岸信介について教えてください

これは「民主と愛国」を読んでから気になっていて、時期的に聞くのがあんまりよろしくないと思っていたら、リリース時期がやめた後にずれこんだのでよかったのですけれども、60年安保のときに、

岸信介は警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暗黒街の親分衆の会合に派遣。 松葉会会長・藤田卯一郎、錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光やテキヤ大連合のリーダー尾津喜之助ら全員が手を貸すことに合意。さらに三つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請。ひとつは岸自身が1958年に組織した木村篤太郎率いる新日本協議会、右翼とヤクザで構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会である。Far Eastern Economic Review誌によると「<岸信介は>博徒暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8千人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。彼らは政府提供のヘリコプター、セスナ機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた。」と書かれている。

というのは wikipedia安保闘争を引くとでてきて、少なくとも私は「岸信介が警察に加え、右翼とヤクザと暴力団と宗教団体に指示を出して、デモ隊を暴行した」というのはどこかで読んだ記憶があったから、現代史として十分に検証されたことだと思ってきていたのが、本当はどうなのでしょう。どうも、まともな資料には言及がない。まあ、このへんはコネがあるから指示を出していても何の不思議はないんだが、やるんだったら誰でもこっそりやるだろうから、岸信介血判状でもないと指示が事実かどうかは分からなさそうなので、これは憶測なのか、それともはっきりと検証されていることなのか調べようと思ったんだが、とりあえずどうすればいいかが分からない。
不慣れな分野のことを調べるには人脈を繰るのがなんだかんだで最善だと思うのだが、さていたかな。


たとえばインドネシアでは、アチェ東ティモールの独立をつぶすために国が民兵組織に金銭を供与して衝突させる、ということがあった、あるいはある、といわれているので、それなりに普遍的というかよくあることというか。

以下のリンク先は極めて面白い。
http://maideriapress.web.fc2.com/UoT/UoT03.html
対決 ヲタク対モテ系(エビちゃん)


追伸:とある先生にメールで尋ねたところ、襲撃が岸の意図とされた本を見たことはないそうだ。ただ、「右翼を警備と歓迎に動員しようとしていた」ことは「国際国家への出発」(集英社)にある。実は、私はこの本の内容も疑っていたりするのだが、ごにょごにょ。
いかにして噂が事実に変わっていくかに関してとても興味深いものを見たような気がします。