Assistant Professor は助教授なのか
ときどき、海外の大学の先生が Assistant Professor の訳のつもりで「助教授」を名乗っているのを見かける。それに対して、それは「助教」ではないかとの指摘が入っているのもみる。
「助教授」と名乗っている先生たちの言い分は、独立した研究室を持っている Assistant Professor であり、その点が「助教」とは異なるから「助教授」でいいのだ、ということになる。
私の考えとしては「助教」と名乗るべきであるというものだが、その理由を説明していくと、複雑な話になる。そこでここに簡単なメモを残しておこうと思う。こういう話になるのは、大学と一口にいってもその実態は多様で、大学の先生でも自分の学科以外を知っている人はほとんどいない、ということに尽きる。そして、この話は明治から現在までの大学の歴史、そして将来展望まで繋がっている。
まずは、戦後直後から見ていこう。戦前の教育制度は複雑で、様々な種類の大学と様々な種類の専門学校があったが、それらが戦後、学校教育法によって整理され、まとめて大学という分類が作られた。戦後すぐ1947年施行の学校教育法の第58条を見てみよう。ここには大学教員の分類が並んでいる。
学校教育法(昭和二十二年三月二十九日法律第二十六号)
第五十八条 大学には学長、教授、助教授、助手及び事務職員を置かなければならない。
大学には、前項の外、必要な職員を置くことができる。
学長は、校務を掌り、所属職員を統督する。
教授は、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
助教授は、教授の職務を助ける。
助手は、教授及び助教授の職務を助ける。*1
(下線太字筆者、以下すべて同じ)
この条文を読むと分かるように「助教授は、教授の職務を助ける。」という形で職務内容が書かれている。そして、この項は2007年に改正されるまで変わらなかった。
つまり、日本において助教授とは「教授の職務を助ける」仕事をしている人のことである。助ける教授がいないならば、助教授と名乗るのは不適切である。
さて、2007年に学校教育法が改正(成立は2005年平成17年)されて、助教と准教授という新たな役職が作られる。また、その時の条文を見てみよう。
法律第八十三号(平一七・七・一五)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/16220050715083.htm
第五十八条 大学には学長、教授、准教授、助教、助手及び事務職員を置かなければならない。ただし、教育研究上の組織編制として適切と認められる場合には、准教授、助教又は助手を置かないことができる。
② 大学には、前項のほか、副学長、学部長、講師、技術職員その他必要な職員を置くことができる。
③ 学長は、校務をつかさどり、所属職員を統督する。
④ 副学長は、学長の職務を助ける。
⑤ 学部長は、学部に関する校務をつかさどる。
⑥ 教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
⑦ 准教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
⑧ 助教は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の知識及び能力を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
⑨ 助手は、その所属する組織における教育研究の円滑な実施に必要な業務に従事する。
⑩ 講師は、教授又は准教授に準ずる職務に従事する。*2
見比べていただけると分かるだろうが、助教と准教授と教授は、有している「知識、能力及び実績」が「(形容詞なし)」「優れた」「特に優れた」で形容されている以外に差がないのである。それ以前は、「助教授は、教授の職務を助ける。」「助手は、教授及び助教授の職務を助ける。」という関係であったから大きな変更である。実際、PI つまり研究室を主宰している助教もいる。
では、どうして、このような変更をしたのだろうか。こういったことは法改正前に色々な議論がなされているから調べれば出てくる。
我が国の高等教育の将来像(答申)
平成17年1月28日
中央教育審議会
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1335595.htm
現行制度では、大学教員の基本的な職として、教育・研究を主たる職務とする職である教授及び助教授とともに、主たる職務が教育・研究か教育・研究の補助かが必ずしも明瞭でない助手の職が定められている。今後はこれを見直し、教育・研究を主たる職務とする職としては、教授、准教授のほかに新しい職として「助教」を設けて3種類とするとともに、助手は、教育・研究の補助を主たる職務とする職として定めることが適当である。また、大学設置基準の講座制や学科目制に関する規定を削除して、教員組織の基本となる一般的な在り方を規定し、具体的な教員組織の編制は、各大学が自ら教育・研究の実施上の責任を明らかにしつつ、より自由に設計できるようにすべきである。
……
○ このうち、現行の助教授の職は、職名や職務内容が実態にそぐわない等の指摘や国際的通用性の観点を踏まえて廃止し、「学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する」ことを主たる職務とする「准教授」を設けることが適当である。
……
助手については、助手の実態が多様なので、教育・研究の補助をする助手と教育・研究をする助教に分けた、また、助教授は、職名や職務内容が実態とかけ離れており、名称も国際的通用性に欠けるので、准教授とする、ということである。
