差異に還元

http://d.hatena.ne.jp/feuilles/20080121#c1201263609

せっかくなのでちょっと違った視点からいくつか。

画一的に見える理由のひとつは、単純に、分類しないと認識ができない、というところにあると思います。
特に人や社会のような複雑な対象を扱うときには、どうしても大きく切り出すしかありません。そうすると、どうあがいても画一的と呼べてしまうのではないでしょうか。つまり画一的なのはお互い様だという議論は妥当であると同時に妥当すぎませんか。なので、どのような距離で画一的なのか、に目を向けたいです。どんな半順序が入るのかは知りませんが、入れ方によっては「善悪」も論じられるのではないでしょうか。

また、心地よいか否かで済むところはそれで全く構わないでしょうが、事実かどうかが重要である領域もあると思います。その意味では環境問題のファッション化が気にかかっております。これは同じ構造を持つと思うのですよね。いつ頃にルイセンコ学説のようになるか私は今から楽しみです。

以下は、ただの面倒な自分語りですが、日本文化に違和感が残った僕としては、画一的な生き方をしていると胸を張って述べられるのはうらやましいな、と思います。無論これは私自身のメディアからの大きな影響を否定するものではないです。