スピノザ

http://d.hatena.ne.jp/sheltering-sky/20051114/p1

なるほど、数学者から見ると、哲学の精髄である(と私は思う)スピノザの『エチカ』は「数学を使う人は冒頭の10ページほどを読んで『ああいうことをしてはいけない』と学ぶべきだ」という対象らしいですね。現代数学を諸科学に応用するような水準と比較すれば、スピノザが馬鹿げているように見えるに決まっています。

数学はヒルベルトから始まった、とためしに暴言を吐いてみる。


数学は脇を引き締めて、誰もが納得できる最小なステップだけを使うという、一見尤も遠回りに見える手法をとりました。そのことによって、いくらでも積み重ねられて、恐ろしいほど遠くまで行くことができた学問だと思っております。
スピノザのあれは定義が甘いので、{定理の引用は正確に、数学用語の適用は厳格に、論理の運びは厳密に}に、ほんの小さな傷がついただけに見えてもそれがあっという間に拡大して致命傷に至ります。
それと数学の自然科学への応用とは構図が違って、エチカが数学から借りたものは外見ですが、自然科学は結果を借ります。
某所に「十分に複雑な構造を分析する道具として、当然数学は非常に有効な道具になると思います。しかし、能力不足がゆえに知的さを演出する比喩に成り下がっているのは残念ですよね。」と書きました。構造主義の数学の用い方はきちんとしているようです。結果としてそれほど綺麗な構造がなかったとしても、それはそれでいいと思うのです。

人文科学にしても数学の定理を使うのはよいことだが、そもそも定理が適応できる前提が成立していないところでそれを使おうとするのは、困ったものです。たとえば、公理系が決まってないようなところで、不完全性定理とかいうなよ、とか。

しかし、まあ、エチカは読めなかった、ということです。あれはキリスト教倫理観がいる気がしますが。

「何の役に立つのかしら」そうアリスは思いました「数式も図式もない本なんて」