外部の言い分

帰りの電車の中で背の高い慶應生らしい二人組みがいた。彼らはこの間噂になっていたいわゆる「外部」と称される人々らしい。

SFCはおまけ。」「企業も取りたがらない」「教養の時期がないからなんとなくで入ってしまった人たちがなんとなく出てきてしまって」「優秀な人は優秀だが、<以下略>」云々。博学ですね。その上に譲歩という高等テクニックまで使いこなしてます。「早稲田国際教養は早稲田に入りたいが学力ない人が滑り込むところ。だって、俺の友達ほとんどやめてるもん。滑り込んだ人は授業についていけなくて、優秀な人には簡単すぎて。」

なるほどね。これを聞いて、少し悲しくてちょっぴり温かい気持ちになりました。

この時期は不思議とどこの大学の人かが分かる。一般に会話では共通の認識事項を省略されているものなので、共通の認識があまり存在しない新入生の会話はよく分かる。
また、恐らく、内と外を作ることで心理的位相空間を変えようとしているのだろう。外から少し聞いただけで、その人達の共通点をきれいに洗い出されるのを感じる。

言い訳をさせていただくと、このようなことをわざわざ書いて置いているのは、こういったものがどのような人にとっても非常に普遍的な会話であることを意識しているからだ。これは反省でもある。