道徳規範

以前ならば神授説でよかったのが、多宗教が混在して、道徳規範とはと聞かれたときに何を基準にするかといえば国会で通した法くらいになるのではないかな。
文化といっても、我々高々200年生きてないし、知っているのはさらにその中の日本の文化の極一部分じゃないか。
その経験に基いて、何が倫理的か、っていったところで、20年もずれれば、あるいは100kmも移動すれば、ぶれるわけでしょう。ちょっと狭いかな。まあ、でもたぶん、格子の最小単位はそれくらいだろう。
そうすると、その程度の格子の中での常識で道徳規範が最も重要とかいったところで、そもそも誰もが当然として共有している価値観とは一体なんだろう、ということにならないだろうか。昔ならば、遠距離相互作用がほとんどなかったわけで、「当然」という考え方もできたわけだが。今は、そのようなものがありえるのだろうか。そうなると、一部が結託して、法という最低ラインを作るのだろう。だが、完全な平和主義がとれるわけではない。つまり、どうしても無理なものには然るべき迫害することになるのだろうが、その最低ラインをどれだけ下げられるか、っていうのが重要で、そこは本当に極端なほど下がっているべきなのじゃないかなと思うのよ。
あと、身体刑の禁止と勾留刑が更生を重点においているのもこの関連として捉えられないかなと。