閉世界仮説

北朝鮮拉致被害者の問題に関して、一箇所どうしても腑に落ちない点がある。
特に子供達に関してだが、北朝鮮というゴミ溜めのようなところから日本へ連れて来る事は善だ、ということが当然視されている。
私は北朝鮮がゴミ溜めのようなところかどうかは知らない。閉世界仮説を認めれば偽だろう。だが、少なくとも日本はゴミ溜めのようなところだ。私は両親によって外の世界からここへ拉致されてきたからそれを知っている。
かなり酷なことを口にしていることを認識しているが、それでも、彼らが友人達と別れ、何かよくわからない鳥音*1を発し、自分に好意を持っているのだろうなということが分かる程度の祖父母と異国で暮らすのが彼らにとっての幸せなのでしょうか。

これを突き詰めていった時に、最後に出てくる答えはこうなると思われる。彼らが自由に行き来できるような世界を作ること。日本政府が人が北朝鮮へ帰ることを止める必要のない世界を作ること。それは北朝鮮の政府転覆を指しているように思われる。

ただ、理性がこうおしとどめる。どこかにあったではないか。「封建制奴隷制すらもすべての人の倫理的な合意があるから成立している。もしも、すべての奴隷が死を覚悟して抵抗すればその社会は崩壊する。」*2それにレヴィ=ストロースサルトル批判に胸を震わせたのは誰であったかと。

すなわち、現在の地球上に共存する社会、また人類の出現以来いままで地球上につぎつぎ存在した社会は何万、何十万という数に上るが、それらの社会はそれぞれ、自らの目には、―われわれ西欧の社会と同じく―誇りとする倫理的確信をもち、それにもとづいて―たとえそれが遊牧民の小一バンドや森の奥深くにかくれた一部落のようにささやかなものであろうとも―自らの社会の中に、人間の生のもちうる意味と尊厳がすべて凝縮されていると宣明しているのである。それらの社会にせよわれわれの社会にせよ、歴史的地理的にさまざまな数多の存在様式のどれかただ一つだけに人間のすべてがひそんでいるのだと信ずるには、よほどの自己中心主義と素朴単純さが必要である。人間についての真実は、これらいろいろな存在様式の間の差異と共通性とで構成される体系の中に存するのである。(野生の思考)

あらゆる他の文明の破壊を容認してしまいそうだ。唯一救いとなるのは民主主義国家同士が戦争をしたことはないことか。

*1:後期倭寇は戦闘も厭わない反政府多国籍貿易集団だと考えられている。ただ、倭寇は大変恐れられていたために、日本人のステレオタイプに近い風貌・行動をとり、そのうちの一つが「鳥音」つまり鳥のような声で喋る。http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/wa4.html

*2:どこにあったか分かったら教えて