接収

全国戦没者追悼式典が行なわれるが、あの献花の方法は一体なんだ。中庸の自己満足で、はっきりいってあらゆる文化から見て失礼な方法だろう。
追悼の方法といった礼儀など宗教的な慣習でしかないから、これは皇紀の時にしたのと同じ議論になる。http://d.hatena.ne.jp/nuc/20050927/p5

  • この辺の土着民族が多く使っていた流儀でするか
  • その他の民族が使っていたものを借りてくるか
  • 上を適当につぎはぎしたキメラ流をとるか

で、それほど、継ぎ接ぎするのが好きならば、来年はこれに是非ポトラッチを加えて欲しい。なぜそうならないかを考えれば、適当にいくつかの宗教を見繕ってくっつけた、お茶を濁しただけのものだから、というのが分かるでしょう。
礼儀というのは結局必然的なものではないから、宗教的な要素が入る。そうすると、結局その辺の土着民族が用いていた以外に正当化できる要因はない。その一つの方策として、靖国神社は国が接収し、表面的にはそのままにすればよい。今の職員に国家公務員試験でも受けさせて、或いは疲れた官僚の平和な天下り先としてでも使ったらいかがか。あ、接収の語感が悪い。国家管理化にしよう。
さて、あと問題になるのは政教分離でしょうか。
ここで政教分離がでてくるのは、これを履き違えていると思う。
日本国憲法をひくと

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

とある。
政教分離の基本として、国家が特定宗教団体に影響力を持ってはいけない、そして逆もまた真がある。もっと広義に捉えたい人には聞きたい。では、神道と仏教とキリスト教との影響を受けた方法で戦没者を慰霊するのは違憲ではないのかね、と。靖国神社に対する考えは、現在は宗教団体であるが、元々は宗教団体でなくて、そして宗教団体にする必要がない、というものだ*1目的効果基準を超えているとは思えないし、国家管理にすればなんら問題はない。尤も、現時点での the 小泉首相の参拝は公用車を用いている等が特定の宗教法人に国家が間接的に利益を与えている(金銭供与者を運ぶ)ことになりまずいが。

あと、メモ。

  • 靖国神社は独立した宗教法人で、神社本庁に属していないので他の神社とは別に考えられる。
  • 天下りは問題だというけれども、あれは結局下ることによる利益供与・癒着が問題で、優秀な官僚にレースをさせて脱落者には別の仕事を与えるのはそこまで誤ったシステムではない。これは蛇足もいいところ。
  • みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会は名前が馬鹿っぽい。
  • 国家護持運動支持なんて超保守派っぽいじゃん。きゃは。

*1:The Once and Future King (過去のそして未来の王)はアーサー(Arthur)王を指す。関係ないが。