大学の教員組織の在り方について<審議のまとめ>
平成17年1月24日
中央教育審議会大学分科会
大学の教員組織の在り方に関する検討委員会
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/attach/1342439.htm
助教の新設
現行の助手のうち、自ら教育研究を行うことを主たる職務とする者については、その職務に相応する位置付け(職名、職務内容等)の新しい職(「助教」)を、学校教育法上に設けることが適当である。
職名を助教とする考え方
新しい職の職名については、1大学の教員組織の一員として自ら教育研究を行うことを主たる職務とする若手教員の位置付けに相応していること、2現行の学校教育法上の各職の定着度や知名度、運用の実態等を勘案して社会的及び大学現場における混乱を招かないこと、3国語的・文化的な観点からできる限り自然な職名であること、4国際的な通用性の観点からも説明しやすいものであることなどを満たすとともに、法制度上の観点からの整理も必要である。なお、新しい職の職名については、広く意見を募集したところ、助教授、準講師などを含め様々な職名が候補として寄せられた。
本検討委員会においては、これらを総合的に勘案して、種々検討した結果、1大学の構造的な教員組織における若手教員としての位置付けを表すことができること、2新しい職名であり、現行制度上の各職との関係について混乱や混同を避けられること、3国語的・文化的な面から見ても、歴史的・社会的に一定の用例があること、4国際的に職名の意味内容を説明することが比較的容易にできること等を踏まえ、助教という職名が最も適当と考えられる。
助教の名称であるが当初の案の中には「助教授や準講師」という名称を使おうというアイディアもあった。しかし、当時の「教授の職務を助ける」助教授と格が違うので社会的に混乱するかもしれないとして、別の名称になったという経緯がある。そして、助教は、歴史的・社会的に一定の用例があり、国際的な通用性、つまり、アシスタントプロフェッサーとの対応がつくために選ばれている。もう少し遡って検討委員会を見てみよう。
中央教育審議会大学分科会大学の教員組織の在り方に関する検討委員会(第5回)
平成16年2月5日
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/008/gijiroku/040120801/001.htm
……
○ 日本の助手は、あまりにも職域の幅が広いので、アメリカのアシスタントプロフェッサーに相当する方が何%なのかはこれから精査していかないといけない。
……
○ 今いる助教授と新しく作ろうとしている助教授は全く格が違うので、社会的に混乱するかも知れない。今は一般の人には助教授は結構えらいという感覚が結構ある。
○ 新しい「助教授」をつくるとなると、社会的には間違いなく混乱を起こすのではないか。アメリカのアシスタントプロフェッサーに見合う日本の名称は「助教授」はとるべきでないと思う。むしろ、「教授補」、「補教授」にするとか、何か全く違うものをつけないと、明らかに混乱を起こす。
つまり、「もともとの助手の中にもアシスタント・プロフェッサーに相当する仕事をしている人もいた。」「アシスタント・プロフェッサーと日本の助教授は格がまったく違う。」「アシスタント・プロフェッサーを助教授という名称にすると社会的に混乱を起こす。」ということだ。*3
さらに、大学設置基準の第14条第15条には、教授と准教授の資格が定められており、教授の資格の要件の一つに「四 大学又は専門職大学において教授、准教授又は専任の講師の経歴(外国におけるこれらに相当する教員としての経歴を含む。)のある者」とあり、准教授の資格の要件の一つに「二 大学又は専門職大学において助教又はこれに準ずる職員としての経歴(外国におけるこれらに相当する職員としての経歴を含む。)のある者」が挙げられている。前者の法務省の公式翻訳*4は、"a person who has a career working as a professor, associate professor, or full-time instructor at a university (including a career working as a teacher equivalent to these in foreign countries);"であり、後者の法務省の公式翻訳*5は、"a person who has a career working as an assistant professor or an official equivalent thereto at a university (including a career working as an official equivalent to these in foreign countries);" であるから、海外での assistant professor の経歴は教授職の資格要件にならないであろう。
さて、「助教授」と名乗っている先生たちの言い分に戻ろう。独立した研究室を持っている点が「助教」とは異なるから「助教授」の方が混乱しないということであったが、助教の中には独立した研究室を持つ人もおり、さらに、この混乱がまさに助教という名称になった理由であることまで分かった。
では、むしろ、助教は独立した研究室を持たないものだと思っている教員がなぜいるのかのほうが疑問になる。
色々な答え方があるだろうが、ひとつの答えは、日本の大学はとても多様であり、同じ大学の中でも多様であるが、多くの人は一種類でも知っていればよいほうである、ということだろう。
