ギルガメッシュ

大学のころに書いた文章の前半を少々直して。

過去は確固としてあり、未来は不確定だという考えがある。だが、過去も不確定だろう。物理学の根底にある法則は時間対称な形をしている。そして何よりも人の記憶は容易に変わることを私は知っているからだ。不確定な過去は、口から紡ぐ言葉という無意識の意図で縛られる。
さて。どこから話そうか。前振りはどうしても大きくなりそうだ。
昔の僕は、だいぶ今とは違う。中学入ってから50cmは背が伸びているし、あの頃は、人の心がすっと分かったりと今よりもずっと利発だった気がするが、本当に何も知らなかった。


三つの時、父親の転勤でアトランタに引っ越した。色々な経験をしたよ。あの言葉の壁に文化の壁に押し付けられる痛みをよく覚えてる。といっても、すぐに現地の人たちとあまり変わらない状態になったのだけどね。日本語も両親が気をつけていてくれたおかげで問題なかったし。日本人のコミュニティーがあったと云うのもある。
で、小学校の始まる四ヶ月前にアトランタから帰ってきて、また再び日本という異文化の中に放り込まれた。米国への適応よりも、こっちのほうが遥かに苦痛だった。言葉は分かる。でも、日本の文化が、というよりも宗教が、といえばいいだろうか、分からなかった。日本文化といえば、多くの人は「魚を生で食べる。」だとか「家の中で靴を脱ぐ。」といった見えることを思い浮かべるだろう。だが、そこは本当に氷山の一角なんだ。文化は、「挨拶」に「謝罪の仕方」、そして「善悪」や「考え方」までをも規定する。現象学的社会学が唱えるように、文化は本質的に宗教的構造を持つのだ。そして日本人は最もこの宗教に偏執している種族だと思う。それはほとんど異教徒をみたことがないから。「AだからBだ。」と何気なく私が言った時に、「何を言うか。AだからBでないに決まっておろう。」と主張され、そして皆がそう思っていることが分かる。なんだろうか、こういうときに使う感情表現は。怖かった、であろうか。アトランタへ帰りたいといって母に泣きついたことが何度もあったよ。もう、今はあの頃どう感じてどう考えてたかは分からない。でも、帰りたかった。それだけは憶えている。
その中では、マンションの下の階に住んでいた幼馴染達が一番安心できる友達だった。特に同い年の N ちゃんはしっかりしていて、僕に日本をゆっくりと教えてくれた。気がつくと僕は日本人になっていた。ギルガメッシュ叙事詩のエンキドゥが人となったようにね。