優れた言語

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ミクロな世界の詳細がマクロな世界にあまり影響しない

http://tatary.tdiary.net/20041126.html#p02

「まーコードが複雑になればなるほどバグの影響は小さくなる」
y 方向の速度をアップデートするのに x 方向の加速度を使っていてさ。その後とりあえずバグを取って計算をやり直した。するとなんと、結果は前のコードと全く区別つかなかったのだよ!

とはいえ、それでも多少は下部構造は上部構造を規定する。例えば、楔形文字は粘土の表面に葦の茎で書くからあの形になり、漢字には毛筆が、アルファベット筆記体には羽ペンが、その文字特有の雰囲気を生み出したであろう。或いは、上位が下位に影響することは、日本語が膠着語であることが漢字仮名混じりを生み出したことからも分かるであろう。

さて、ここである客観的な尺度で優れた言語というのを考えてみたいと思う。客観的な基準になりうるものを探したところ、スポーツというのが思いついた。例えばサッカーに有利な言語があるのではないだろうか。「スルー」という語が短母音一つですめばどうだろうか。判断までの時間がコンマ数秒違えば、その間に1m近く選手は動いてしまう。つまり、よく使う語が喃語のような弁別のしやすい音に当てられている言語がスポーツの基準ではよりよい言語なのだろう。かの大リーガーイチロー松井秀喜は幼い頃から左打ちに矯正したという。将来のスポーツ選手の英才教育により、「マー!!」で「俺がとる」を「ウー」で「お前が取れ」を意味することを体に染み込ませたスポーツ選手が量産されるに違いない。