クレオール

福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」のどこがおかしいかをもうちょっと説明しよう。結論からいえば、「シュレディンガーは誤りを犯した」という福岡伸一さんの説は物理学の常識の欠如によるものだ。
P.150

そのかわり、シュレディンガーは、生命が、エントロピー増大の法則に抗して、秩序を構築できる方法のひとつとして、「負のエントロピー」という概念を提示した。エントロピーがランダムさの尺度であるなら、負のエントロピーとはランダムさの逆、つまり「秩序」そのものである。
生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー増大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを"食べる"ことによって生きている。
シュレディンガーは、これが比喩でないとして次のように述べた。

事実、高等生物の場合には、それらの動物が食料としている秩序の高いものをわれわれはよく知っているわけです。すなわち、多かれ少なかれ複雑な有機化合物の形をしているきわめて秩序の整った状態の物質が高等動物の食料として役立っているのです。それは動物に利用されると、もっとずっと秩序の下落した形に変わります。

シュレディンガーはここで誤りを犯した。この考えはナイーブすぎたのである。実は、生命は、食物に含まれている有機高分子の秩序を負のエントロピーの源として取り入れているのではない。生物は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、炭水化物にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれている情報をむざむざ捨ててから吸収しているのである。なぜなら、その秩序とは、他の生物に含まれる情報であったものであり、自分自身にとってはノイズになりうるものだからである。
とはいえ、シュレディンガー省察のうち、食べることが、エントロピー増大に抗する力を生み出すという部分は、彼の意識のレベルにかかわらず、的確なものであった。その意味と機構を明らかにするためには、彼と同時代の、しかしすでにこの世には存在していなかったもう一人の孤独な天才、ルドルフ・シェーンハイマーについて語らなければならない。

いやいや、こういうこと言われるとエントロピー分かってんのか、っていいたくなるよね!!
分子生物学という分野は、物理学者が生物学に侵攻した結果生まれた側面がある。だから、クレオールをしゃべるのはいいけれども、最低限、綺麗なフランス語の文を非難するときは分かってからにして欲しいね。



まず、「負のエントロピー」という言葉はあくまでも比喩だ。だって、そもそもあらゆる物質のエントロピーは熱力学の第三法則から正である。負のエントロピーを持つ物質なんて存在しない。
ここで「負のエントロピー」といっているのは、「入った物質と出た物質は物質としては同じ」だけれども、入ったときのエントロピーと出たときのエントロピーを比較すれば前者のほうが低いから、結果として生物の中のエントロピーが減ったようにみえる、ということだ。


消化によってエントロピーは増大するっていうのもそりゃそうだ。だって、この宇宙ではエントロピーが増大するような反応しか起きない。消化が反応である以上、消化によってエントロピーが増大するのに決まってら。



うわさによると、シュレディンガーの「生命とは何か」の翻訳書、新しい判に翻訳者が「最近、負のエントロピーを誤解している輩がいるようであるがそういうことではない」みたいなことを書いたらしいとか。