IQ test

IQテストに関して。とある人が教育の場にIQでは量れない新しい尺度を持ち込むべきだとしきりに強調していたのが印象的だった。なんというか、当たり前なことをわざわざよく言うよ、と思った。例えば、日本に一億人の人がいるとしよう。IQテストは勿論10段階以上あるが、これを10段階として、日本人を10のクラスに分ける分け方を考えてみよう。これは当然10^(一億)通りである。宇宙の素粒子の数は、まあ、適当に評価して10^100で抑えられるだろう。ということは、この宇宙の素粒子の数だけ宇宙があったとして、そのすべての素粒子の数だけ宇宙があったとして、そのすべての素粒子の数だけ宇宙があったとして、……(これを半年くらい言い続けた後に、)そのすべての素粒子の数だけ分け方があるということになる。IQテストはその中の一つだ。で、そんなのが特別なはずがない。そもそも初等教育を受けさせ始めるべきか否かを判定するために作られている。
さらに社会性を評価する尺度を考えたいとおっしゃっていたのだが、そりゃ「社会性」などという抽象的ないい概念を測る尺度を持ち込むことに反対の人はいないでしょう。ついでだから仁義礼智信を全部作ればいい。ここで、このテストはある集合への関数と考えられる。では何に依存している関数だろうか。勿論、被験者に依存している。さらに、恐らく一回きりのテストでは慣れがあるだろうから用いるテストの型番にも影響されるだろう。他にも、時間場所、あと試験者が誰かにも影響するだろう。
社会性がどうこういうのはいいが、判断基準が試験者の直感では正直苦笑するしかない。
重要性を強調する暇があったら、さっさと被験者以外の影響がほとんどない関数を作って、その上で社会性が測れているかを万人に問うべきだ。