーベル賞をとっても「大してうれしくない」か」で公開したのだが直後に修正したのは後悔(だじゃれ)。
次の実験があるとは思えないが、ま、そのときには気をつけましょう。
ノーベル賞の舞台裏の舞台裏
こうして
わたしは
いんねんの
たたかいに
やぶれた
敗れた、と述べているのは「はてなブックマーク - 日本にノーベル賞が来た理由:NBonline(日経ビジネス オンライン)」の記事との競争である。「はてなブックマーク - 日本にノーベル賞が来た理由 - 幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死:NBonline(日経ビジネス オンライン)」もあわせると、ブクマ数は700を超え、大差で負けている。読みにくいのに。
何を血迷って、院生に過ぎない私が、准教授相手に戦おうとしているのか、とお聞きになりたい方も多いかもしれない。
それには実に4年におよぶ長い歴史があるのだ。
上の記事をお書きになった、かの伊東乾先生は私が東京大学の教官の中で最強のババとみなしている存在である。
なんだかほかのサイトに紹介したくなりました。すごいなぁ。狙わずにここまで出来るって考えにくいです、はい…
いいものをみせていただきました(合掌)
まあ、見ればこれが情報の教師かと驚くようなものです。
まとめると
- HTML とは思えない書き方の HTML を教える
- 動かないスクリプトを公開
- パスワードの平文埋め込み BBS を生徒全員に使わせる
ここには書いていないが、彼の大学のサイトの掲示板には10秒間に1つスパムが投稿されるというひどい状態であった。
さすがに(?)その方は情報学環の教授会でもしばしば大問題になり、少なくとも一時期、指導教員や授業担当を外されていたはずです。そもそも当時学長だったH氏が反対を押し切って無理矢理採用した方だと聞いています。いつの間に元に戻ったのか知りませんし、一般化できるほどの経験も知性も私にはないので、「だから何?」と言われると困るのですが。
情報学環 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3 (コメント)
(これはとある理由で信頼できます。)
うーむこいう立場の人があの自信に満ち溢れた文章を書けるのか…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E4%B9%BE
思考が飛んで、なんていうか批評家って困ったもんだなぁとか思った。テレビとかに出てくる人とかでも、本当にずっと研究し続けて批評し続けてる人か適当に言ってるだけかなかなか区別しがたいしなぁ。
(参考:
)
さて、内容についてだが結論から言うと正直な話、戸塚先生がなくなられたから日本にノーベル賞が来た、という推測は品がない上にもっともとは思えない。
たしかに、ニュートリノ振動はノーベル賞に値する業績ではある。現在の素粒子論は、標準理論(スタンダードモデル)がほとんどの現象を予測してしまうが、そうでない現象をみつけたというのは大きいだろう。
だが、戸塚先生が一年程度でなくなられることは分かっていたわけであるから緊急受賞させようと思ったらできなかったわけではない。それに、どういう組み合わせで渡すのかまで考えるとまだ時期尚早であろう。
私としては、なぜこのタイミングでの受賞だったかの真相は
南部氏と小林・益川両氏の研究や受賞理由は、見てもわかるように共通点は全くないといっていい(勿論遠くのほうでは繋がっているが)。ではなぜにこの時期に彼らが選ばれたのか。思うに、LHCが稼動して世界的に標準模型の最終検証並びにそれを超えた物理探査について注目を浴びている時期に受賞させておかないと、これから先タイミングを逸してしまうと考えたというのが1つあると思う。ここ5年の間は素粒子物理学の分野ではノーベル賞は出ていないし、南部氏は高齢だし、BellやBarBarの実験の成果でCKM行列の位相パラメータはゼロではないことが十分に明らかにされたし、と最早十分すぎる結果が出揃っているこのときに受賞させてようやく喉に詰まった骨を抜くことが出来たわけだ。
であると思われる。
ノーベル物理学賞受賞者にはその社会的地位を生かして科学発展に貢献してもらいたい、というかその責任があると思う。(だから年齢の低くて長生きしそうなほうから優先すべきじゃないかと)
〜snip〜
ノーベル賞に期待する機能としてはまさにそうだね。名誉を与える賞であり、社会的地位を与えるかわりに領域全体に貢献する責務を負うというような感じだと自分も思う。〜snip〜http://d.hatena.ne.jp/DOISHIGERU/20081011/p1#c1223746880 (コメント)
このあたりも妥当だろう。
ちなみに私は彼を「東大最強」のババと思っているがどうやらそれは間違いらしい。
えーと、ちなみに、情報処理教官にはもっと酷いHTMLを書いていて、しかもそっちをメインに教えている人がいるってご存じ?
