野矢茂樹と郡司ペギオ幸夫

対角線論法で郡司ペギオ幸夫さんの対角線論法の話が怪しいと書いてしまったが、読み直したら読み違いだったっぽい。
isbn:4130100971原生計算と存在論的観測―生命と時間、そして原生」

付録に圏論の話が載っていて、米田の lemma もでてきますよ(顔。
ただ、付録4で、Object が集合なカルテシアン閉圏を仮定して、自己言及的特性をもつことを A \rightarrow A^A全射であることと定義して、そんなものはないことを示しているが、それって定義しただけのようにも。


さて、野矢茂樹さんも対角線論法は「無限論の教室」isbn:4061494201という本の中で駄目だといっていた。初めは、背理法、つまり矛盾の定義\neg A \qquad \Leftrightarrow  \qquad A \Rightarrow \bot に文句を言っているのだと思っていたが、どうやら可能無限と実無限の二つの立場がどうこうで可能無限が正しいと思っているから、対角線論法はおかしいのだ、っていう主張のようだ。なるほど、それならば僕は判断できない。

証明論で「有限の立場」っていうのと関係しているのかな…。


少し話が変わって、
wikipediaではだめな実例として、

集合論」の項目から誤解の増幅装置となる有害な部分だけばっさり削除で対応しておきました。
項目全体がぼろぼろで、全面書き換え以外に対応のしようがない<略>

となって、改訂された結果を見ると

(この部分は数学的に間違っています。改訂求む)

の下のところで、まあようするに\mathbb{R}から\mathbb{R}^2全単射の構成が「[0..9]^\omega」だと、複数の表し方が存在する実数があるからできてなくて、ベルンシュタインの定理が必要、ということだ。


野矢さんの「無限論の教室」isbn:4061494201も、対角線論法をやるときに、きちっと二通りに表せる数をどちらかに落とすということをしていないから、証明になっていないのだが、まあ、大したことではないだろう。

野矢茂樹先生の名前は Mephistopheles さんの blog あたりから聞いたのだったかな。(ここも参照。)

レヴィ=ストロースヴェイユと協力して構造主義の土台を作ったのは確かです。ただ仕事は気合でやっていて、気合が切れたので数学者に聞いたら秘密道具をくれた、というのが僕の印象です。
フーコーに関しては、僕は一次文献を読んでいないので「〜〜でない」ということをはっきりとは申し上げられないのですが、詳しい方によると、フーコーは数学を本格的に学んだことも数学者と親しかったということもないそうです。(彼自身も自分は構造主義者でないと言っているし。)
あと、勿論、数学者は初歩の論理学は分かっているけれども、論理学と数学を近く見るのは、多くの数学者にとって(?)であると思います。論理学も数学の役に立つよ、という例をあげると1974年の「超準解析(その応用としてファインマン経路積分の定式化)」で比較的最近のことです。


なによりも先ず気をつけねばならないことは、論理といった時に思い浮かべているものが恐らく異なる点でしょう。
数学を学んだ人に論理が身についているというのはほぼ確かでしょうが、「手っ取り早い」方法かといわれると。分野にも拠るでしょうし、高校までの数学は論理の面からみるといい加減で(論理は裏に隠していて)、啓蒙書は分かっていない人が読むと害悪かもしれないとも感じます。専門書は読みづらいですからやはり好きでないと。分析哲学は論理学を知っていると同意できたりしますが、雰囲気だけ感じるとやはり騙されるような。
論理というのは、立場ではなくて、態度であるのでしょうかね。何か納得の出来ないことがあったら、何を仮定したら何が成立しているという構造を先ず見て、次にその仮定から成立までの段階段階を追っておかしな論理展開をしていないかを調べて、仮定が納得できるか仮定が納得できて結論がおかしいならば論理展開を調べて、仮定のどれかが思い込みでないかを考えて、どれか捨て去るべきものを評価して。。。
そうですね、「真実に対して誠実であれ」、ということでしょうか。(実は、ここに書くきっかけになったのもとある人にフーコーの扱いが誠実でないと言われたからです。)最近、私もblogで”立花隆はなぜトンデモか”を議論しましたが、一つは真実に興味がないことがあるでしょう。なんとなくよさそうだから、を出来るだけ排除していればそれが論理自体であると思います。
長文乱文失礼しました。

P.S.そうそう。レヴィ=ストロースの名はクロードです。モネやドビュッシーと一緒です。

上は僕がそこにつけたコメントなのだがあっているか今読むと自信がない、苦笑。

いや、彼の「無限論の教室」が危ういと教養の頃にも感じたような気もするなあ。