コンピュータは数が扱えるか

http://d.hatena.ne.jp/nuc/20050727/p2 への返答が http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/d/0508.html#15 に出た。

普通の数値計算って言うのが、(それが普通のdefinitionになりそうで)嫌な表現だなあと思ったけど、それ以外はありません。

Loewenheim-Skolem の定理をあげたのは、

計算機のなかに表現できる数は、有限個しかないわけで、稠密な有理数の集合、連続な実数の集合は、まったく扱えないではないか

という疑問が出たときのためで、この定理は「一階の算術はモデルがあれば可算モデルが存在する」と主張する。もちろん人も生涯は高々150年で一秒間に10文字も書けないから有限な文字列全体を網羅はできないけれども、そこは目をつぶれば長さが有限な文字列全体は一応可算だけあるから、複雑な体系はこうやってモデルを通して扱っていると思えば幸せかな。
それでコンピュータでも同じように議論すれば、ここの不思議な感じが解消する気がしたのだけれどもどうでしょうか。
感覚を数学でごり押ししている結構ひどいパターン(で数学と感覚を分離して議論できていないからトンデモにとても近いの)だというのは認識していますが。Loewenheim-Skolem の定理の扱いがこれでいいのかを、基礎論がご専門の銀さんによろしければお聞きしたいです。