ああ、もちろん、私は彼の情報の能力と授業を非難しておりますが、物理に関しては特にコメントしておりません。
基礎研究に対する扱いが悪いなど同意するところはあるし。なんといっても先輩だからね。
カビボをめぐる政治学
学問は多くの人が競いながら共同で作り上げていくものなので、どこまでを誰の業績とするかは難しい。実は、カビボ(Cabibbo) の扱いは人によって違うときいた。
それぞれ、BaBar(スタンフォード、米国) と Belle(KEK、日本)が B 中間子で CP 対称性の破れを観測したときの冒頭部分。これは今年のノーベル賞受賞につながったものだ。
BaBar
CP violation has been a central concern of particle physics since its discovery in 1964 in the decays of K0L mesons [1]. To date, this phenomenon has not been observed in any other system. An elegant explanation of this effect was proposed by Kobayashi and Maskawa, as a CP-violating phase in the three-generation Cabibbo-Kobayashi-Maskawa (CKM) quark-mixing matrix [2].
[2] N. Cabibbo, Phys. Rev. Lett. 10, 531 (1963); M. Kobayashi and T. Maskawa, Prog. Theor. Phys. 49, 652 (1973).
Phys. Rev. Lett. 87, 091801 (2001)
Belle
In the standard model (SM), CP violation arises from a complex phase in the Cabibbo-Kobayashi-Maskawa (CKM) quark mixing matrix [1].
[1] M. Kobayashi and T. Maskawa, Prog. Theor. Phys. 49, 652(1973).
Phys. Rev. Lett. 86, 2509 (2001)
というように、同じように "the Cabibbo-Kobayashi-Maskawa (CKM) quark-mixing matrix" に言及しているのにもかかわらずリファレンスが違う。
つまり、この二つのグループは政治的に Cabibbo をいれるかいれないかの駆け引きをやっていて後者がある意味では勝ったということになるのだろう。
ノーベル賞の構造的欠陥
ノーベル賞は、もちろん物理学会でも最も偉大な賞とみなされてはいるが、
というような発言が飛び出してしまうことからも分かるように構造的な欠陥がある。
「おお、このメンバーなら誰も文句がつけられない。つけられるとしたら遅かったことくらいだ。」
と、私は述べているが構造上仕方がない面はある。
表面的なところだけでも
- この賞は生きている人にしか与えられない
- 代表的な例はハッブルだろう。もともと宇宙物理に与えられなかったこともありもらい損なった。Landau のように事故により緊急受賞することもなかった。
- 一年に3人にしか与えられない
- 今回もカビボが受賞からもれているのが象徴的だ。これは次のように考えたら分かりやすいだろう。鎌倉幕府設立の立役者として「源頼朝・範頼・義経」が候補にあがっていたのだが、なぜか、世界最大の帝国、モンゴル帝国を作った「チンギス カーン」との同時受賞となり源範頼は賞からもれた、というようなものだ。
- 評価が定まってから与えられる
- このため受賞するのが枯れた分野になる。逆に理論があまりにも早い素粒子分野では受賞が遅れる。
- 与えられない分野がある
- 生物物理とか。
といったところか。
まあ、そんなもんだからノーベル賞ばっかりみてるなってことだね。