乖離

法学を学ぶとだんだん一般人から感覚が乖離してくると憂慮している方がいたがそれは違うのではないだろうか。
学問を修めるのはよりよい思考を求めているわけで、学んでも感覚が乖離してこないなら、そんな学問の価値は任意の"数"イプシロンよりも小さい。