有理的な二項演算子

どうしてこう数学や自然科学のいい加減な理解によって自らの考えを表現しようとする人文科学者が多いのだろうか。ラカンでさえそうなのは悲しい。これは構造主義の影響なのであろうか。
勿論、比喩として善意に解釈すれば意図を汲み取れないこともないのだが。だが、下手な比喩を用いることは、その人の他の能力すらも疑わしく見えさせる。
このことは、以下の喩えで理解されないだろうか。

とあるほうれん草の目利きがいた。その人は最上級のほうれん草を表現するのに、エスカルゴのようにまろやかだという比喩を用いた。しかし、この鑑定士はエスカルゴを食べたことがない。このような喩えは、この目利きの腕(いや鑑識眼か)すら疑わしくさせる。

さて、この比喩を捻り出したのは私であるが、残念ながら、私はエスカルゴを食べたことがないばかりか、ほうれん草の最高級品というのがいかなるものかも理解していないゆえ、ほうれん草の専門家の方にお叱りを受けるかもしれない。もしも最上級のほうれん草が実際にエスカルゴのようにまろやかであるならば(、そしてエスカルゴがまろやかなら)、私自身が良い喩えになっている。

さてさて、有理的な二項演算子というものをここでは以下のように定義しよう。演算子($)に放り込んだ時に有理数を返すような無理数のペアが存在するときに、この演算子($)は有理的であると呼ぶことにしよう(僕の決めたここだけのルール)。
有理的でない二項演算子が存在することは自明であるが、(+), (-), (*), (/), log_a b, a^b はそれぞれ有理的であるだろうか。