大学教員雇用の仕組みと歴史
大学の仕組みが多様である理由を説明するには幕末まで戻る必要がある。まず、歴史的な事情で大学教員を雇用する仕組みに講座制と学科目制がある。学科目制は教える科目について教員を雇用するのに対して、講座制は、日清戦争の頃の1893年に帝国大学にできた仕組みで、専門を決めて、そこに教授、助教授、助手からなる講座という組織を作るというものだ。
幕末から明治にかけて、列強と対抗するために様々な教育機関が作られた。帝国大学、高等学校、教員養成諸学校と各種の専門学校が開かれた。専門学校は、外国語関係、宗教、医学、法律・政治などで、一部は戦前から大学に変わった。こういった教育機関がまとめて新制大学になっている。このため、戦前からの大学・学部は研究中心で講座制を取り、教育中心の高等諸学校は学科目制を取るという構造である。戦後直後は、講座制を取る大学のみが博士課程大学院の設置を認められていた。*6
もともとの講座制は、明治政府が学者に狭い専門性を与えて、発言力を削ぎ予算に制限をつけるためのものだったらしい*7。このため小講座制、つまり、教授と助教授が一人ずつなどと決まっていたのだが、運用が硬直的で不便ということで、1970年代の筑波大学を始めとした新構想大学などから大講座制も取られるようになった。つまり、複数の教授と助教授が広めの専門領域の一つの講座に雇用され、高めの自由度で人事をしていくということである。結果、教授と助教授それぞれが自分の研究室を持つことになる。その後、1989年に大学院設置基準が一部改正され、1991年に大学設置基準の大綱化によって大学への規制が緩和され、より多様な大学の仕組みが許されるようになる。1990年代以降に大学院重点化が行われた際に、大学の部局によっては複数の講座をまとめて大講座制に変えたところもあった。また、学科目制も大学科目に変わるところがあった。つまり、複数の授業をまとめて大学科としそれを教えるために雇用されている複数の教員という構造になる。そして、2001年以降、講座制と学科目制以外の教員組織も許されるようになった。
そういうわけで、同じ大学でも部局によって、大講座制、小講座制、学科目制、それ以外の組織がある。だから、大講座制しか知らないと、研究室主宰者になれるのは教授と助教授のみであると思ってしまうのだ。
大学というのは、場所によって違うものなのだが、なんとなく自分が通ったところをみてすべてを知っている気になっている。しかし、少し考えてみれば、同じ教育でもどのような人物を育てたいかによって、まったく違うものになるのは当然であろう。
たとえば、地方国立大学の法学部というのは、地方公務員の育成が念頭にある。市役所に行って、リーガルマインドに欠けた市役所職員ばかりであったら、市民としては恐ろしくて使えない。たとえば、地方の医学部は、だいたいがその県の地域医療を担っており、おおむね20の専門科が100人ずつの医者を抱えて、その県内の病院の事実上の人事権を持っており、その組織の構成員を育てるために教育をしている。それから、研究大学の理学部は研究に極端に振っている。たとえば、東京大学の物理学科は、7割前後が博士課程まで進学する。物理学科や数学科は物理学者や数学者になる割合が4,5人に1人くらい。同じ東京大学でも法学部だと博士まで行くのは数%と10倍以上違う。東京大学の法学部や経済学部は、官僚を養成する役割があるのだからそういうものであるが、そうなると必然的に学部教育の内容は大きく異なる。もうちょっと変わったところであると、内閣府や省庁が所管する私立大学が日本には5校あり、学位が授与されるが大学ではない省庁大学校が7校ある。
このように大学はとても多様であり、種類の大きく違う専攻や大学に通ってみないとそのことに気が付きすらしないのだ。日本の大学からアメリカの大学に移り、2つしか知らないと日米の違いであると理解してしまうのはいたしかたない。
大学教員ですらこうなのだから官僚はもっと救いがないことになる。東大法学部を出て、上級甲種で入省し、たとえば、アメリカの MBA に留学に行ったとする。知っている教育が、東大法学部では、学者になるひとがほとんどいない前提で2年間授業と試験を受けるものと、アメリカの大学の MBA になる。MBA は、大学からすると諸外国のエリートと付き合いがあることの証明とお金を落としてくれる客としての待遇だ。昔、文科省の高官に「アメリカの大学院では大学院生に給与が支払われることはない。高額な授業料を払っている。」といわれたときには驚いた。そりゃ、MBA や LLM しか知らないならばそう思うでしょう。そして、このあたりの無理解は日本の科学技術政策や教育政策に影響を与えているだろう。
特任教授
ついでに、教員組織の多様性という文脈で「特任教授」についても書いておこう。実は、特任教授という言葉は大学によって意味がまったく違う。
2002年の「新しい「国立大学法人」像について」にもあるが「・採用は、法人の定めるルールにより採用。」ということになったので、現在、基本的に大学はおのおの非常に自由な裁量で採用を行っている。*8このため、大学によってルールが大きく異なる。
たとえば、京都大学では、特任教授は、京大教授の経験者が、総長が特に命じる職務に従事するものだ。つまり、名誉教授の中で、ばりばり仕事をする人に与えられる称号である。*9
これは、東京大学では、特別教授、特命教授が近いものである。特別教授は、退職予定の教授が最長 75 歳まで研究に専念することができる称号で、特命教授は、退職予定の教授が最長 75 歳まで大学運営業務に従事する称号である。
東京大学での特任教授は、プロジェクト等に従事する者で、選考基準は教授と同等。常勤も非常勤もいる。予算の出どころが外部資金ということだ。東大教授が、これからは自分で資金を取って自由になるべきとかで、自ら辞職して東大特任教授になったという例もあるから本当に色々である。*10
