やおい

大学一年の頃に、いわゆるやおい小説に対する嫌悪感に対して書いたこと。

中学入学前後には、既に精神分析に親しんでいたからか、僕はこういうものを見てもほとんどなんとも思わないんだ。他の人間がそうでないことを完全に失念していた。いつもは、頭で補正をかけているんだが。。。

書こうか書くまいか考えたけど書いちゃう。
こういうものに不快感を感じるのって、結局は1980年代からの日本の文化(以下'80sJC)の中の人間だからで、なにも人類共通の感情ではないんだよね。
たとえば、森鷗外でも読めば、九州男児の硬派・軟派は少年・少女の違いであるとわかるし、晩年の前田利家は若い頃織田信長との性的な関係があったことを徳川家康だったかに指摘され、皆に羨ましがられた。あるいは、イリアースのアキレスの死ぬ山場は男色が英雄の必要条件だったことを理解しなければ読めなかった記憶がある。
考えればもう少し例は出てくるかな…。
僕も、基本的にかなり偏見にトラップされている人間だけど、'80sJCからある程度は自由に物を考えて、その上で'80sJCに従うなら従いたいかなとか。

こんなことを書いているから、教養学部のクラスメイトに「私、nucと一日入れ替わってみたいし、そのことをnucに喜んで欲しいと思います。」とか言われるんだ。いや、でも上の文は読まれてないはず。