校長機関説

筑駒で検索してきた人がいるから上位になってたらどうしようと思ったがそうでもなくてよかった(顔。この前は東大理物で検索するとgoogleでトップページに乗ってたのでぎょっとしましたよ。で、検索のついでに見つけたのだけれども、 http://eri.netty.ne.jp/honmanote/sclstudy/2005/0208.htm のページ。抽象的にしたら多少まっとうにみえて面白いなあと思った。あとはカタカナと造語を増やしてマッチポンプすればいっぱしの哲学が完成する。やはり、数学を見ていると、きちんと記号に落として許された操作を定めてもかように混乱した議論が行なわれるのだから、許された操作を定めずにまっとうな議論ができるわけがないと思うね。おっと、そんなことはどうでもいい。
教育の質が高いほうが生徒のためにならない、と思うがそれもどうでもいい。

さて、筑駒には古くから校長機関説という定説があったという。この学校には校長という機関がある。校長という機関を週二三日校長室に設置しておくと、筑波大学から補助金が来る。また、筑波大学の定年間近な先生も名誉職としてお金がもらえる。
もちろん、校長の仕事は校長室に設置されることだけではない。対外的に思ったことを適当に述べることも仕事の一である。これによって内部と外部の間に一枚緩衝が入ることで面倒なことが減る。
かように校長は偉大な機関なのです(顔。