クレヨン王国

階段を駆け上がって、歩いて電車に乗り込んだところ急にひどいめまいがした。吐き気すら感じる。乗り換えの間に飲み物を買って吐き気を抑えようとしたが、めまいは変わらない。高血圧で脳の血管を切った可能性を考える。
次の駅で降りて休もうかと考える。一旦ホームに下りるとまっすぐ歩けないことが分かった。世界が白い。色はほとんど分からない。ただ存在だけを感じる。しかし、これを降りたら遅刻なので躊躇して、もう一度乗ることにする。電車の振動がきついのでもう無理と次の駅で思い降りた。世の中が真っ白で本当にすげえ見え方がする。輪郭の線は認識できるのだがそれ以上はさっぱり分からない。駅員さんの帽子。こっちに向かってくる人の輪郭。目が二つ。電車の横縞。頭の中の誰かは見ている風景に注釈をつけてくれる。
昇りエスカレータにかじりついて、しばらくすると色が少し戻ってきて、事務室で寝かせてもらう。ということは脳のどこかが不可逆的・破壊的にやられていたわけではないようだと考えた。しばらくのつもりだったが気がついたら出るべき授業の終了時間にも間に合わなくなっていて、さらにまともに動けるようになるまで4時間近く経っていた。

真っ白の間でも考えることはできていたので分析をしていた。めまいは、三半規管が急激に冷えたか血流量が減ったかで説明するべきだと思うのだけれども、視界が真っ白になったのは何でだろうか。瞳孔が開いていたのなら眩しいだろうけれども眩しくはなかったからもう少し奥だと思う。飛んでいたのが色なので錐体細胞が信号を送らなくなったとも考えられる。確かに著しい視力低下を感じたので桿体細胞の分解能を考えると妥当かもしれないが、錐体細胞のみおかしくなる理由が分からない。そうすると、もう少したどっていったところのような。風に当たって急に冷やしたと感じたのは首筋から後頭部にかけてで、視覚を扱っているといえばそうだけれども、こんなに容易におかしくなってはたまらないような。南極点到達を目指したスコット隊は帰路で遭難して幻覚を見たというから、寒さと餓えは視覚に無関係ではないと思うが。

やはり、こういうのを追っていくと、最後に自我が脳のどこにあるかになってしまう。あるところから先は、どのように変わるとどう感じるかとの対応が経験的にしかつけられない。