京都大学で、東京大学の特任教授に対応するのは特定教授のようだ。こちらは称号ではなく職名。もともとは、特別教育研究教授、科学技術振興教授、COE教授、産学官連携教授、寄附講座教授、寄附研究部門教授など予算の分類ごとに職名をつけていたようだ。*11
京都大学にも特別教授はあるが、東大でこちらに対応するのは卓越教授であろう。それぞれ、京大の特任教授と東大の特別教授の上位版である。
似たような名前が多くて閉口してきたのではないか。私もここまで書いたところで、京都大学には別の特任准教授がおり、上記の特任教授とは意味が異なるようだということを聞かされ閉口している。*12
大学教育の未来
ここまでの話をまとめよう。幕末から明治にかけて作られた仕組みをなんとか時代に適合させようとあがいてきたが、残念ながらあまり大きく変えられないためにここまで来てしまったのだ。明治時代に作った仕組みが大学教授の力を削ぐために故意に硬直的に作られていたというのも一つの理由だ。
それに対応するために、文部科学省は戦後少しずつではあるが大学の自由度をあげて、時代にあった人材を育てようとした。
ところが、大学に対して「採用は自由だ」といったところで文部科学省の思ったようにはならない。大学はボトムアップの組織で、たとえば教授会が次の教授を選考することが多い。大学教員は研究者だ。研究者は、おおむね学会の分科会程度の粒度で同じ興味関心を持ち研究をしている。だから、大学教員は、基本的に学問とその継承をしたいのであって、全大学で社会に必要な人材をバランスよく生み出そうなどということはしていないしできない。
具体的に起きる問題を考えてみよう。物理学科のように伝統的な分野は比較的問題が小さいが、それでも新しく量子情報というどこにも分類しがたい領域が出てきた。こうすると辞めた教授と似たような領域の教授を採用するということを繰り返しているだけでは、量子情報を専門とする教授が採用できない。学科を新しく作ることもあるがその方式も問題だ。既存の学科から教員と学生のポストを出し合って作る。分かりやすくするために極端な例として、法学部がない世界で法学部を作ることを考えてみよう。法律に関係している先生をあらゆる学部から集めてくることになる。経済学部から独禁法の先生、文学部から古代ローマ法の先生、水産学部から水産資源保護法の先生などが集まるだろう。しかも、この法学部の大学院進学率が半分を超えるとすると、修士博士で研究ができるようにしないといけない。産業組織論や計量経済学、ラテン語や古代ローマ史、海洋生態学や資源動態学が選択授業として用意されるだろう。この学部に入った学生が商法、刑事訴訟法、民事訴訟法を履修するかという問題だ。はっきりといってそれが出来るのは法学にすでに相当詳しい人物である。学生に選択授業の整合的な履修を期待するのは無理である。
既存の大学がすべてなくなって完全に新しく作り直すとしたら、今のような定員の配分にはならないだろうが、数十年単位では動かせない。そこで、最近は、学長に強い裁量権を持たせていこうという方向だ。これはアメリカの研究大学の方式に近い。
高等教育の予算は変わっていないが、大学運営費がどんどん減って、競争的資金に化けていっている。要するに、明治時代からの組織をゆくゆくはゼロにして、新しい高等教育の組織に置き換えようとしているのだ。
ただ、「明治時代からの組織」をなくして置き換える先の「新しい高等教育の組織」というのが一体何なのかは、いまいちはっきりとしない。 政府だって社会に必要な人材がどのようなものか分からないのだろう。文科省も色々と試しているようだ。アントレプレナーシップ教育をしてみたり、留学させてみたり、総合型選抜枠を拡充してみたり、女子枠を作ってみたり。ただ、いずれも迷走気味に思われる。やりたいことは分かる。現在の大学教育では、大学入試問題のような簡単な問題が解ける状態で入ったあと、専門家があまり育ってくれない。
東大に新しい学部「ディープテック学部」と「コンピューティング学部」を作る話も「新しい高等教育の組織」という文脈から理解できるだろう。また、学士と修士を5年一貫制という話もこの文脈から理解できる。日本の修士号は海外のものに比べて質が高めなので、質の低い修士を量産して海外の博士課程に送り込もうというものだ。分野にもよるだろうが、学部から海外の大学院で研究を志望したとしよう。研究遂行能力、知的探究心、専門科目での成績といった要素を形にして提出する必要がある。たとえば、出願する大学4年の秋から冬の時点で論文が1本査読中か国際学会発表くらいがないとその次の9月から進学するのは難しい。逆算していくと、十分に研究をしたことがあれば1年で十分かもしれないが初めて研究をする学部生であるから、大学3年生の頭くらいには研究を開始していたいという話になる。これができていないと、一旦日本で大学院に進学して修士まで研究をし、海外の5年制博士課程に入り直すことになる。これで2年半の足踏みである。専門課程の教育や研究が始まるのが遅い大学は不利である。
さて、ここまで大学が多様であるという話をしてきた。
現在の文科省の考える人材育成は、博士人材・国際人材・科学技術人材といったあたりのようだ。しかし、一体、それで十分に通じているのか。大学は多様なのだから、それぞれの視線からみた博士人材・国際人材・科学技術人材がいて各々がそれを育成しようとするはずだが、本当に育てたいものはなんなのでしたっけ。たとえば、一口に博士といってもその中身は本当に多様のはずだ。
