サイエンスウォーズ

http://jssts.org/opinions/shiratori.pdf

他分野の術語の引用の場合ばかりでなく、一般に言葉は送り出す側だけのものではなくて、受け取る側に依存する。この前の湾岸戦争の時にボードリヤールが、非ユークリッド空間が出現したといった、ということを金森修氏は『サイエンス・ウォーズ』5)の中で否定的に引用しておられたと記憶するが、これは大変適切な比喩だと私は思った。ベトナム戦争の時にはまだ存在していた「真実を伝えるマス・メディア」というノルムが消滅して、情報が戦争を遂行する勢力によって完全に制御されるようになり、しかもそれが一般にそう認識されないことの衝撃は、個々の事実ではなく、世界自体がユークリッド空間の直線的な明晰さを失って歪んでしまったとしか表現できない、という感覚が理解できるからである。あるいは、古い例だけれども花田清輝が、活動する組織には「足し算における0、掛け算における1のような(単位)元と、さらにすべての元に対する逆元が必要だ」、と群論を引いて述べた6)のはどうか。彼は、「与えられた代数方程式を解くこと」から「代数的に解き得る方程式の有すべき条件」に問題を転換したガロアに倣って、活動する組織の条件を問題にする、といっているが、群論を使えば有効な組織論ができると主張しているわけではもちろんない。花田は太平洋戦争中の日本の官製の組織を批判したのだろう。それを知らない私はスターリン主義を思い浮かべて、何かの事務を担当する時などいつも、「単位元」についてのこの言葉を思い出す。

比喩として使う分には私もいいと思う。ただ、その比喩がいったい何なのかがさっぱり分からないこと、そして使った本人が分かっていないように見えることが多々あること、かっこいいと思っている、のが問題だろう。

だそうだが、僕はこれだけを読んだ限り、「ノルムが消滅する」というのがさっぱりわからない。

「条件を問題にする」というならば、そういえばよくてあんまり飾る必要はないけれどもまだ理解できるなあ。