立花隆ネタ

http://ruke.blog5.fc2.com/blog-entry-267.html

また今年度から始まったというゼミナールは、立花隆が「科学技術インタープリター養成」プログラムの特任教授になったのに伴って始まったという事だ。このプログラムは何かと超簡単に言えばもう少しましな立花隆を作ろうという事なんですよ。それには商業ジャーナリズムじゃもう無理だから科学の内側にいる人が積極的にそういう役割を果たすようになるべきだと、そういう明確な問題意識を立花隆自身が言っているのですよ。

ささいだけれども、ここはどうなのでしょう。そういう風にリンク貼るとそのままそういっているかと思うじゃない。「もう少しましな立花隆を作ろう」というのは ruke の判断で。単純に「立花隆の劣化版を作ろう」としているのかもよ。

さてさて。

マスコミや科学読み物を読む一般的な人々ならばともかくとして、仮にも東京大学に通っていて立花隆から量子力学を学ぼうとするような愚か者(実際には非常に多くいたのだろうが)に対し立花隆が何ら責任を負わない事は疑いようがない。

正確な文面が思い出せなくて、検索してもみつからなかったのはこれか。
ここは僕は反対だ。それは id:oOmeowOo も食い違いを指摘している。

http://d.hatena.ne.jp/nuc/20051129#c1133468779

いや、まあ、東大生はバカでというか、まあ、大抵バカですよ。

まあ、コメント欄で書いたバカだが侮蔑の意味で使ったつもりはあまりない。誤ったことを言われたときに、どれだけ訂正できるかという指標で、9割を叩きだせる人はまずいないだろうと思う。例えば、あれを口頭で聞かされる立場にあったとしたら、ruke はもうちょっと高そうだが、僕が訂正できる箇所は一応専攻分野に近いがどれほど多めに見積もってもせいぜい半分程度だろうね。文字になっていたら明らかに変でも口で言われれば意外と流せてしまうものだから。
実際、あの授業はそのままテープおこしされて web にのり、生徒は誰も訂正しなかったようだよね。
そこで言及されている食事の席では、今から思えば清水さんの統計力学の講義でおかしなところがあったかもしれない、後から聞きに行ったが明確な返答が得られなかったし、という話も出ていた。
或いはもっと我々全員に関係したところで、例えば、基礎実験のテキスト、指摘されればすぐ分かるミスプリだけでも僕は2つ見つけた。あのテキストは、教員達が書いて、多くの院生や何千人もの教養学部生が目を通して、何年も改訂されながら使われてきたのにそれまで報告はなかったのだよ。ruke だって気がつかずに華麗にスルーしてしまったのではないのかね。僕は実験の予習をしていないとの評判になるくらいだったから実際はもっとあるはずだけど、探す気はしない*1。他の皆は些細と流したのかもしれないし、この件とは本質的な度合いは全く違うが、それにしたって学生が間違いを発見するスキルを持っているべきだという仮定はあまりにも現実とは食い違っている。

批判力が求められている、っていうのは、学生に批判力があるなんて事では全くない。単に彼等の状況と立場から彼等には批判力が要求されるということだ。それを持っていなくて困るのは彼等自身だ。

ここもひどいことを言っているだろう。「批判力が求められている」のは確かだろう。だから、持っていないやつらは「大学が」仕掛けた罠に引っかかって怪我しても、知ったことではないというのか。例えば、学生に「安全に実験を行なう能力が求められている」のは確かだろう。だからといって、ちょっと間違えたら危険な物質に曝されるようにしておいてもよい、というのは訳が分からない。

そして、ruke はここで再び単純化された二分法を使う。

もちろん、実際の学生の現状を見て、実際上の成果を上げるにはどうすべきかという議論は常にあり得るだろう。しかしそういう文脈でバカな学生に変な考えを吹き込まれては困るから知識が怪しげな立花隆は大学で喋るなというのならば、それは「うちの学生はバカで間違った事を聞いても無批判に信じ込んでしまうから、枯れたカリキュラムで無難に無難に授業を続けて、純粋培養していきましょう」とそういう話になる。

「変な考えを吹き込まれては困る」というのは実にその通りだと思う。悪いが ruke だって、それほど批判力が強いとは思えない。そして、立花隆を取り除いたら、社会的な視点を持った科学に関係していうる人がいなくなるという考え方こそ不思議ではないか。少なくとも彼よりも科学を理解しているサイエンスライター(そもそも彼がそれなのかは知らない)はいるようだ。google:サイエンスライター]、[google:科学ジャーナリスト

こういう主張はありにしても、そもそも nucは自分の主張を大した事を言っているわけでもない代わりにほとんど疑問の余地もないようなどっからどう考えてもそう考えるべき主張という風に見なしているようだが、そういう風に見なすには特殊に過ぎる主張だろう。大体、学生がバカで立花隆の喋る事を批判的に聞けないから変な事を喋るやつに講義させるなというのならば、講義をするなという主張にはなっても、

追い出すべきか否かのレベルならば合意が得られるという確証は僕にはないぜ。後半は、というかようするに基本的な線はそういうことです。

立花隆を非難する

>一度やったら東大の教壇からは追放すべきだと思うのです。これは強度偽装どころか真実偽装ですよ。

こういう言い方にはならないはずだ。その不整合を抜きにしても、少なくとも高等教育の場で、偶々誤った知識に触れなかったから身についただけという``正しい''知識になんの意味があるのか。何が正しいのかを判断するのも人なのですよ。

どうしてならないのかはよく分からん。そこが不整合なつもりはなかったのだが。真実偽装という表現で姉歯一級建築士を勢いで踏まえたのは話をこじらせたのかもしれない。

問題は、たまたま触れた知識を腐敗機能付きテープレコーダのように歪めて繰り返す人を教壇に立ててよいか否かです。学生を誤りに触れないようにできるだけ純粋培養にしろということではありません。あれは、局所的には誤りのほうが多いくらいじゃないか。訳の分からない「鳥音」を発しているに過ぎないでしょう。

*1:ミスプリではないがテクストに文句をつけたら助教授の方に「テキストの間違いにそれほど興味があるならばここの院にきて手伝ってくれないか」といわれた。「そんなことに人生無駄にしたくありません。」と返事をした記憶が、謎。