逆にどのようなものを育てたいのかがはっきりしているならば、やりようはなんとでもある。東大の理学部物理学科は、ほぼ全員が大学院に進み、7割程度が博士になるのだから、それに倣った組織を作れば、7割とまではいかなくても多くの博士を育てることはできるだろう。聞くところによれば、文系でも、一橋の法学部や東大の経済学部は、学部から研究者養成をするゼミがある。学生数に対する教員数が効いているようだ。
しかし、本当に物理学の博士を量産したいのかは考えるところだろう。物理学科はノーベル賞を取るので国威発揚の面がある。本当にノーベル賞に集中と選択をしたければ、日本で繰り返し受賞している場所は限られており、京都大学工学部の化学系と東京大学理学部の物理系だけで自然科学系の受賞の3割ほどを占める。だから、物理学者は、物理学は役に立たないが人生を豊かにしてくれるなどといって開き直って許されている。物理の人たちは他の分野でも活躍するから量産するというのは一つの考えかもしれない。ただ、研究者の教育は分野によってかなり違うし、それぞれの分野の研究者の養成がなされている場所はあまりない。論文の読み方でさえ分野によって違う。たとえば、生物学の論文というのは Nature でも再現性が3割だったりするので、そういう前提で読むものだ。メソッドとフィギュアを中心に見て「アーティファクトが見えているのではないか」「このグラフを描くのにとんでもない金が使われているぞ」「このあたりは参考になったから自分の研究にも取り入れてみたい」などといいながら最終的に「本当かなあ」と思うのが標準的な論文の読み方である。こういう読み方を教えてくれるところはあまり多くないのではないかと思う。たとえば、宇宙の理論では、かなりの割合の論文が現実とはまったく関係がない。モデルの記述力自体を上げることに価値があるからだ。つまり、多くの分野では、読んで文字通り受け取っているわけではなく、ここまでまとめたので共有しておくというものだが、その精度や射程には暗黙の留保がついている。そして、健全な中の人はそれを暗黙に理解している。だから、論文への言及の仕方を見ると研究者としての訓練を受けているかが分かる。
多様な人材を育てるというときに、よく例えになるのはオーケストラだ。たとえば、弦楽器の奏者も管楽器の奏者もたくさん育てた、と聞くと多様性があるように聞こえる。だが、詳しく楽器の内訳を見たら全員コントラバスかファゴットかチューバだったとなるとそれは多様性があるとはいえないだろう。つまり、楽器の粒度で多様性を見る必要があるという主張だ。スポーツで、日本はサッカー選手や野球選手と色々な競技の選手を育てましたでは多様性があるかは分からない。中をみると、サッカー選手は全員がゴールキーパーで、野球選手は全員が投手かもしれない。それでは日本代表は戦えないだろう。つまり、ここでいいたいのは、多様性を考えるときにどの粒度で考えるかを目的との関係で明確にする必要があるということだ。そして、大学の場合、研究チームは通常近い分野の研究者で組織され、優れた教育者が多くの弟子を育てるから、人為的に調整しない限り、ゴールキーパーがゴールキーパーを育てゴールキーパーだけのチームで活躍して多様性が失われていくはずだ。このとき、何を持って人材が多様であるかは、目的を基準に粒度を決めることになるだろう。たとえば、数学者について考えてみよう。数学者には工学部などの教養課程の数学を教えるという仕事がある。また、国際的な賞を取ってくることも大事なのかもしれない。もしも、この2つだけが大事ならば、教養課程の数学が教えられて、世界的に研究されている分野の研究者ならばよいので、たとえば、日本のすべての数学者が複素幾何学の研究者でも構わないことになる。一方で、企業や他の学術分野がある数学の分野に興味を持った時に国内に共同研究を始められるようにしておくならば、満遍なく薄くばらまきどのような事態になったとしても誰かが拾えるようにする必要があるはずだ。これからの世界では何が当たるか分からないというならば特にそうだろう。
私見では、楽器に相当する粒度はまがりなりにも査読ができるかである。関連論文を追っていないと新規性やメソドロジーの妥当性などが分からないだろう。ただ、これよりももう少し粗い粒度も妥当に感じられる。職業人として、どれくらい引き継ぎ可能かという基準だ。たとえば、典型的な日本の会社のホワイトカラー総合職を考えてみると2, 3年でローテーションをしている。1年程度で引き継ぎができているということだろう。それならば、育成という文脈においては会社内で一つの職能集団として扱ってよい。先程の楽器の例ではコントラバスは四度調弦なので切り替えが少し大変であるが、五度調弦のバイオリン、ヴィオラ、チェロの間は一年以下で切り替えられるという話もあったので、この文脈では一つの職能集団とするべきなのかもしれないということだ。
ここでどの粒度が最も適切かは論じないが、いずれにしても学会の分科会かそれよりも細かい粒度になりそうだ。博士人材は生物学でいう多系統群なのであり、どの粒度で同じ分野であるとみなしどの分野の博士がどれだけいて欲しいのか考えることは重要だろうが、それがなされた形跡が見られない。
アントレプレナーシップ教育で経営者・起業家を育てたのも評価が難しい。経営をしてみた感想として経営に向く人物があまりいないことは確かである。ただ、実際のところ日本でスタートアップを作っても、ほとんどが日本の市場をターゲットとしている。AWS やら Apple Store やら Google 広告やらを利用して海外に上納金を納めながら、日本の他の企業とパイの奪い合いをするのだから日本の国力に繋がっているとは思えない。国内の雇用は総和として減っていそうだ。日本の国力がますます高くなっていく算段があり、豊かな中間層があるならば、そこに向けた商売をする人たちを増やすことは好ましいことだが、それが有効になるためには現状その前に必要なことがある。
