戯言

結局、僕が思うには人が己の意識できる範囲なぞ高々一割にも満たないもので、それは例えばこうだ。運転中の自動車はブレーキとアクセルそれにハンドル程度しか触れないし見えないが、その3つは自動車の機能ではユーザーインターフェースで、取替えのきくあまり本質的でないものでしかない。(いや、別にハンドルが本質的か否かはあくまでも喩えよ。マルクス主義を解説しているwebで、作者がマルクス主義が嫌いらしくて、一行毎に反論していたのだが、質的変化と量的変化のたとえ話がいかに間違っているかを自然科学の観点から篤く語っていたのが面白かったことを思い出したんで念のため。キーボードは生命線だよね。)