学力低下

「地球は太陽の周りを回っている」と「太陽は地球の周りを回っている」とで小学校4〜6年生の5.5割しか正答できなかったらしい。
rukeの言う、ほとんどランダムに選んでいるからという面もあるだろう。
http://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/ruketheredcrown/?Y=2004&M=9&D=21
http://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/ruketheredcrown/?Y=2004&M=9&D=22
しかし、それ以上にこの質問が小学生には答えられるほど易しい問題であるとみなされているところに違和感を感じた。まず、回っているとは何であるか。地球の自転の証拠とされるフーコーの振り子はどこまで証拠になるのか。 Newton 力学に慣性力を加えた力学を考えれば Newton 力学と同じように無矛盾だからそれは何も主張していない。と、つまり、この質問に答えるためには、動いているとは何かを真面目に考えなくてはならず、 Newton 力学の立場で曰われる動くという概念を認めて初めて答えられるはずである。雑学博士の養成に失敗していることを示してはいるが、小学校で習得した程度の知識を前提として持つ自然科学者としてはこれが正しいのかもしれない。彼らが何教わってるか知らないけどさ。ガリレオにしたって、邪教キリスト教の教えにより、科学的真実を捻じ曲げられた天才と捉えられるが、しかし、その当時の測定技術を考えるに、天動説を肯定したほうが科学的に正しかったとも考えられよう。あの裁判は政治的なパトロンに対して泥を塗る目的で行われたともいうし。
教育哲学の立場から何を教えるべきかを考えた時に、常識の名の下に、根拠の存在しない知識の押し付けを行うのは好ましくないと私は考える。個人的に、常識とか直感とかは理性的でなくて、理性的でない教育は好ましくないと思っているからね。
常識だ、こんなのも知らんのか、と叫んで、なぜと聞かれてきちんと答えられないならば、それは逆にいうと日常生活においてそう考えて行動していても、なんら弊害はおろか差異がないからであって(、なんていうんだろう、関数型言語っぽくいえば副作用がない、であろうか)、それは小学生が必要な常識から除去してもよいだろう。
これは、大人にもいえる。例えば相対論では動くものは縮む。このことを雑学の知識として持っていることに問題はないが、しかし、これが常識となっていることによって相対性理論に矛盾があると叫ぶ方が現れたりしているのではないのか。
というわけで、地動説は小学校課程を終了した者が知っているとみなしているほうがむしろ不可解。常識だから知るべきだと考えている教育者はまず足元を見よ。そこに泉が。いや、なんでもない。

「人は死ぬとどうなると思うか」に対して、「生き返る」「生き返ることもある」「生き返らない」「分からない」がそれぞれ1,1,3,3割だったと。まず、質問の意図が分からない。いや、正確にいうと、分かりたくない。
まず、質問と選択肢とがちぐはぐ。せめて、「天国(或いは死後の世界)に行くと思う」「無に帰すと思う」「転生すると思う」「生き返ると思う」「わからない」ならば、分かる。