国際人材について文部科学省の考える人物像は、「語学力、主体性、異文化理解」の3つのようだが、この3つが高い水準で揃っている人物は世界中にいる。海外の大学などで研究室を持つことなどを想定しているようだが、そのためには学術的能力も必要なので多くはそうならず、結果、そこそこできるこの3つに世界的に比較的珍しい日本語能力を組み合わせて、外資系の企業で日本のマーケットに向けて仕事をするというのが典型的な役割になる。これはマイナスグローバルとでもいうべきものだ。こういった仕事は他の企業により多くの選択肢を与えるので、日本国内の産業に国際競争力があるときには必要な仕事かもしれないが、日本経済の先行きが不安なときに文部科学省が予算をつけて育てるようなものではないだろう。少なくとも、町工場で輸出される自動車の部品を作っている方がよほど国際人材であると私は思う。バネなどを作れば確かに海外の顧客に届いている。別に外資系企業で働いていたとしても、外国市場に向けて仕事をしていれば、日本に外貨を持ってきていることになるから国際人材だろうが、日本市場に向けて働いていたら外貨は流出している。つまり、日本のマーケットを顧客としている部分が想定と違うのだ。
そういうわけで、私は本当にするべきことは、国力を上げるための外貨の獲得と国内雇用の創出であると考えている。つまり、国内の人で外国にいる人のために何かをするということだ。日本は資源がない国であるから食料やエネルギーを輸入せざるを得ない。そうなると、輸入のために外貨が必要で、最終受益者が海外であるような産業が必要になる。日本は伝統的に自動車・鉄鋼・半導体である。そして、そういった産業をいかに人材で支えるかという話になる。ところが、おそらく特定の産業分野へのテコ入れは難しいのだろう。結果的に、容易に育成できる予定外の人材が育っていく。
特に日本は国家予算や預金の循環の担い手の立場が強い。古くは三公社五現業、電電ファミリー、護送船団方式などといわれ、長信銀3行が旧6大銀行グループの上にいた。このため、国家予算と預金の流れに近い場所がよい職場と考えられやすい。その後現在まで単に循環の担い手のいる組織が少々入れ替わったにすぎない。よって旧来の価値観のまま人物を育てるとそこへ入り込もうとする。しかし、それは外貨の獲得から最も遠い場所だ。
もちろん、最終受益者が国内である仕事、つまり「国内をきちんと回す」仕事も大切である。日本の国内の生活環境は素晴らしい。しかしそれを支えるためには「国外からお金を取ってくる」仕事が十分になくてはいけないという話をしている。『日本は人不足なので「国内をきちんと回す」仕事もおぼつかなくなってきている。だから低技能の外国人労働者に働いてもらい、高技能の日本人がより生産性の高い業種に就くことで、国全体の生産性が上がる』という話が移民研究の分野である。それは一面真実だとは思うのだが、「高技能の人がより生産性が高く国内に向けて仕事をし外貨を流出させる職業についている」というのが実際ではないか。
外貨の獲得をどのようにするか考えるために、一般に仕事を価値の源流で分類すると、それほど種類はないように思われる。1.自然から価値あるものを採取・育成するか、2.物質を加工や構築して価値を増やすか、3.価値のあるものを修復や維持するか、4.移動や接続によって時空間の制約を解消するか、5.価値のある場所や環境を提供するか、6.対人サービスか、7.知識や情報自体が価値か、8.計画や管理で効率的に機能させるか、あたりだろう。このうちで最終受益者が海外になりやすいものは、1.採取・育成、2.加工・構築、4.移動・接続、7.知識・情報あたりで、長期間保存できるか、時空間の制約の解消自体か、時空間の影響を受けないものになる。観光を盛んになれば、5.6.も外貨を獲得できるかもしれない。しかし、常識的に考えると観光の産業のサイズはそこまで大きくならない。日本の人口は世界の1.5%であるからすべての世界の人が日本に毎年平均5日滞在すると、国内のインバウンド客の人数が日本人の人口にようやく並ぶ計算になる。
また、最近の日本企業の潮流に、海外の企業の買収や投資で食べていこうというものがある。もちろん、うまくいけばいいのだが、海外の企業の統制がとれないなどの失敗事例も聞く。そして、仮に、うまくいったとしても日本国内の雇用があまり創出されないだろうから「国内をきちんと回す」前提となる豊かな中間層が成立しない。
もしも、日本の伝統的な企業がこれからも巨大なチームを作り、外貨を獲得し続けてくれるならば、それで問題はない。日本のエネルギー自給率は1割、食料自給率は4割程度、それも肥料や農薬や飼料を輸入に頼っているのを計算外にしてこの数字だ。仮に、日本の企業が外貨を獲得できなくなるとすると、一人で外貨を稼ぎ出す能力を持った人物を日本中で育てなくてはいけない。
一方で日本の経済は、失われた30年で低迷している。特にここ10年、日本の給与水準はアメリカの給与水準に対して相対的に、半分から1/3になったという感覚がある。アメリカの給与に対してドルの価値が落ちていて、ドル円の為替で円の価値が下がっており、日本円での給与が変わらないためだ。この10年で給与が半分から1/3というペースはあまりにも速すぎる。しかも、まだ日本の給与水準は世界平均や中国平均(内陸部が下げている)から見ると3倍くらいある。マクロ経済の未来予測というのは難しいが、仮にこのペースが継続すると、給与水準が10-20年で世界平均まで落ちる計算になる。日本の給与が安いという話をすると物価も安いから大丈夫という反論が来ることがあるが、これは、国内の労働付加価値が相対的に下がり、輸入品が相対的に高くなっていく話である。
そうなると、日本も食料とエネルギーのために出稼ぎをする国になる。日本の10倍、30倍給与が払われる国に、自分たちの子弟を送り込む。そして、親兄弟の食料のために仕送りをする。別に必ずその様になるかは分からない。しかし、そのような可能性が1割でもあるならば、そのためのリスクヘッジはしておくべきであろう。
