水からの伝言〜(水が伝えるもの)
文字の持つエネルギー
http://www3.ocn.ne.jp/%7Esaitou/moji-energy.htm
(多くの科学者がこれを聞いて馬鹿げていると思うのは、科学的な立場に立つから馬鹿げていると思うのではない。自然がそんな風にできていると考えることなど、能天気もいいところだ、そんなんだったらいくつもの大発見してら、と思うから相手にしないのだ。と私は思う。十分に検証されれば喜ぶだろう。そのほうが面白いし。精神力項のついた万能方程式って最高だと思いませんか。)

だから〜、オカルトを語るのは、ユング様くらい豊かな知識に裏打ちされてないとみっともないからやめなさいよ。
う〜ん。しかし、これが「力のある資料」なのか。
科学的根拠の有無を論じているわりに科学に立脚して議論をしようとしていて楽しい。

さて、この話から思い出したことがある。小学校の家庭科の授業であった。狼少女がどうこうというビデオを見させて感想を書かせた。

インドで狼に育てられた少女二人がいた。一人は人間社会に馴染めず発見後比較的早く死んだが、幼いほうの少女は比較的長く生きた。だが、二人とも、四足で歩き、闇を好み、生肉を頬張り、およそ人とは思えなかった。

といった内容であったと思う。

(信じられない速さで四足で走ることができたことなどから)人の生まれ持った可能性を感じる。

という旨を書いて提出したらバツがついて帰ってきた。
やれやれ、と思いながら教育的指導を与えに行った。

感想に対して、深い・浅いという指標があるにしても、正しい・誤っているという区別はないと思います。

そうしたところ、このような返事が返ってきた。

そうねえ。私はあのビデオで家庭科教育の大切さを伝えたかったんだけど。

幸せな先生ですね。

http://www3.ocn.ne.jp/~saitou/kateika.html
おお、同じようなこといってら。あひゃひゃ。

勿論、これはこの場面でも応用できる。

狼に育てられると狼になります。

日本人に育てられると日本人になります。

(顔

シング牧師が保護したおかげで、なんとか人間らしくなれました。

でも、残念ながら

日本人は牧師が保護してくれません。

でも、代わりにDDTがあります。

ノンノンノミも シンシンシラミ
みんないないよ もういない
おもてで元気に遊べます
お礼をいいましょDDT DDT

うむ。

これを使って授業をすると、大変なことになるのだ。
自然科学の立場では、十分検証されていないことには言及できない。だから、この話を聞いていえることは、水に「ありがとう」と見せると、きれいな結晶になるかもしれないし、そうでないかも知れないことしか分からない。*1
よって、「ありがとう」と言ったほうがいいかもしれないし、「バカやろう」と言ったほうがいいかもしれない。また、どちらでもまったく関係がないかもしれない。ここを〜〜だったら都合がいいなで捻じ曲げるとソビエトのように餓死者が(僕の感覚だとたくさん、共産主義的には少し?)出ます。ルイセンコの理論が都合が良かったためにどうなったかを思い出しましょう。
(まあ、勿論科学は万能ではないというごく当然のことを述べる人にこのようなことを言っても仕方ありませんね。)

そこで、以下のような議論の方がはるかに説得力があるのではないだろうか。
つまり、人や動物の体内で水がきれいに結晶化するという現象が起きると死んでしまうのです。氷の結晶がきれいだというのは見掛けだけです。あの鋭い刃が細胞膜を破壊します。
一方、冬眠動物の中には水が凍っても細胞膜を傷つけないように汚い結晶を作るものがいます。よって、この実験結果を認めると、馬鹿・死ねといった文字を見せたほうが生物にとっていい事になります。*2

比較してみましょう。

ありがとうという言葉を見せて結晶化した氷はきれいである。
また、人は水でできている。
よって、ありがとうという言葉を人に聞かせよう。

ありがとうという言葉を見せて結晶化した氷はきれいである。
きれいな結晶が体内でできると動物は死ぬ。
よって、ありがとうという言葉を見せて結晶化すると動物は死ぬ。
人も動物であるからありがとうという言葉と関わらないほうがいい。

下が三段論法;)になっているのに対して上は支離滅裂である。下の議論が正しい。

まとめ

  • 日本人を保護する牧師はいませんがDDTがあります。ですから、人間らしくなれます。
  • 科学の名において疑似科学を振り回すと餓死します。
  • 水分がきれいに結晶化すると細胞膜を傷つけ死に至ります。ですから、死に至らないように汚い言葉を言い合いましょう。
  • 見掛けがきれいでも毒であることが多いです。騙されてはいけません。「きれいな薔薇には棘があるのさ」(蔵馬)
  • 手を加えると途中で、ですます調とだである調が混在して見苦しくなる。混在させないのは小学校の頃に日能研で叩き込まれた、質問と答えは呼応させるなどの作文の基本の一つですね。

あとは下を参照。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/misc/comment_misc_06.html
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?mode=category&aim=A5CBA5BBB2CAB3D82CBFE5A4ABA4E9A4CEC5C1B8C0

*1:中谷宇吉郎のウサギの毛から始まるきちんとした理論が既にあって「ありがとう」理論が入り込む余地などないことは無視。

*2:冬眠動物の節は非常に記憶があやふやです。(追記:大丈夫そうです。)