趣味じゃない
間違ったことを言っている人をここで話のねたにするのは、これは趣味といった問題ではなくて義務だと思っている。
だから、五月祭の時にトンデモおじさんと会話するのはあんまりやりたくないわけですよ。しても実りがないしね。
五月祭 with トンデモおじさん(トンデモおじさんとの会話の記録、結構面白い)
あ〜、にしても気持ち悪い。真実を象徴する学科だから絡まれるんでしょうかね。
高校のときの日記に、
叡智には税金がかかる----学而不思則罔
と走り書きがしてある。その少し前の日付には「日本でも狂牛病が見つかった。」とある。知識を持つことに責任が付きまとうことを初めて感じたのは狂牛病だったと思う。今から思えば、相当傲慢だが。小学校の前半には存在くらいは知っていたのに、一体何をしたんだろう、って。
でも、センター試験の頃に書いたメールに
ああ、そうか、と納得していただいた瞬間は本当にうれしいですね。
とあったからあながち純粋に義務でやっているわけではないようだけれども。
英語一列の先生には、こんなところで言っていても仕方ないじゃない本人に戻さなきゃ、っていわれたけれども、見ている人は見ている人だし、議論をするから自分の考えの至らないところをそのままぶつけて迷惑をかけることがないし、それに相手が十分理性的だとみなせる場合は還元するようにしてますから。
いやはや気持ちをかくせるのは女だけらしい。
(モンテクリスト伯)