この想定では、海外で働ける人たち、しかも、日本語を使わずに働ける人たちを教育する必要がある。それも毎年数万人の単位で必要だ。
この際に、語学能力がどうしても高い壁になる。日本語がよく通用する国は他にないので、なんらかの語学能力が必要になるが、この語学能力の差は基本的に埋まらない。大人の言語能力は20年程度かけて完成しているので、いずれにせよ同程度の時間がかかる。そこで、語学能力が不完全でも専門性があればなんとかなる専門職を探すことになる。
海外で日本語を使わずにできる仕事はいろいろある。出稼ぎをせざるをえない状況に対処するためには、そういうスキルをえり好みせずに日本中にばらまくことが大切だろう。
ただ、アメリカ就労ビザの内訳を見ると、どのような職業が国境を超えられるかは比較的はっきりしている。2024年度の H-1B VISA (特殊技能職ビザ) の3分の2が情報科学に関連する職で25万件以上が発給されている。H-1B VISA の抽選の通過率が下がったので現在はないが、2010年過ぎには日本の新卒採用でシリコンバレーでソフトウェアエンジニアとして働き始めることさえできていた。その他の職業はどれも全体の1割以下だが、エンジニアリング・建築、経営・会計、医療・健康といった分野でも発給されているから、そういった分野でも育成ができる人は育成して欲しい。出稼ぎができる能力を保険として持っている人物は多ければ多いほうがよい。
私自身、ソフトウェアエンジニアの育成をしており、Google だけでも毎年入社していった。今年も含めて10年近くの間、毎年している。ここ3年ほどは少し市況が厳しいが、それまでは未経験から速ければ半年程度で入社した。今、ビッグテックは以前よりも運の要素が高まっているが、とはいえ選択肢は広がりより多くの企業に就職していっているくらいだ。研究者の話をすると、高校の周囲の学年では20代のうちに准教授になったのが100人に1人くらいで、アラサーのうちに海外の研究室をもったのが50人に1人くらいであると思う。おそらく本来、文部科学省が考えているような人材を育成することは難しいことではない。
(これに対して、それは教育なのか選別なのか、と聞かれることがあるがそれは別に書いたのでそちらを見て欲しい。)
ここまで来て、文部科学省が何をしたがっているのか、そして、なぜ大学改革がうまくいっていない状況が続いているのかが想像できる。文部科学省が持っている道具があまりにも大味で、当初のアイディアがよかったとしても、具体的に実行される頃にはなんだか少し違うものになっている。そして、条件を満たす中で、もっとも育ちやすいものが育つのだ。国際人材を育てたいと願ったときに、国内のリーダーとして、あるいは、国外の企業や大学で働き、外国の市場で活躍する人材を想定していたはずだ。外資系企業に雇われて日本の市場の中で働く人たちを育てたいとは思っていなかっただろう。だが、実際には、後者のほうが遥かに容易だから工夫しなければそちらが育つ。また、専門家というのは少し分野がずれればその共通基盤としている能力が大きく変わるものである。だから本来どこを伸ばしたいのか、学会の分科会程度の精度で指定しないといけないはずだ。だが、玉虫色にするためにどのような分野でも参加できるようなプログラムになっている。日本も AI に力を入れたが、世界の AI の研究者の半分は中国系になっている。そして、本来は、もっと大規模にドラスティックに大学の構造を変えたいはずだ。H-1B の 2/3 が情報科学関係になるという規模感に数年で追従する必要が本来はある。だが、明治時代から続く古い組織が学生を選び、数十年ごとに教授会が次の教授を選んでいくのでそのようなドラスティックな変化はできない。そうなると、大学に日本の経済を支える労働者を育ててもらうことの限界が来ているのだろう。
さて、ここまで、助教の呼称の話からはじめて、大学の制度の歴史について書いてきた。歴史的な経緯で硬直的な制度と現代のグローバルな研究教育環境の取り合わせが悪く50年以上にわたってあがいてきたのだ。文部科学省は、大学の自由度を高めて時代に即した人材育成を模索するが、ボトムアップの教員組織や研究者としての価値判断から必ずしも思惑通りには動かない。大学は非常に多様な組織であり、学会の分科会程度の単位で異なる学問をしており学問の継承をしたい。一方で、日本は、経済の低迷や国際競争の激化といった環境の変化によって海外で稼げる人物を必要としている。状況変化に即応して必要な人材を大量に生み出す仕組みが必要だ。しかし、旧来の仕組みではそれは難しい。そこで旧来の仕組みの予算をどんどん削って新しい仕組みを作ろうとするも、新しい仕組みも目的を達成できているとは言い難い。助教の呼称はつまらない問題に見えて、日本の教育制度全体に繋がっているのだ。
私がこの文章を書くことで日本の高等教育の状況が変わるとは思わない。旧来の組織はこれからも予算を削られ続けるだろうし、新しい組織は少しずれた施策によって常に予定外の結果をもたらし続けるだろう。これは、大学のみならず、日本の未来を左右する話である。ただ、日本の教育がこのようなことになっているという認識を広く共有するだけでも、将来的な変革への一歩になるのかもしれない。
*1:その後、この条文には、1950年に「講師は、教授又は助教授に準ずる職務に従事する。」1973年に「副学長は、学長の職務を助ける。」が追加された。
昭二五・四・一九 講師追加
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00719500419103.htm
昭四八・九・二九 副学長追加
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/07119730929103.htm
*2:その後、平成19年法律第九十六号で現在は92条に繰り下がっている。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/16620070627096.htm
また、副学長の職務が平成26年法律第88号で変更されている。「副学長は、学長を助け、命を受けて校務をつかさどる。」
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/18620140627088.htm
*3:もっとも、中国や韓国では、助教は独立していないアシスタントを指す言葉であるらしく、中国や韓国との関係では混乱をおこすのではないかという意見もある。
馬越徹『新設された「助教」名称は適当か―日・韓・中の三国比較の視点から―』
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/publications/journal/no7/14.pdf
*4:大学設置基準第14条翻訳
https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3793#je_ch4at2
*5:大学設置基準第15条翻訳
https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/3793#je_ch4at3
*6:学制百年史:文部科学省
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317552.htm
2002『国立大学の構造分化と地域交流』国立学校 財務センター研究報告https://www.niad.ac.jp/publication/sonota/pub_zam/center_research_report/n000c006.html
天野郁夫『戦後国立大学政策の展開』(『国立大学の構造分化と地域交流』第1章)
https://www.niad.ac.jp/media/001/201802/nc006004.pdf
天野郁夫『国立大学論 ―― 格差構造と法人化』
https://www.niad.ac.jp/media/001/201802/nf003011.pdf
*7:佐々木研一朗『明治期の東京大学における政治学教育に関する一考察-カリキュラムを中心に-』
『どうして井上は講座制を導入しようとしたのか。帝国大学とその学問,その経費の大きさへの世論の批判があった。井上は批判をかわす方策のーっとして講座制を導入した。効果として(1)講座制に伴う「専門」重視の傾向, (2)文部大臣と大学との,講座制を媒介とした新しいあり方の構築がある。上で見たように講座の設置改廃は勅令による。政府と文部省が講座の設置改廃を通じて大学に対して新たな統制形態を確立しようとしたのである。(1)は要するに学者を非政治化するものである。学者に「専門」を意識させることで研究に専念させ 大学内に閉じ込めておくという意図である(寺崎2000:371-411)。』
https://meiji.repo.nii.ac.jp/records/10088
*8:国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議『新しい「国立大学法人」像について』
https://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu16/siryo2-2.pdf
*9:2010京都大学特任教授の称号に関する規程
https://www.kyoto-u.ac.jp/uni_int/kitei/reiki_honbun/w002RG00001233.html
*10:2002年の東大先端研の例が詳しい。
小林俊哉,馬場敏幸『東大先端科学技術研究センターにおける特任教員制度の 現状と展望一国内大学における 教員任期制の一事例として一』
https://www.jaist.ac.jp/coe/library/jssprm_p/2003/pdf/2003-1C07.pdf
「各国立大学法人の非公務員型教職員の身分保証は、就業規則等において規定。採用は、法人の定めるルールにより採用」と明文化
*11:2005年国立大学法人京都大学特定有期雇用教員就業規則
https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/static/ja/profile/policy/kisoku/kichiran/documents/h17/2005_3-656fa6eb912209996540304518959711.pdf
*12:京都大学に特任准教授がいる件であるが、いくつかの下部組織が独自に特任教授や特任准教授などの称号を付与していることが分かった。おおむね学外の人物に身分を与える際に用いる称号のようである。内規で定められているため公開されているものが多くは見つからなかったが『京都大学数理解析研究所数理解析研究交流センター内規』が『京都大学数理解析研究所要覧2025』に掲載されていた。
「第 3 条 所長は,国内外の優れた研究者であって,センターにおける研究交流の推進のために必要と認める者に対し,協議員会の議を経て,特任教員(特任教授,特任准教授,特任講師又は特任助教)の称号を付与することができる。」とある。
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kenkyubu/youran2025.pdf